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雨の日の記憶(8)~忠告~

 猫又征四郎との出会いから喜助にとって災難の日々が続いた。

 災難といっても彼から直接何かをされたわけではない。あくまで喜助がそう思い込んでいるに過ぎなかった。その中でも最たる内容といえばやはり、ハルとの関係が一番問題となる点だった。

 喜助の感覚からいってもやはりハルと遊ぶ時間が極端に減っていたのだ。ハルが勉学に励む為に毎日学校へ通わなければいけないので、当然喜助と一日中一緒にいるわけにはいかず自然と共にいる時間がなくなってしまうのは当然であったし、それはハルが学校へ通うようになった日からずっと変わらず続いていたことであった。

 しかしそれでもハルは学校から帰ったら必ず喜助を構ってやったし、学校で起きた出来事などを喜助に話して聞かせたりもしていた。ハルと離れている時間が増えてしまった喜助にとって、ハルと一緒にいる時間がより一層貴重で大切なものに変わっていったのも無理はなかったし、そんな時間が喜助にとって最も待ち遠しい時間になっていたのも当然といえば当然であった。

 喜助にとって最も大切な飼い主と共に過ごせる時間、最も幸せな時間。

 それはハルが喜助に、猫又征四郎を紹介した後にも忘れず続けてくれたのは確かであったが、明らかに以前とは異なっていた。喜助にとって一番幸福に感じられる時間に、あの男の話題ばかり提供させられることさえなければ……。


「ねぇ喜助。征四郎さんってね、とても面白い方なのよ。今までこんな男の人に会ったことがないわ」


『それだけの変態? ハル、特殊な男ってのはただの変態って言うんだぜ』


 勿論喜助の言葉などハルに理解出来るはずもない。

 喜助の厭味たらしい悪口などハルに届くわけもなく、ハルは笑顔のままなおも征四郎について語り続けた。


「征四郎さんのお家って代々陰陽師の家系なんですって。喜助、陰陽師って知ってる? 私はよく知らないんだけど、占いとか妖怪退治をしたりする人なんだって。征四郎さんにもその力があるみたいなの。私は幽霊とかお化けなんて見たことがないから、そんな存在を見たり話をしたり出来る征四郎さんがなんだか羨ましいって思う気持ちと、征四郎さん自身は怖くないのかなって不思議に思う気持ちとが入り混じって……だからかもしれないわね。征四郎さんのお話を聞いていると私の知らない世界を知ることが出来るみたいで、とても興味深いの」


 ハルはまるで自分にないものを征四郎が持っていることに強く惹かれているように語っていた。ハルには霊を見るどころか気配を感じることすら出来ない、そういった霊感が全くないごく普通の少女だった。だからこそ自分には到底触れることの出来ない世界に直接触れることが出来る征四郎に興味を抱き、好意を抱いたのかもしれないと喜助に話して聞かせる。

 ハルは霊界自体に興味を抱いたわけではなかったが、今の喜助に不安を抱かせるには十分な内容だった。




 ある日、ハルが学校から遅く帰宅した際に夜道は危険だと征四郎がハルの家まで送って来た。ハルの帰りが遅いことを心配していた喜助は、ハルが通う学校から家までの直線の道を何度も何度も往復してはハルを探していた時、二人一緒に夜道を歩いている場面を目撃してしまった。ハルが何者かに襲われたりしないよう、安全の為に征四郎が付き添っていたわけだが喜助にとっては征四郎自身も危険人物に変わりない。それでもハルは征四郎に完全に気を許し、呑気に会話をして歩いている姿に喜助の胸はざわめいた。

 

『ハル……、オレがどんなに心配してたか……お前にはわからないのかよ。いつもなら真っ直ぐに家に帰って来るはずなのに。もしかしてこんな遅くまでそいつと一緒にいたんじゃないだろうな?』


