第2話 飛鳥時代へ
「でも、言語の調査ってどうやるの?飛鳥時代の人に聞くにしても、昔の言語が分からないから聞けないじゃないか」
「心配いらないわ、この瞬間学習機を使うの。これでとりあえず古代日本語辞典を頭に入れておくのよ」
「古代日本語辞典?そんなものがあるなら調査は必要ないんじゃないの?」
「ここに書かれているのはあくまでも文献の記録と言語学的手法によって導き出された再構音だけだから、正確な発音は分からないし、どんな話し方が自然かというのも分からない。だから調べに行く必要があるのよ」
オレの疑問に丁寧に答えてくれるレイ。
「じゃあ、文献の記録が全く存在しない、現代には影も形も残っていない言語を調査するときはどうするの?」
「それはね……」
レイは画用紙を取り出した。画用紙には試し書きのような謎の黒いぐちゃぐちゃが書かれていた。
「なにこれ……?」
「そう、それを利用するの」
何を言っているのか分からない。オレはレイに聞き返す。
「えっと、どういうこと……?」
「あなた今これを指さして『なにこれ』って言ったでしょう?」
「言ったけど?」
「そう、人はこれを見せると『なにこれ』と言うのよ」
「つまり?」
「これを見せると、その人の言語で『なにこれ』を何て言うのか分かるわけ。例えばイギリス人なら『ワッツディス』と言うでしょうね。だから、今度はその『ワッツディス』という言葉を使ってこの写真を見せる」
レイは木の写真を取り出した。
「この絵を見せながら『ワッツディス』と言うの」
「あーなるほど、こうするとその言語で『木』を何て言うのかが分かるわけだ」
「そう、そしたら最低限の語彙は集まるから、残りの写真を見せるだけじゃ分からない語彙は文脈から拾っていく。と言っても、この作業はAIを使えば簡単にできるわ」
「便利な時代なんだねえ……」
「これは、20世紀初めに金田一京助という言語学者が樺太アイヌ語を調査するときに生み出した方法なのよ」
「20世紀初めにAIなんてないだろう?」
オレの返答にレイはクスッと笑う。
「そうじゃなくて、まあいいわ、とにかく出発しましょうか!」
「え、今から!?」
「時間が無いのよ」
「タイムマシンがあるなら時間は無限にあるんじゃない?」
「私たちの寿命は有限よ」
「でもまだ準備が……」
「いいわよそんなの、予備の装備があるからこれを装着して」
ずいぶんせっかちな人らしい。少しも準備の時間をくれずにオレは変わった服と変わった眼鏡を身に着けさせられ、説明を受ける。
「これが未来の眼鏡。ズーム機能もついてるし、視力もちょうど良くなるよう調節してくれるわ。翻訳機能も付いていて、マイクから聞き取った言語を21世紀の日本語に訳してレンズに投影してくれるわ。リアルタイムで映画の字幕を生成しているようなものね」
なるほど、これは画期的なシステムだ。しかしそれだと、相手の言うことは分かっても自分の言いたいことは伝えられないし、そもそもインプットされていない言語は訳すことができない。そこで瞬間学習機の出番と言うわけだ。
「次にこれが変身服。古今東西のいろいろな民族の服をインプットしてあるから、どんな姿にもなれるのよ」
「へえ、未来の技術ってすごいんだなあ……」
「そりゃあ、未来だからね」
まるで自分が褒められたかのような振る舞いをするレイ。褒めてるのは技術の方なのに。
「さあ、これで準備はオッケーね。さあ行くわよ!」
「あ、はい……」
オレたちは銀色に輝く奇妙な球体の形をしたタイムマシンに乗り込んだ。タイムマシンの中には座席が二つ窮屈に並んでいた。オレは左側に乗り、レイの真似をしてシートベルトを締めた。
キュイイイイイイイン
タイムマシンが音を立てている。
カチャカチャカチャ
レイが何やら複雑な操作盤をいじっている。
「出るわよ!」
掛け声とともにタイムマシンは数センチ浮き上がり、パっと光った。
そして、ヴンという音と共に一瞬にしてタイムスリップしてしまった。
「着いたわよ」
「速いな……」
「瞬間移動だからね」
オレたちはゆっくりとタイムマシンのハッチを開け、外の様子をうかがう。
「ここは西暦700年10月29日午後2時ごろ、場所は奈良県橿原市よ」
「ここが、本当に日本……?」
オレは外の様子に驚愕した。建物などひとつもない。田園風景すらない。あるのは草と木と土の一本道。完全に森の中だ。
「ここからこの道を少し南に歩くと藤原京があるわ」
「じゃあ、さっそく行ってみよう!」
「ちょっと待って!」
「うん?」
オレは興奮を抑えつつレイの言葉に耳を傾ける。
「これを頭にかぶって」
レイが差し出してきたのは金属でできた帽子だった。
「なにこれ?」
「瞬間学習機よ」
「そうか、これで言葉を習得できるんだな!」
「そう、でもこれはあくまでも未来の人が人工的に復元した古代の日本語だから、現地の人の言うことが100%理解できるようになるとは限らないわ。特に、この時代はまだ日本各地にたくさんの方言があったはずだから、地方出身の人の言葉は上手く聞き取れない可能性が高い」
「なるほど」
レイはオレの頭に学習機をかぶせると、ボタンを操作してオレの頭に情報を流し込んだ。
「おおおお、頭が揺れる……」
頭にビリっと刺激が来たかと思うと、一気に古代の日本語を習得してしまった。
「さあ、これでオッケーね」
「おお、なんか、すごい、頭がちょっとふらついたけど……」
「さっそくテストしてみましょうか」
レイはオレに木の写真を見せた。
「これはなんていう?」
「kʷi」
「正解!」
正解らしい。どうやら古代日本語では「木」のことを「クィー」と言ったらしい。
「じゃあこれは?」
続いてレイが取り出したのは水の入ったペットボトル。
「miⁿdu」
「お見事!」
どうやら問題なく古代日本語をインプットできたらしい。
「大丈夫そうね、それじゃあ早速行くわよ、藤原京へ!」
少しテストが足りないような気もするが、早く都を見たかったオレは気にせず流した。
「おお!藤原京を生で見られるなんて、夢じゃないかな……!」
そしてオレたちは藤原京に向かって歩き出した。




