26話
昭和20年冬ーー
父が出征し、勇が出征し、季節は巡っていく。
手紙は父や勇から何度か受け取った。返事を書いたが、ちゃんと届いているか心配だ。
仕事終わり家に帰ると玄関先に人の姿が見え母が応対している。あれは役場の人間だ。母は封筒を1通手渡され深々と頭を下げる。
「お母さん、ただいま」
「……」
いつも優しく「お帰り」と言ってくれる母は今日は無言のまま何かを堪えるように唇をキツく結びただ小さく頷くだけだ。その手に握られた封筒には戦死公報の文字が見えた。
それから早乙女家の玄関先には”誉の家”と彫られた木札がかけられて、近所の人達からは「おめでとうございます」と口々にそう声を掛けられた。
父が戦死したーーなのに喜ばなくてはならない。悲しんではいけない。父はお国の為にその命を捧げた。この上ない誉だ……。
更に季節は進み春が来た。
その日、家に帰ると母が暗い顔をしていた。
父が亡くなり気丈に振る舞いながらもどこか虚ろに見えた母は、最近は少しずつ元に戻りつつあったのが、どうしたのだろうと心配になる。
「お母さん、どうかしたの?」
「ああ文子、お帰りなさい……」
「お母さん?」
「実はねーー」
暫く黙り込みこちらを見つめていたが、母は言い辛そうに口を開いた。
文子は手荷物を床に放り投げ家を飛び出す。
必死に走りながら、頭の中で先程の母の言葉が延々と繰り返される。
『昼に日向野さんの所の茂さんが訪ねてきてね。勇さんが……戦死されたと』
嘘、嘘、嘘っ‼︎
信じられない、信じたくない‼︎
勇さんが戦死した⁉︎
何かの間違いだ。そうに違いない。寧ろ逆に自分を驚かせる為に嘘を吐いていて、勇の実家に行ったら勇が帰って来ているかも知れない。そうだ。絶対にそうに違いない。それしか考えられない。考えたくない。
「ああ文子ちゃん、久々だね」
「あの、勇さんは……」
日向野家に着く頃には全身汗ばみ息は切れていた。
女中に案内され勇の兄である茂と対面をする。文子が無作法に挨拶もなしに話し出した時、家の奥から何かが壊れる大きな音が聞こえた。
「すまない、すまないっ……勇っ」
「っーー」
慌てて駆け出した茂の後を追い奥の部屋に向かうと、そこには勇の父の姿があった。
広い洋室の部屋はぐちゃぐちゃにされ、本や書類などが散乱しており、恐らく先程の音の正体であろう高価そうな壺は床で砕けて転がっていた。
「父さん、落ち着いて下さい‼︎」
「わしの所為で勇は死んだっ‼︎」
勇の父は大ぴらにはしていなかったが昔は戦争をあまり好意的には考えていない人だった。だが妻を空襲で亡くして以来、人が変わってしまったと勇が溢していた。
お国の為に敵兵を殲滅する。憎き敵兵、許すまじーーそれが口癖になったと話し苦笑した勇の顔を思い出す。
身体が弱い長男の代わりに次男に志願させてまで戦地に向かわせたのもその為だ。
四十も疾うに過ぎた大人の男が泣き喚き後悔する姿は情けなくも哀れで胸が締め付けられた。そしてその様子から確認をするまでもなく、勇が死んだのだと理解した。
「……一番はじめは一宮、二また日光東照宮、三また佐倉の宗五郎、四また信濃の善光寺、五つは出雲の大社、六つ村々鎮守様、七つは成田の不動様、八つ八幡の八幡宮、九つ高野の弘法さん、十で東京明治神宮」
鼻歌まじりに口ずさみ、日暮の中を1人寂しい風景の道を歩いて行く。
昔よくこの道を勇と歩いた。数歌を一緒に歌った事もある。だがそれももう出来ない。
「あ……」
ふらつく足は小さな小石に躓きそのまま転けた。文子は上半身を起こすが直ぐには立ち上がらずそのままに、地面を引っ掻くように抉った。手には土が握られそれをキツく握る。
おめでとうございますーーそう言えなかった。私は非国民だ。だがそれが一体なんだというのか。私には分からない。
「手、出して」
「誠、ちゃん……なんで」
「母さんに言われて迎えに来た」
どれだけ座り込んでいたのか分からないが、気付けば目の前には誠一が立っていた。
痛い程握っていた手からゆっくり土が溢れ落ち、蹌踉けながら差し出された手を掴んだ。その勢いのままいつの間にか同じ背丈になっていた誠一の身体を掻き抱く。
「誠ちゃんっ、わ、わたし、っぁあ"
あ"あーーっ‼︎‼︎‼︎」
こんな所を誰かに見られたら絶対に不審がられる。それが幼馴染が亡くなった直後なら尚更だ。非国民だと思われたら自分は無論、母や誠一までこの街には居られなくなるかも知れない。頭では理解しているが、感情が溢れ出し涙が止まらない。恐怖や悲しみ、不安や絶望が入り混じり心はぐちゃぐちゃだ。
文子の身体を誠一が抱き締め返す。まるで幼子をあやすように背中を優しく摩り、暫くして離れていった。澄んだ薄い茶色の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめ文子の手を取ると握り締める。
「ボクが母さんと姉さんを守るから」
初めて姉さんと呼ばれてこんな時なのに嬉しいと感じた。




