ぼくとアキ
「アイドルになりたいんだよね」
そう言って、僕の親友は、それはそれは眩しそうに微笑んだんだ。
切れ長の少し気の強そうな目元を飾るまつ毛はバシバシと長くって、瞬きする度に星屑でも舞いそうな程煌めいていた。
水島アキ。
今年の春に転校してきた僕の友達。初めは都会からの転校生っていう肩書きと、あまりにも眩いその容姿に、周りからは当然遠巻きに牽制されて少し孤立していた。こんな田舎じゃちょっと見かけないくらい整った容姿。春風にふわふわの髪を靡かせる姿を初めて見かけた時は妖精かと思った、なんて、それは言い過ぎだけど。兎にも角にも、その見た目は小学5年生の僕らの間では余りにも浮いてしまっていた訳だ。出る杭はなんとやら。僕の立ち位置も、早々に傍観者の肩書きを得ていたわけだけど、ひょんなことから、僕とアキの距離は一気に縮まった。
この話をすると、いつもアキは「ひょんなことの「ひょん」ってなんなの」とありきたりな質問をさも興味無さそうに投げかけてくる。実に余談だ。
きっかけは、あるアプリゲームの新曲MVをうっかり放課後の教室で流してしまったこと。数日前からSNSやサイトの告知で急かされていた僕の気持ちは家に帰るまでの我慢ができなくて。いけない、なんてことは重々承知で、誰もいなくなったように見えた教室の片隅で、アプリを開いた。僕がハマっているのは、いわゆるアイドル育成ゲーム。お気に入りのアイドルたちをプロデュースして、デビューさせてあげるのがプロデューサーである僕の仕事。そんな推しユニットの新曲。僕が1番に聴いてあげなくてどうするというのだ。イヤホンをつけるのも煩わしくて。薄い箱型のスマートフォンから直接漏れるその歌声に、うっとりと聞き惚れていたまさにその時だった。
「えっ、それ…」
驚いたような声が斜め右後ろから響いてきて。一瞬で現実に引き戻されて、強い後悔と共に振り向いた僕の視界いっぱいに広がったのは嬉しそうに目をキラキラと輝かせたアキの顔だった。
「…っえ、あ、うわぁっ!?」
近い近い近い。
その端正な顔をそんなに近づけるな。誰も居ないと思っていた所に急に現れた人影っていうだけでも心臓に悪いのに、それがさらにびっくりするほど綺麗な顔だったらもう心臓が止まっちゃうだろ。そんなくだらない事を考えながら後ずさりした僕に、アキは興奮冷めやらぬ、といった体で、ずいとスマートフォンを突きつけてきた。いや、見せたかったのはその画面。僕が今まさに聴いていたものと同じミュージックビデオが、その画面で流れていたのだ。
「…え、君も、やってるの…!?」
この短時間で、一体何度僕は驚けば気が済むのか。初めて出会った同年代プロデューサーに僕の気分は一気に最高潮まで引き上げられて。ついでに首がもげてしまうんじゃないかと思うほどに頷くアキの姿にも嬉しくなって。これは後からわかったことだけど、アキも僕と同じで、今まで周りに同士が居なくて1人悶々と悶える日々を過ごしていたらしい。ともあれ、このやりとりを引き金に、僕とアキの距離は一足飛びに縮まったのだ。
縮まったとはいえ、僕たちが話す内容は推しアイドルのことばかり。お互いの好きなアイドルの生年月日からスリーサイズまで何もかもを知っているくせに、僕たちはお互いのこととなると、好きな食べ物すら知らなかった。もしかしたらぶどう味のグミをよくくれたから、それが好きな食べ物だったのかもしれない。ちなみに僕はぶどうよりコーラ味とかのグミの方が好き。ハードな食感のやつ。1度だけこんな会話をしたことがある。アキは心底興味無さそうにぶどう味のグミを二、三個まとめて口に放り投げていた。
