小さな幽霊
『視え⋯ないのか⋯?』
菖蒲は成長とともに“人ならざるもの”は視えなくなっていた。
幾度も声を掛けては、通り過ぎた…。
菖蒲と過ごした時間は僅かだった。なのに、、、なのに、どうして……こんなに虚しい気持ちなのだろうか…。たった1度の期待がもたらした副作用は、とても長く続き15年の時が過ぎた。
死神としての仕事は手に付かず、見守り続けた。
「お母様。行ってきまーす!!」
「気をつけて行ってらっしゃい。」
茶屋の前で立ち止まった梅。
「あの、、零さんですか?」
驚いた。今まで一度たりとも言葉を交わしたことはなかった。そして、久しく聞いたことの無かった名前…。
「何故⋯その名を⋯」
「お母様より聞いたことがあるのです。少し付いてきて頂けますか?」
通りを少し外れた所にある神社へと着いた。大きな一本の大木にはしめ縄が巻き付いており、木の根が椅子のように足を延ばしている。
「この木の根元で一度だけ、お母様が話してくれたのです。“零”⋯私を助けてくれた人だと。もう会えないとも言っていました。」
大木を見上げるその姿は、かつての菖蒲にそっくりだった。
「何故、俺だと分かったんだ?」
「お母様は、私を産んでからその類いが視えなくなったそうです。その代わりなのか、私には小さな頃から視えていました。そして、貴方が近くにいる時だけ、恐ろしい姿をした者たちが消えて行ったのを見て、“あゝこの人がお母様の恩人なんだ”と確信したのです。」
逢いたかった。。。焦がれ続けていた気持ちはもう届かないと分かっていたのに、トドメを刺されたように胸を締め付けられる。菖蒲には視えないし、目が合うこともない。このままここに居ても、今度は梅に何が起こるか分からない。
「そうか。もう会うことはないだろう。俺の事は⋯忘れてくれ。」
「そんな事できません。人は忘れたくても忘れられない事もあるのです。それに、これはお母様の大切な記憶です。お母様が視える私に話してくれた事に、意味があると思うのです。」
「意味など求めなくていい。視えることは辛いだろうが、それ以上の傷を負うことはない。」
「それは、どういう…」
俺は手を翳し梅の記憶を消した。瞬く間に俺の頭へと梅の記憶が鮮明に捩じ込まれる。
帰って来た父親との戯れ、菖蒲の優しい声と温かな手。穏やかに流れる時の中、幽霊が視える恐怖が何時も襲う。何処か不安な毎日に俺の姿を見ていた…。
ふらふらと木の根に座り込んだ梅は、ゆっくりと目を閉じて眠りに落ちた。
「初めて使ったが⋯こんな⋯⋯なんだな⋯」
凄まじい疲労感と、胸のつかえで吐き気を催す。梅の視た全てを飲み込んだ結果なのだろう。涙が零れる…。
その足で向かったのは菖蒲の家。夫は居らず、出かけているようだった。そっと近づくと料理をしていて顔は見えない。背後に立ち手を翳そうとすると、不意に振り向き目が合った。
「!!!」
「えーっと、あのお鍋は⋯」
長い間見続けてきた菖蒲の姿は、母となった姿だった。今も変わらない。だが、美しい。
俺を通り抜けて、菖蒲は重そうな鍋を持ち上げると、ぐらりと倒れそうになった。思わず手を差し伸べると、腕にすっぽりと収まるほどの小さな体だった。傾いたまま止まっていることに気付いた菖蒲は、声を上げるかと思ったが、
「零⋯?そうなのね?」
俺の方が驚いてしまった。菖蒲を立たせその場を離れた。
「行かないで!私は貴方のことが視えなくなってしまった。ずっと謝りたかったの!私のせいで貴方に何かあったんじゃないかって。ごめんなさい!」
「俺はそんな言葉が聞きたいんじゃない…」
目も合わない。言葉も届かない。一緒にも居られない⋯。
伸ばした手の先にチリチリと走る痛みは、菖蒲の記憶を辿るよりも、遥かに苦痛だった。
菖蒲はすうっと眠りについた。もう俺の記憶は無い__。
○*・○*・○*・○*・
「何?⋯⋯夢⋯?」
頬から溢れた涙で枕が濡れている。悲しくて苦しくて、焦げ付く様なこの気持ち…。初めて見る夢なのに、凄く鮮明だった。。。
ーーーーー
「「いらっしゃいませ!」」
新しくアルバイトに来てくれている櫻田さんは、随分と飲み込みが早く助かる。
「だいぶ慣れてきましたね。お客様も引いたので、先お昼どうぞ。」
「分かりました。お先に休憩頂きます。」
