第8話 未発見の言語
「モン!タンラプ サークラン トン?」
村人のひとりがオレたちに何か話しかけてきた。
「なんて言ったか分かるか?」
「分からないわ、メガネの翻訳装置も瞬間学習機にあった古代中国語のデータも全部通用しないみたいね……」
「ンガイ グランニン(私たちは旅人です)」
オレはとりあえず瞬間学習機で覚えた古代中国語で返答してみる。
「ヘア?マラ ツァイ クァン……」
ダメだ、やっぱりサッパリ何を言っているのか分からない。
「あの手を使うしかないわね」
レイは画用紙を取り出すと、ボールペンで黒いグチャグチャを描いた。
「そうか!あの金田一法を使うんだな!」
「そう!」
説明しよう。金田一法というのは、かつて金田一京助という言語学者が樺太アイヌ語を調査するときに使ったとされる手法のことだ。
例えば、言葉の通じない人に紙に黒いグチャグチャを描いて見せる。そうするとその人はその人の言葉で「これは何だ」と答えるはず。そうしたらその人の言語で「これは何だ」を何と言うのかが分かる。そうしたら、後は山の写真や川の写真などを見せて、その人の言語で「これは何だ」と言えば、新しい語彙がどんどん得られるというわけだ。
「はい!」
レイは村人に黒いグチャグチャを見せる。
「ライ カッ?(これは何だ?)」
村人はそう言った。
「よし、オッケーね。この村の言語で『これは何?』は『ライカッ』よ。あとは『ライカッ』という言葉を使っていろいろなものを見せるだけでいいわ」
「本当にそう上手く行くもんかねえ……」
「まあ、私たちにはAIがあるからね。適当にデータ集めるだけでもAIが分析して何とかしてくれるわよ」
「そうなのか……」
レイは少し大雑把なところがあるから時々不安になる。
「AIは常に私たちの会話を録音、録画してるから、話の文脈とかも全部読み取ってくれるわ。このメガネにマイクとカメラがついてるのよ」
「へえ。でも、AIがあるとはいえ、かなり時間がかかるんじゃないの?」
「そうね、1週間はこの村に滞在したいわね」
「1週間か、ちょっと長いなあ……」
「そんなことないわよ、未知の言語を一から調べるなんて、20世紀の言語学者なら一生かけてやることよ?」
「そうかもしれないけど……」
「まあいいから、とりあえずいろいろ絵を見せてみましょう」
こうしてオレたちは語彙集めを始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ライカッ?」
オレは川の絵を見せながら言ってみる。
「ライ カッ??」
ダメだ、川だということが伝わっていない。
「じゃあこれは、ライカッ?」
今度は山の絵を見せてみる。
「アー……トリー?」
山の写真を見せたら「トリー」と言った。
「トリー?」
今度は絵ではなく、村を囲う山々を指してそう言った。
「アア!トリー キー!!」
「トリー」が「トリーキー」に変わった。
「もう全然分かんねえよ!!」
オレは涙目になりながらレイに話しかける。
「これは思ったより上手くいかないわね……」
レイも苦戦していたらしい。
「適当にやってもデータ取れるんじゃなかったのかよ……」
「だって、私もここまでの辺境は初めてだもの。ここまで全く言語が通じない地域を任されたのは初めてだわ。これはきっと新種の言語ね」
「新種の言語?」
「ええ、新発見の言語と言った方がいいかしら。既知のどこの語族にも属さない新しい語族の可能性が高いわ」
「ごぞく……?」
どうやらオレたちは完全に未知の言語を調べることになってしまったらしい。
「語族って言うのは、言語のグループのことよ。言語というのは、時とともに変化するっていうのはもう知ってるわよね?」
「そりゃあ、もう古代の日本にも行ったし、十分わかってるよ」
「じゃあ、人類はアフリカを出発して世界中に広がっていったってことも、21世紀にはすでに定説になってるわよね?」
「うん、常識だよ」
「つまりね、人類って言うのはずっと昔には全員同じ言葉を話していたのよ」
突然よく分からないことを言い出すレイに返答する。
「え?」
「例えばね、人類はもともと南アフリカ、具体的にはボツワナにいたんだけど、この時点ではみんな同じ言葉を話していたの。それが北アフリカに北上した。そうすると、南アフリカと北アフリカの間にはかなりの距離があるわよね?」
「うん」
「てことは、北アフリカの端っこの人と南アフリカの端っこの人はコミュニケーションを取ることがほとんどないであろうということは、容易に想像がつくわね?」
ここでオレはピンとくる。
「そうか、南と北で交流がなくなると、南と北で違う言語になるってことだな!」
「お見事!そう、言語というのは時間によって変化するもの。もともと同じ言語を話していた集団でも、その集団がふたつに割れて、さらに時間が経つとそのふたつは別の言語へと変化するわ。21世紀の事例で言えば、朝鮮語が良い例ね。韓国語と北朝鮮語は21世紀の初めごろはまだ同じ言語扱いだけど、22世紀に入るころには別言語扱いされているわ」
「なるほど、南北の分断でコミュニケーションが取られなくなって、別言語になったわけだな?」
「そういうこと」
「じゃあ、語族って言うのはもしかして、同じ言語から派生した言語の集団のことを言うのか?」
「さすが、理解が早いわね。例えば、フランス語と英語も同じ語族に属しているわ。インドヨーロッパ語族って言うんだけどね。もともとインドヨーロッパ祖語っていう言語だったんだけど、それがイギリスでは英語に、フランスではフランス語に変化したってわけ」
「なるほどなあ」
レイの説明はとても分かりやすい。まるで台本でも用意されてるかのようだ。
「ま、とにかく、この言語は今まで発見されてこなかった語族の言語ってことなのよ」
「なるほどねえ……」
一通り説明を聞いたオレは再び頭を悩ませた。