お互いのことについて全く語り合わなくとも、同じ話題で盛り上がれるとなれば、僕たちは必然的に同じ時間を過ごすようになっていった。休み時間や給食の時間、体育のペア活動や掃除、放課後。ありとあらゆる時間を使って僕たちは語り合った。初めて見た時は取っ付きにくいと感じたアキの涼やかな目元は、笑うとくしゃりと細くなって、それが余計に長いまつ毛を強調させて、なんというか、凄く可愛いことに今更ながらに気がついて。勿体ないことをしたな、って、後悔した。アキの傍観者でいた時間。ほんの数週間だったけど、もっと早く知りたかった。本当にツボに入った時は、ぎゃはは、なんて見た目からは想像もつかないような下品な笑い声をあげながら転げ回るアキ。ぐしゃぐしゃになった髪を撫で付けながら「はぁ〜あ」って一息つく顔は、息が止まるほどに美しいと思った。一瞬前まで軽蔑の眼差しでアキのことを眺めていたとしても。
だから、それは当然というか、納得というか。当たり前の事のように僕には聞こえた。
「アイドルになりたいんだよね」
「……アキが?」
「他に誰かいるわけ?」
「いない」
「でしょ」
アイドルになりたいのだとアキは言う。僕はゲームの中の彼女たちをプロデュースする立場で見ていたわけだけど、アキはそこに自分を重ねて見ていたわけだ。きらびやかな衣装を身にまとって、華やかな舞台で歌って踊るアイドル。アキにぴったりだと思った。アキならなれるよ、って言おうとした喉は、何故かカラカラで。上手く声に出来なかった。アキが、アイドルになる。それは漠然とした夢物語なんかじゃなくて、確実に日常の延長線上にある事実のように感じられて、怖くなった。アキはアイドルになる。そうしたら、こんな小さな田舎町からからはいなくなる。僕の目の前から、いなくなる。急にバカみたいに悲しくなって、寂しくなって、俯いてしまった。つい何ヶ月か前までは僕の人生に登場すらしてなかったくせに、なに。いつの間に僕の中でこんなにデカい割合占めてるわけ。目の前が涙で滲む。泣いちゃダメだって、思えば思うほど、鼻の奥がツンと痛くなった。
「…え、なに。なんで急に黙ってんの?」
急に静かになって俯いた僕に、アキが不思議そうな声をかける。当たり前だ。僕だってさっきまで談笑していた相手が急にこんな状態になったら心配くらいする。アキは僕より少しだけ長い膝をちょっと曲げて、顔を覗き込もうとしてきた。アキの顔が近づいて、シャンプーのいい匂いがして。たまらず僕は走り出してしまった。ひよっとしたら、何か叫んでいたかもしれない。この辺はあんまり記憶がない。後ろでアキのドン引きしたような「えぇ…?」が追いかけて来た気がするけど、きっとこれも気のせいだ。
次の日、何事もなかったかのようにアキと接するのは僕にはハードルが高くって。一日中アキを避けてしまった。あからさまなその態度に、アキの堪忍袋の緒が切れるまではとても早かった。早々に教室を出ようとした放課後。いつもよりドスの効いた声が、僕を呼び止めた。
「おい」
「……はい」
ついでにランドセルの持ち手ハンドルを掴まれてしまった僕は、親猫に首根っこを噛まれた子猫よろしく大人しくアキに従うしかなかった。
「今日のあんた、一体なんなわけ!?なんであんなに避けられてるのか全っ然わかんないんだけどぉ!?」
おっしゃる通りでございます。昨日の今日でアキ様におかれましては怒り心頭になるのも無理はなく…とつらつら前口上を述べていた僕の目の前に急に降ってきた水滴。ぎょっ、と目を見張った。比喩じゃなく、ほんとに目玉が飛び出すかと思った。アキが、泣いていた。綺麗な目からぽろぽろと大粒の涙をこぼして。
「え、えっ、アキ…?えっ!?」
壊れたおもちゃみたいに「えっ」しか言えなくなった僕を、アキは真珠みたいな涙で濡れた瞳で睨みつけてくる。
「昨日、いきなり叫びながら走って帰ったと思ったら、今日、1回も喋ってくんないし、意味、わかんないんだけど」
どうやら僕は本当に叫んでいたらしい。これは本当に気のせいであって欲しかった。それはともかく、いきなり叫びながら走り去っていったこんな僕にでも、いきなり避けられたらそりゃ悲しいよな、と強く反省した。転校してきて、僕とは気兼ねなく話せるようになったアキだけど、他のクラスメイトたちはやはりどこかよそよそしく、それこそアイドルに接するかのように、アキからは少し距離をとっている。だから、今日一日、アキは転校したての時のあの居心地の悪さをずっと味わっていたのだろう。つん、と胸の奥が痛くなった。
