ばにばにばに
カジノ『ル・ミラージュ』を脱出し、大通りから一本入った路地裏。
人目を避けて移動していたはずが、三上璃都は気がつけば妙な場所に迷い込んでいた。
極彩色のネオンサイン。ピンクや紫の艶めかしい照明。「休憩 3,000円~」「STAY」といった文字。
いわゆる、ホテル街だ。
「げ……道、間違えたかも」
璃都は気まずさに視線を泳がせた。
隣を歩くのは、濃幽知音。
彼は現在、黒いロングコートを羽織っているものの、その下はあの衝撃的な「バニーボーイ」の衣装のままである。
こんな場所を、そんな格好の二人(璃都もドレス姿だ)が歩いているなんて、誤解を招くにも程がある。
「トモちゃん、すみません! すぐに大通りへ抜け――」
焦って振り返った璃都は、言葉を失った。
知音が、立ち止まっていたからだ。
妖しく明滅するピンク色のネオン看板の下で、彼はコートのポケットに手を突っ込み、どこか面白がるように周囲を見渡している。
「ふうん。随分と……熱っぽい場所だね」
「あ、いや、その、通り抜けようとしただけで!」
「慌てなくていいよ。……少し、暑いしね」
そう言って、知音はシャツのボタンに手をかけた。
一つ、二つ。
ボタンが外れ、シャツの前がはらりと開く。
夜の闇とネオンの光の中に、露わになった素肌が白く浮かび上がった。
さらけ出された喉元、黒いベスト、首元のネクタイ。そして、スラックスに包まれた足のライン。
隠されているからこそ煽情的なその姿が、ホテル街の雰囲気と相まって、致死性の色気を放っている。
「と、とととトモちゃん!?閉めて!前閉めてください!!」
「どうして? 誰も見ていないよ」
知音はゆっくりと璃都に歩み寄る。
カツ、カツ、とヒールの音が響く。
璃都は反射的に後ずさり、背中がホテルの外壁――冷たいコンクリートにぶつかった。
逃げ場がない。
「それとも、リトちゃん」
知音は璃都の目の前まで来ると、長い足を璃都の太ももの間に割り込ませるようにして、壁に片手をついた。
いわゆる「壁ドン」の体勢。
至近距離で、整いすぎた美貌が璃都を見下ろす。
長い睫毛の下、瞳が濡れたように光っていた。
「君は、誰かに見られるのが興奮するタイプだったかな?」
「ち、違いますってば! そういう問題じゃなくて!」
「ふふ、顔が赤いよ」
知音は楽しそうに笑うと、自身の腰の後ろ――ふわふわの丸い尻尾を掴み、璃都の手に強引に握らせた。
柔らかい感触が掌に広がる。
「ひゃっ!?」
「さっきの店で、ずっと見ていただろう?触りたかったんじゃないのか?」
「そ、それは……可愛かったから、つい……」
「可愛い、か」
知音の声のトーンが、ふわりと落ちる。
彼は璃都の耳元に顔を寄せ、吐息がかかるほどの距離で囁いた。
「ウサギは寂しがり屋だと言うけれど……この『悪いウサギ』は、随分と欲張りでね」
「……っ……」
「ねえ、リト」
その瞬間、璃都の思考回路は完全にショートした。
「目の前にこんなに派手なホテルがあるんだ。……このままここで、飼い主の言うことを聞くレッスンをするのも、悪くないと思わないかい?」
知音の手が、璃都のドレスの肩紐をなぞるように這う。
冷たい指先と、熱い言葉。
本気なのか、からかわれているのか。
綾奈としての悪戯心なのか、知音としての支配欲なのか。
どちらにせよ、璃都に拒否権などあるはずがない。むしろ、心臓が爆発しそうなほど高鳴っている自分がいる。
「わ、私……トモちゃんのためなら、なんでも……」
震える声で忠誠(と下心)を絞り出した璃都を見て、知音は満足げに目を細めた。
そして。
「――なんてね」
パッ、と身を引いた。
先程までの妖艶な空気は霧散し、いつもの涼しい顔でシャツのボタンを留め直す。
「冗談だよ。そんなところで突っ立っていないで、さっさと帰るぞ。お腹が空いた」
「……え?」
「ラーメンだっけ? 行くなら早いとこ案内してくれ」
知音は呆然とする璃都を置いて、スタスタと歩き出す。
その背中にあるウサギの尻尾が小さく揺れているのが見えた気がした。
「あ、あの……今のは……?」
「大人のジョークだ。……それとも、本気にしたのか?」
振り返った彼は、今までで一番意地悪で、最高に綺麗な顔でニヤリと笑った。
「――スケベ。」
その一言を残して、彼は夜の街へと消えていく。
後に残された璃都は、真っ赤な顔でその場に崩れ落ちた。
「……好きだぁ……」
ホテル街の片隅で、怪盗の悲痛な叫びがこだました。