 喜助の嫉妬は止まらなかった。相手はハルと同じ人間であり、自分はただの猫……飼い猫に過ぎない。だが喜助にとってハルは自分と同等の存在であると同時に、かけがえのない飼い主に他ならなかった。いつしかそれが独占欲に繋がっていることに気付いていない喜助は、人間である征四郎に対する憎しみを抑えることが出来ずにいたのだ。

 やがてその思いはハルへも向けられていることすら、喜助は気付いていなかった。

 喜助は他人の家の屋根伝いから二人を瞠りつつ後をついて行く。二人は楽しそうに会話をしながら真っ直ぐにハルの家に向かっている様子だ。時折聞こえてくるハルの笑い声が更に喜助の心を揺さぶる。

 その微笑みは自分だけのもののはずだったのに。

 自分以外とこんな風に楽しそうにするなんて、許せない。

 そんな思いが喜助の心を支配していた時、ふと征四郎が喜助のいる方へと振り向いた。その刹那、喜助は思わず身を隠してしまう。こんな夜遅くに、猫が屋根の上を歩いていたところで何を不思議がる必要があるのだろうか。しかもこんなに暗い夜道、わずかな月明かりで猫の目が反射して征四郎に存在を知られることもあるだろうが、それが喜助だと断定出来るとも思えない。

 確かに喜助の毛色は珍しかったが、光の乏しい闇夜の中で果たして喜助の毛色をはっきりと見分けられるだろうか。そう、征四郎が振り返ったところで二人を見張り、後をついて行く猫がハルの飼い猫だと彼がはっきりと断定させることは殆どないはずだった。それならば彼が喜助の姿を見つけたところで、相手はただの猫だ。人間である征四郎がそんな「ただの猫」を訝しんだりする必要があるだろうか? 

 そう、そんな必要はないはずだ。

 なのに喜助は反射的に征四郎の視線から逃れようとした。それも咄嗟に、どこか怯える程の勢いで。

 征四郎はじっと上を見上げ、何者かの姿を探した。その時ハルがどうしたのかと声をかけ、ようやく屋根の上から視線を外すと再び二人は帰路を急いだ。

 喜助の心臓は今にも胸を突き破るような勢いで高鳴り、動悸がかなり激しくなっていた。二人がやっと歩きだしたことを確認すると、喜助は今度は更に慎重に二人との距離を大きく取りながら、それでも見失うことのないようにゆっくりと後をつける。


 喜助は初めて征四郎に恐怖していた。

 圧倒的な力で威圧されてるような、そんな恐怖感が治まらない。

 征四郎という男は明らかに他の人間とはどこか異色だった。それは見た目とか態度とか、そういった表面的なものではなく、喜助自身にもうまく表現出来ないが、それは目に見えない力のようなもので自分の存在すら圧倒するような、そんな圧力を感じたのだ。

 言うなればこの世で最も最悪な天敵に出会ったような、対峙するような、そんな感覚に近かった。

 やがて喜助は理解することになる。喜助にとってとても最悪な運命が、この後待ち受けていることに。


 ハルが家に戻った時、喜助は自分が家にいないといけない。 

 喜助は二人が家まで近付くと先回りして家に辿り着き、何食わぬ態度で玄関先に待機した。ハルが学校から帰宅する際、喜助は玄関先でハルを出迎えるのが通例となっていたのだ。

 喜助にとってそれが飼い主であるハルへの礼儀でもあったし、それが自分自身のハルへの愛情表現のひとつであった。

 やはり現れたのはハルの姿だけではなかった。そこには猫又征四郎の姿もある。喜助は先程の恐怖心を払いのけるように心を強く持って、精一杯平然を装った。

 ハルが喜助の姿を見つけ、ただいまと声をかけるとそのまま抱き抱える。喜助は嬉しそうに甘えた声を出しながらごろごろと喉を鳴らした。その光景を目にしながら、ふと征四郎がハルにあることを訊ねた。