商品チェックをしながら店内を見渡す。黒神さん今日も居ない…。今生の別れ的な“あれ”から気まずいと思っていたが、黒神さんは姿をあまり見せなくなった。あと
「いらっしゃいませ〜!」
可愛らしい小さなお客様達。よく来てくれる近所の子供達だ。小学校3,4年生位だろうか。
「こんにちは!!あのね、今日ね、みんなで海行ってきたの〜!」
「そうなんだ!!泳いだの?」
「うん!私は浮き輪だけどね。」
「おれは、なくても泳げる!!」
「凄いね。私も浮き輪ないと無理だなぁ。浮き輪も楽しいけどね〜!!」
「ね〜!へへへっ!!」
「6人で行ったの?」
「ううん。5人だよ?シン君とナオト君と、リオンちゃんと、カノンちゃんと私〜!」
「そう⋯⋯なんだ!!」
という事は、今私と目が合ったこの女の子は、幽霊…。
「ゆずちゃん、アイスください!」
「おれも!」「わたしのこれー!」
定番の棒アイスをそれぞれ買い、お店を笑顔で退店していった。
「ありがとうございました〜!」
さて、残されたこの子はどうしよう。。。キョトンとした瞳でこちらを見つめる、可愛らしい女の子だ。
話し掛けるべきか?見えないフリする?⋯でも、目、合ってるし…。子供の幽霊なんて、初めて視たな。こんな小さいのに、亡くなってるなんて…。
「お疲れ様です。休憩ありがとうございました。」
櫻田さんが店頭へと戻って来た。女の子の霊は、少し強張った顔をしたかと思えば、直ぐに消えてしまった。あぁ何も聞けなかったなぁ。
「どうしたんですか?何か居ます?」
「いや、なんでもないです。⋯私も休憩いただきます。」
「はい。いってらっしゃい。」
櫻田さんにお店を任せ、私は一度家に戻った。晩ご飯の準備をして、朝ご飯の残りとパンを齧りながら暫し休憩。さっきの少女は何処へ行ったんだろう。また海へ行ったのか?海で亡くなったから、子供達に付いてきたのか?
「ん~~~気になる……。黒神さんなら分かるかな…?」
「俺が、どうかしたか?」
いつの間にか卓袱台にちょこんと座っている黒神さんは、晩ご飯のおかずをつまむ。
「いつの間に!?何処行ってたんですか?」
「なんだ?いなくて寂しかったか?」
「違います///!!そして、食べないで下さい!!晩ご飯減っちゃいます!!」
「疲れたんだ。少しくらい⋯⋯」
黒神さんが伸ばす手を、私はパシッと叩いた。
「痛っ!⋯ケチ。」
「ケ⋯!? ⋯もう、子供みたいに。はい。こちらをどうぞ。」
即席で作ったサンドイッチを卓袱台に乗せた。
「美味い!」
「それはどうも。あ、子供で思い出した!女の子の幽霊がお店に来たんですけど、黒神さん何か知りませんか?」
「むぉに!?みへにひはらの!?のほら!(何!?店に来ただと!?何処だ!)」
「何言ってるか分かりません。食べてから喋って下さい。」
ゴクリと飲み込んだ黒神さんは立ち上がり、シュウゥゥと妖しい音と共に鎌を出現させた。
「結月は此処にいろ。」
「そんな物騒な物、お店に持っていかないで下さい!!」
「一刻を争うんだ!!何かあってからでは遅い!!」
「ちょッ!?」
ご飯もそこそこに、いつもとは違う緊迫した表情で家を出て行った黒神さんが気になり、後を追い私も店へ向かった。
「あれっ?もう休憩終わりですか?!まだ30分も経っていないですよ?」
驚く櫻田さんには、黒神さんが見えていないようだ。
「おい!いないぞ!何処にいるんだ!?結月!アイツは何処に行った!?」
狭い店内を探し周り、私に詰め寄る黒神さん。
あぁ~黒神さんに居ないって言いたいけど、今黒神さんに話しかければ、宙に話し掛けてるみたいに見えるよね…。櫻田さんに変な人だと思われるよなぁ。どうしよう…。取り敢えず、自然な感じでお店を出ないと⋯
「結月!何でもいい!思い出すんだ!何か聞いてないか?アイツの行きそうな場所、何処から来たとか!!」
急に私の手を黒神さんに引き寄せられ、櫻田さんから見れば不自然に見えたのだろう。櫻田さんが私の肩にポンと手を乗せ、視えない黒神さんをすり抜け、私と目線を合わせる。
「どうしたんですか!?鬼十さん!大丈夫ですか?!体調悪いなら、休んで下さい。休憩もまだ⋯」
「大丈夫ですよ。体調悪い訳ではないんです。けど…」
しまったぁ!そのまま体調悪いって店を出れば良かったのに、何でバカ正直に元気アピールしてるの!
