18話
令和7年8月2日ーー
宮代祭りの後、伝川に灯籠流しを見に行った。最悪な事に勇希も一緒だ。腹は立つが、事前にライルンで琴音が勇希に”文ちゃん”と呼ばないで欲しいと伝えた為、今日は一度も呼んでいない。それだけでも良しとしよう。
緋色の温かな火が次々に薄暗闇の中に放り出され実に神秘的な光景だ。
「死者の魂を弔うためなんだよ。池辺里でも沢山亡くなったから……」
暫し感情に浸り美しい光景に目を奪われていると、勇希からのつまらない質問に琴音が律儀に返答をする。ただ想いを馳せるような目を水面に向けていた。また文子の事を考えているのだろう。
夢は夢に過ぎない。琴音は琴音だ。そう思うのにいつか琴音が文子という存在に侵食されてしまうのではないかと漠然とした不安が募る。
蓮は琴音の左隣に立っている勇希を盗み見た。勇希が転校などして来なければ、こんな事にならなかったのではないだろうかーー
そもそも彼は本当に勇の夢を見ているのか?
見た目は兎も角、勇希は口が上手いので適当に話を合わせているのではないかと疑念が浮かぶ。上手く琴音を誘導して話を引き出しありそうなエピソードを作り上げた。あり得なくはない。人間の思い込みは馬鹿にならない。1度勇希が勇だと思い込めば、多少の違和感は勝手に補正されてしまうだろう。
「ーー皆、いなくなっちゃった……」
「琴ちゃん⁉︎」
「どうしたの⁉︎」
暫くそんな事を考えながら灯籠を眺めていたが、突然琴音が倒れた。慌てて隣にいた蓮と勇希は身体を支える。周囲の大人達から声を掛けられ、救護所まで案内をされた。蓮は意識のない琴音をおんぶして救護所まで連れて行く。
「熱中症ではないみたいね。貧血かしら」
待機していた看護師に診てもらい、取り敢えず安堵する。簡易ベッドに寝かされた琴音が目を覚ますまで、蓮と勇希は邪魔にならないようにテントの外に出た。
適当な縁石に人2人分空けて2人は座る。
「実は前に中里くんが川まで迎えに来た時も同じように琴ちゃんが倒れた事があったんだ」
「は? そんな話聞いてないけど」
「でもあの時はほんの一瞬で、ただの立ち眩みみたいだったから大丈夫かなって」
「大丈夫な訳ないだろう‼︎」
一気に頭に血が上り、思わず立ち上がり怒鳴り声を上げた。だが一斉に通行人からの視線が集まり蓮はバツが悪くなり座り直す。
「ごめん。本人も大丈夫だって言ってたからそのまま放置してた。もしかして琴ちゃんって持病とかあるの?」
「ない」
「じゃあ、普通に具合が悪いだけかな」
「……強いて言えば、原因は稲見だ」
「え、僕⁉︎」
少し項垂れたていた顔を弾かれたように上げると、こちらへ驚いた顔を向ける。
倒れた事との関連性は不明だが、昔から琴音は健康体だ。短絡的に考えれば原因は勇希にありそうだ。
「正直に言え。本当に稲見は勇なのか」
夢だろうと彼は自身を勇だと主張しているので、敢えてそのような聞き方をした。
「それは……」
「稲見が現れてから琴ちゃんの精神が不安定になっている。夢を見る回数も増え続けていて、このままだと琴ちゃんは文子という存在に侵食されるんじゃないかと不安なんだ」
「……」
「でも稲見、お前は違う」
琴音は夢と現の境目を彷徨っているように見えて不安定なのに、勇希に変化は見られない。まだ転校し来て2ヶ月程なので断言は出来ないが、2人の状態に違和感は拭えない。
「日向野勇、早乙女文子」
「⁉︎」
「勇と文子のフルネーム。琴ちゃんの夢からは名字とか身元を断定出来る具体的な事は分からないから知らなかっただろう?」
二頭山神社や池辺里駅などの名前は登場するので、この辺りの地域という事は分かっていた。小学校高学年になりスマホを買って貰ってから、何度か文子という人物が実在したのか2人で探した事はあった。だが当時、文子や勇という名前はありふれており探し出すのは困難であり断念した。そもそも実在しないのなら特定出来ない。
「本当に……」
「嘘じゃない。本当に2人は実在したんだーー」
30分くらい経った頃、看護師の女性に呼ばれてテントの中へと戻った。すると簡易ベッドの端に琴音は座っていた。
「琴ちゃん、大丈夫?」
「うん! ごめんね、2人とも。まだ灯籠流し途中だったのに……」
「そんな事気にしなくていいよ。本当にもう大丈夫なの?」
「本当に大丈夫だよ」
いつもと変わらない笑顔で本人は問題ないと言っていたが、やはり心配なので直ぐに帰る事にした。
祭りの会場を抜け、心配そうな顔の勇希と分かれ道で解散した。蓮は琴音をおんぶしてゆっくりと歩く。
少しずつ遠下がって行く提灯の灯りや人々の声や熱気。その事に一抹の寂しさを感じつつもどこか安堵する。
「……さん」
「琴ちゃん?」
家の近くに差し掛かった頃には、琴音は寝てしまっていた。だが声が聞こえて目を覚ましたのかと呼び掛けたが、返事はない。
「いさむ、さん……会いたい……」
「っ‼︎」
どうやら寝言のようだが、その言葉に蓮は動揺して思わず足を止めた。反射的に顔を後ろに向けるが、街灯の薄暗い明かりで僅かに彼女の姿が見えるだけだ。
夏の夜風が頬を掠める。
きっといつものように文子の夢を見ているだけだ。だが近い将来、琴音が琴音ではなくなってしまいそうで怖い。そう思うのに何も出来ない自分が嫌だ。
ふと先程の勇希との会話を思い出す。
『嘘じゃない。本当に2人は実在したんだ。今度証明してあげるよ』
適当に言っているのではないかとも思うが、勇希の目は真剣そのもので嘘を吐いているようには見えなかった。確かめる価値はあるかも知れない。