「ハルさん、そういえばこの猫……喜助は今年で何歳になるんですか?」


 征四郎の突然の質問にハルは一瞬目を丸くした。喜助もまた自分に興味を持たれたことに怖気を感じる。

 しかしそのすぐ後にハルは征四郎が喜助に興味を持ってくれたのだと思うと、快く答えた。


「喜助は拾い猫だから正確な誕生日はわからないんだけど、私が見つけた時は生後数日って感じだったわ。だから今年で大体十歳は迎えてると思うの。猫にしてはとても長生きでしょう? このまま喜助にはもっともっと元気でいてほしいけど」


 ハルは笑顔でそう言うと、心から喜助の健康と長寿を願い、喜助に頬ずりする。頬ずりするとハルの頬に喜助の毛が付いて来たが、それに慣れているせいかハルは喜助を抱っこしながらも何とか片手で顔についた毛を振り落としていた。

 ハルが喜助を愛しく撫でている光景を気にすることなく征四郎はしばし考え込んだ後、奇妙なことをハルに告げる。


「……ハルさん。喜助はよく外を歩き回りますか? 時間帯など関係なく」


「え? えぇ……、基本的に喜助は放し飼いにしてるから。猫は縛られるのがよくないみたいで、自由に家を出入りさせてるけど」


 それからまた征四郎は少し考え込むと、重い口を開くように話し続けた。


「そう……ですか。ハルさん、喜助はもう放し飼いにしない方がいいかもしれないです。奇妙な事を言ってるかと思うでしょうが、その。喜助は猫の年齢でいったら高齢の部類に入りますからね。どんなに元気そうに見えても、十年を超えた猫は老齢なんです。外にはどんな危険があるかわからないですから、室内で飼うようにした方がいいですよ。喜助は不満に思うでしょうが、不慮の事故が起きるよりずっとマシだと思いますし」


 忠告するような口調で征四郎が告げる。ハルはそれを聞いて少し怪訝に思った。しかし征四郎の言葉にも一理あったのは確かである。ここ最近では自動車というものが流通していて、自動車が道を走ることが珍しくなくなっていた。それによって道を歩く際には十分注意するように周囲からよく言われていたのだ。

 それは人間だけでなく自動車という存在を理解出来ない犬や猫の類の方がもっと注意しなければいけないことだろう。征四郎はそれを懸念し、忠告してくれているものだとハルは察した。

 少し唐突のように聞こえたのも確かであったが、それに逆らう理由もハルにはなかった。

 まだ完全に鵜呑みにしたわけでもないがハルは征四郎の言葉に礼を言い、今後喜助を一匹で歩き回らせないようにすると誓う。

 その時、家の中から次男坊がハルを心配し玄関まで急いで出てきた。

 外出してる際の連絡手段が少ない為、帰宅が遅くなることを告げられなかったことは仕方ないが、それにしては遅すぎると次男坊から説教をされている時、ハルから解放されていた喜助の側に近寄る存在があった。

 玄関先で説教されているハルの背中を見つめている喜助に、征四郎が声をかける。猫に向かって話しかけるという光景は実に奇妙なものだった。ましてや喜助と征四郎は全くの他人、何の関係も関連もない者同士だ。


「喜助、お前に俺の言葉が理解出来ているのなら是非聞いて欲しいことがある」


 その言葉に喜助は違和感を覚えた。今まで他人が猫である喜助に向かって真剣に話しかけてきたことなんてただの一度もなかったからだ。それは初めての経験であるし、何より気持ち悪いものだった。

 この人間は喜助が人語を解するという事実を理解して、その上で話しかけている。

 その事実があまりに不気味で、喜助は思わず反抗する態度を忘れてしまい、その場に固まった状態で征四郎を見上げていた。


「これから先、お前は選択を迫られる。それはお前の一生を左右する大きな選択だ」


 唐突にそう告げられ、喜助はわけがわからないままオウム返しのように聞き返す。


『選択? 一体何の選択を迫られるってんだ?』


 相手は猫又征四郎、しかし喜助は征四郎の神妙な面持ちから何か重大なことを知らされているのかという緊張感が芽生え、つい相手が敵であることを忘れ素直に問うていた。しかし征四郎はそんな喜助の問いに答えることなく、そのまま話を続けた。