ふと顔を上げると、櫻田さんの後に立つ黒神さんの顔を見た_。
一瞬だった。ほんの一瞬見えた顔は、苦しそうで愁いに沈んだ悲痛な顔⋯どうしてそんな顔をしたの⋯⋯?
黒神さんは何も言葉を発さず、背を向け店を出て行ってしまった。モヤモヤとしたこの気持ちはなんだろう。このまま黒神さんをひとりで行かせてしまったら、、、ダメな気がする…。
「ごめんなさい!やっぱり、午後からお休み貰います!!静香さんには私から連絡しておきます!!すみません!」
「エッ!はい!気を付けて行ってらっしゃい⋯」
店前の道を見渡すが、黒神さんは既にいなくなっていた。何処へ行ったんだろう。幽霊の居場所は見当もつかない様子だったのに、手当たり次第捜すなんて無茶すぎる!!
黒神さんならどこ捜す?考えろ考えろ、考えろ!!女の子の幽霊を探しに行くなら⋯⋯学校!?
近くの小学校へ走った。今は夏休みで生徒は居ないはず。校門は開いてるかな?黒神さんは通り抜けられるだろうけど…
「着いた………。やっぱり……」
校門は開いて無い。夏休みの夕方だから、先生もいない様子。黒神さんが居るかも分からないのに、入っても良いんだろうか?不法侵入だけど⋯ええい!考えてる場合じゃない!
「よっこらしょ⋯」
誰も見ていませんように!!鉄の門を乗り越えて、校舎へ向かう。通っていた学校ではないけれど、校庭は狭く感じる。
玄関口は開いて無い。そりゃそうだ!ぺったりガラスにくっついて中を覗くと、人の姿が見えた気がした。
「黒神さーーーん!居るなら返事して下さい!」
コンコンッ!とガラスを叩き、呼び掛けると気付いたのか近付いてきた!!
「此処にはいません!今日は帰りましょう!」
呼び掛けると、ぬぅっと腕がガラスを通り抜け、私の腕を掴まれる。
「うぉお!?」
ズルズルと引っ張られ、私の身体がガラスを通り抜けると同時に、私を掴んでいるこの手は、黒神さんでは無いと理解した。
「いっ嫌っっ!離して!!誰なの!?」
ガラスはまるで風船の膜を突き破る様な感覚で、引き込まれた手先から感じる不気味な冷たさが、入ったら出られない恐怖を滲ませる。
完全に校舎の中へ入ると、私を引き摺り込んだ相手は居なかった。そして、入って来たガラス戸は開けることも、まして通り抜けることも出来ない。取り敢えず校内を歩く。下駄箱や廊下、階段、教室、全てそのままの姿。何も変わった所は無い。ただ⋯
「暗すぎない…?」
外の景色を見ると、校庭の時計は午後6時10分を指してる。まだ日没までは1時間位ある筈。
「やっぱり何かいる…。」
階段を上がった2階。廊下の奥から何か来る!私は身構えた。出来るだけのことはやる!!黒神さんは今居ない。だから、自分だけで何とかするんだ!!
今まで何もしてこなかった訳じゃない。黒神さんと一緒にいる間、幽霊に触る練習をして来た。黒神さん曰く、元々霊感が強い私なら出来ないことはないらしい。意識を集中して身体に触れても意識を奪われないように!!いざという時の殴る・蹴る・押さえるは出来るはず!
コツンッ……コツンッ……コツンッ……コツンッ………
高い靴音が廊下に響く。ハイヒール?学校には似つかわしくない音だ。少し遠くで、近付いて来る足音が止まった。まだ、姿は視えない。ゴクリと唾を飲み込み、私は声をかけた。
「貴方は誰ですか?」
エコーがかかったように冷たい空気を振動させた声が、すうっと廊下を通る。すると、再びコツンッ…コツンッ…と近付く足音。
コツンッ…コツンッ…コツンッコツンッコツッコツッコッコッコッコッッッ!!!
走って来たぁあああああああああ!!!!!