第1話 「プロローグ 1:魔王は死なぬ、何度でも蘇るさ」
今日も魔王が死んで戻ってくるのを感じ取ると、ぼーっと玉座に座り込んていたメイドは慌てて姿勢を正して手鏡を広げて髪型のチェックをした。
薄暗い広間に光を散らすような銀色の髪に手を伸ばし、少しだけ前髪の分け目を整えると、しれっとした表情でその時を待ち焦がれた。
それからちょっとだけの時間が経つと、空間に裂け目が現れて広間の中央付近にボロクズが姿を現した。
べちゃ、というまるでナマモノが石畳に落下する音が広間に響き渡ると、そのボロクズはしばらくぴくぴくと痙攣していた。
「おかえりなさい、アデル」
少女はそのボロクズにそう声をかけた。
だがボロクズは反応を返さずに、ぴくぴくを続けていた。
それを気にも止めず、少女は黒地の長いスカートを悠然とはためかせながら足を組む。そのまま肘掛けに肘をついて頬を支えると、微笑を浮かべてさらに声を掛ける。
「ああ、そういえば間違えてしまっていますね。ふふ、それでは改めておかえりなさいのご挨拶をいたしましょう」
少女はわざとらしく咳き込み、続ける。
「おお魔王よ、死んでしまうとは情けない」
「──そうさそうさ、情けない魔王様のお帰りさ」
そのボロクズはそう反応を返してから蠢き始めた。
腕を支えにして体を起こして四つん這いの姿勢になり、玉座に座る侍女を見上げる。
「……なんですか、その姿勢は? スカートの中を覗きたいんですね……いえ違いますね。分かりました、私の靴を舐めたいんでしょう? 仕方ありませんね、それくらいなら許してあげますよ。さあどうぞ、好きにむしゃぶりついてください」
「安心しろ、そんな性癖は持ち合わせていないから」
満開の笑顔を咲き誇らせて、少女は魔王に向けて突き出したつま先を、急かすように上下に動かしてみせる。
「ほら、遠慮せずに。ああ、まるでアデルは変態さんですね。もちろん知っていますよ。今更どんな変態行為をしたところで、私はなんとも思いませんから安心してください」
顔をわずかに紅潮させ、とても嬉しそうにその少女は魔王に行為を求めた。
だが魔王はそれをアホタレ、と一言で跳ね返す。
魔王アーデライト・アルタロス、それが彼の名であった。ごく一部の者からは愛を込めてアデルと呼ばれている。
つい六年ほど前に魔王の座を継承することとなった、今代の魔界の統治者である。
その魔王の出で立ちは、地上の青年がよく身に付けるような安っぽい服装であった。ただそれは、いたるところが血に塗れていた。
アデルはどさっと床に座り込むと、肩に手を置いて首をごきごきっと鳴らした。
「あいたたた……死んで生き返る度に体が固まるのは何とかならんかな」
「死ななければいいと思いますよ、アデル」
それはその通りなんだが、とアデルは思ったが、それはどうしようもないことだから出来れば別の方法が知りたかったのだが。
「仕方のないことなんだ。まさか胸元が見えてしまうとは想定外だった」
「……変態ですね」
カナリアはアデルを一刀のもとに斬り捨てた。
「ところで、カナリアはなぜ玉座に座っているんだ? なんだかおかしい気がするのは気のせいか」
「アデルってば酷い魔王ですね、本当に。出かけてくると言って飛び出したくせに、そしていつ戻るかも分からないのに、ずっと立ったままでいろと言うのですか? こんなか弱い乙女に対して、それはそれはなかなか酷なことを言うのですね。まるで性根が透けて見えるようです」
「俺の質問は、そういう意味ではないぞ」
「そんなこと分かっているにきまっているじゃありませんか。アデルったら、私をバカにしているんですか」
「どちらかと言えば、俺がバカにされてるんじゃね」
「さあ、それはどうでしょうね」
「そういう問答は別にどうでもいいよ」
「そうですね。まあ、仕方ありませんので正直に答えましょうか」
やれやれ、とカナリアはわざとらしく肩をすくめてみせた。
「簡単に言うとですね、私がここを任されたので、座っていたんです」
ふくよかな胸をピンと張って答えるカナリアの言葉にアデルは驚いて目を丸くした。
「おいおい、待て待て待て。俺がそこを任せたのはカナリア、お前じゃあない。俺が任せたのは、黒騎士フィルディアだっただろうが」