「…ごめん。アキのこと、避けてたわけじゃないって言うか、自分でもよくわかんないって言うか…」
ずび、とアキが鼻をすする。スボンのポケットにあるティッシュを差し出そうか迷った。
「…昨日、アイドルになりたいって言ったの、引かれたのかと思った」
アキは自分のポケットからティッシュを取り出して勢いよく鼻をかんだ。こういう所も思い切りがいい子なのだ。
「それは、違う!」
僕はらしくなく語尾を荒らげて否定する。
「アキはアイドルになれるに決まってる!引いたりするわけが無い!」
「…っじゃあ、なんで!なんで昨日いきなり帰って、今日はずっと無視してたわけ!?」
「っ、それは…」
それは、アキが居なくなることが、怖かったから。
なんで。
アキとこうやって話したり出来なくなるのが寂しいから。
電話だってできるじゃん。
電話じゃ物足りない。
なんで。
直接会って話したい。
なんで。
なんで?
「アキのことが、好きだから」
つまりは結局そういう事だったのだ。僕はアキのことが好きだった。一目惚れだ。春に転校してきたアキのことを妖精だと思った浮かれた頭は、その時からずっとピンク色なのだ。頬の輪郭で遊ぶ短いふわふわの猫っ毛も、学ランに包まれたスラリと伸びた長い手足も、切れ長で涼やかな目元を飾る長いまつ毛も、全部好き。
「でも、そんなこと、言えないじゃんかぁ…」
お揃いの制服に身を包んだ僕らには決して芽生えてはいけない感情。だから遠巻きに、アイドルに彼を重ねて。この気持ちをずっと隠したまま一緒にいようって、思っていたのに。急にアイドルになるって言うから。
「僕の前からいなくなるって言うから…っ」
気がつけば僕の目からもぼろぼろと涙が零れていた。格好悪い。人生初の告白がこんなに無惨なものだなんて。もっと、なんか、こう、甘酸っぱいときめきみたいなものかとおもっていた初恋は、しょっからい涙の味がした。
「…誰も、あんたの前からいなくなるなんて、言ってないじゃん」
「アイドルになっちゃったら会えないじゃん」
「会えるよ」
「会えないよ!」
「会える!」
会える会えないだのの言い合いがしばらく続いて、お互いの涙もほんの少し引っ込んだ頃。アキがぽつりと呟いた。
「…会えるよ。俺、あんたのこと連れてくもん」
「…どこに」
「……どこまでも」
アキさ、自分が何言ってるか分かってる?って呆れたような声で咎めようとした僕の声は、ア、と発音したところで喉奥に戻っていってしまった。少し俯いて顔を隠すようにしたアキの、ふわふわの髪の毛から覗く耳が赤く染まっているのを見つけてしまったから。ぶわわ、って僕の頬もつられて赤くなるのがわかった。というか、全身が一気に熱くなって。
ねぇ、本当に何言ってるかわかってる?聞いたことがないくらい上擦った自分の声。かたかた震える指先は痛いくらいに高鳴る鼓動の余波。全身が心臓になったみたいにバクバク言ってる。してはいけない期待。ガチャで推しアイドルを引き当てたときみたいな高揚感。歓喜と戸惑い。色んな感情が一気に押し寄せて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、また叫びたい衝動に駆られた。叫んだっていいのかな。僕はまだ小学生で、アキもまた同じ小学生。鼻水垂らしながらその辺のカッコイイ木の棒を振り回す悪ガキなんだ。将来の夢を語るその一言で必死に取り乱せちゃうお子ちゃまな僕ら。この感情が本当に恋なのかの判断すら、ママに聞いてみないとわからないのだ。
どこまでも連れていってくれると言うのだ。なら僕は、どこまでもついて行こうじゃないか。小悪魔みたいに美しい僕の親友、改め、暫定僕の好きな人。