「もちろん知っていますよ。と言いますか、それを言付かったのは私じゃないですか。そして、言いつけ通りにきちんと伝えましたよ」
さも当然とばかりに言うカナリアに、アデルはさらに踏み込む。
「ならば、お前が玉座に座っているのはおかしいじゃないか」
「立ったままでいると疲れるから、座るのは自然ですよ」
「……」
どうしたらこの女は望んだ通りの答えを返すのだろうか、とアデルは悩む。
「アデル、きっとこう思ったでしょう……カナリアとの会話は楽しいなあ、って」
「ハッキリキッパリとノーだ」
「私は楽しいですよ? 久しぶりに、愛しい愛しいアデルと楽しい会話が出来ましたから」
ポケットからハンカチを取り出したカナリアは、表情を変えないままそのハンカチを目元に当てる。涙が出る様子も無ければ、拭うフリさえもしない。
ただ、口でおよよよ、と泣いているフリだけはしていた。
もはや、アデルは諦めと呆れの境地にさえ達していた。
「私との睦言の間にため息ですか。酷い男ですね。そんな男に身も心も奪われてしまった私は不幸なのかもしれませ……ええと、本当のことを言えば、話したくはなかったので誤魔化していただけですが」
アデルの表情が段々と無表情になっていくのを見て、カナリアはパッと反応を変えた。
手に持ったハンカチを降ろし、ぎゅっと握り締める。
「聞くも涙、語るも涙の悲しいお話を、きたいですか? 本当に? 後悔しませんか、アデル」
「……どういう、ことだ?」
急にしおらしくなったカナリアの様子に、アデルは少し及び腰になって尋ね返した。
「かの黒騎士の身に起こったことを、その娘に語らせたい、ということですか、と聞いているわけです」
アデルはそれを聞いて唾をゴクリと飲み込んだ。イヤな予感を感じさせるカナリアの物言いに、信頼する男に大きな問題が起きたのだろうと推測した。
そのカナリアは、背後に手を回してゴソゴソと何かを行い、顔を伏せた。
「そうですか、言えということなのですね」
顔を上げたカナリアの目には涙が浮かんでいた。アデルの目には、カナリアの目が赤く滲んで本当に涙を流しているように見えた。
「こんなことを話さなければいけないだなんて、悪逆非道な魔王に相応しい所業ですね、アデル」
カナリアの持つハンカチがじわりじわりと水分を吸収し、その色を染め上げていく。
叶うならば、聞かないほうがいいのかもしれないとさえアデルは感じていた。だが、育ての父でもある男のことを、聞かないわけにはいかなかった。
「カナリア、話してくれ。黒騎士に一体、何があったんだ」
「……何事も無ければ、きっと玉座の前に立ちふさがっていたことは間違いないでしょう。父の魔王への忠誠心は、アデルの代になっても変わりませんでしたから」
カナリアの言うとおり、あの男はそういう男だ。アデルが魔王になる前は育ての親として、魔王を継承してからは最強の忠臣として、接してくれていた。だからこそ、不在であることが大きな意味を持つように思えた。
「何が、あった」
声が掠れたのをアデルは自覚した。水分が突如として消滅し、喉が乾ききっていた。
「どうしても、聞くのですね」
「ああ。だがその前に……」
アデルはカナリアに近づくと、手元に隠し持ったそれを奪い取った。
「このタマネギはなんだ?」
「まあアデルったら、タマネギも知らないんですか」
「さすがにタマネギくらいは知っているが……」
「さすが魔王ですね、タマネギに詳しいなんて尊敬すらしてしまいます」
「……」
アデルはカナリアを睨みつけた。
「タマネギといえば涙を流すための小道具に決まっているじゃないですか。というか、よく持っていることが分かりましたね」
まさか知っていると言ったばかりで知らないとでも言うのですか、とカナリアは付け加えた。
「背後から取り出したのが見えたからな」
「ちなみに、このタマネギは夕飯につかいます。アデルの好きな、タマネギの炒めものですよ」
「そうか、それは楽しみだ。って、違う! 黒騎士フィルディアの話を聞かせてくれ!」
「……父さんの? 何かありまし──ああ、はいはい、その話ですね」
ぽん、と手を打ち、カナリアは思い出したような挙動を取った。
「父さんは……鎧を着てる途中にぎっくり腰で寝込んでしまいましたよ」
「はあっ?」
カナリアの言葉に、アデルは言葉を失った。