 まるでハルがいない間に、この瞬間にしか告げることが出来ないとでもいうような様子で、征四郎の目線は真っ直ぐと玄関の方で次男坊と話をしているハルから逸らさぬよう注意しながら、喜助に向けて言葉を発する。


「お前は近い内、残酷な選択をしなければいけなくなる。だがそれは選択次第で回避出来るものだ。お前が本当に心の底からハルさんのことを大切に思っているのなら、そして残酷な選択を回避したければ、しばらくの間外出するのを控えた方がいい。俺から言えるのはこれだけだ」


 無表情の中に切羽詰まったような焦燥感を漂わせた征四郎の横顔から、それが真実味を帯びた言葉だと理解した喜助は不安に駆られた。突然敵だと認識している人間から意味不明な言葉を投げかけられ、その詳細を説明されることもないままああしろこうしろと言われたところで素直に従えるはずがない。

 むしろその言葉の真意を、理由を話してもらわなければ納得出来るわけがなかった。

 不安が増している喜助は自然と声の音量が上がって、追いすがるような形で征四郎に詰め寄る。


『おい、わけわかんねぇぞ! お前は一体何の話をしてるんだよ! ハルが何だって? 選択って一体どんな選択なんだよ! それを言ってくれなくちゃどうしようもねぇだろうが! なぁおい!』


 どうにか征四郎から詳しく聞いてやろうと詰め寄った喜助であったが、傍から見れば大きな鳴き声を上げて征四郎を威嚇している光景にしか映らず、玄関先から喜助の鳴き声を聞きつけたハルが慌てて戻ってきた。


「まぁどうしたの、喜助! 征四郎さんにおいたをしちゃいけないわよ」


 喜助が野生の本能を剥き出しにして征四郎に襲いかかろうとしているように見えたハルが、征四郎から喜助を引きはがすように抱き上げると、まるで人間の赤ん坊を宥めるように「よしよし」と言いながら、優しく背中や頭を撫でつけて落ち着かせようとしていた。

 しかしそんなことで喜助が落ち着くはずもない。征四郎からまだ何も真相を聞き出していないのだから。

 せめてこれから自分の身に何が起きるのか、誰から何を選択させられるのか、ハルと何の関係があるのか。

 何か知っているであろう征四郎からそれらを聞き出さない限り、喜助が落ち着くことなど不可能だった。


『言えよ! 言えってば! お前はオレに何が言いたいんだ、答えろよっ!』


 一向に落ち着く気配を見せない喜助に対し、ハルは困ったような表情で征四郎を見つめると、ひとまず家まで送ってもらった礼を言うとこのまま帰ってもらうよう促した。

 征四郎もまたハルというより喜助を気遣うような眼差しで何度か振り返りながら、一礼すると門外へと消えて行った。



 残酷な選択?

 ハルを大切に思うなら?


 そんなことをお前に言われる筋合いなんてない。

 オレはお前なんかよりずっとハルを思ってる!

 大切に思ってる!

 だから何を言ってるか知らないが、お前に心配される謂われなんかねぇ!

 このオレがハルを襲うとでも言うのか。

 そんなことをこのオレがするはずない!

 ハルを傷付けることなんて、このオレがするわけないんだ!

 他の奴等にもそんなこと絶対させない!

 このオレが絶対にさせないんだ!

 オレがハルを守るんだから、この先一生!

 あいつの言う通りになんかならないんだ、絶対に!


 

 ――やっぱりオレは、あいつのことが大嫌いだ!

 



毎度のことながらトロトロ更新ごめんなさいです。

スランプというわけでもないのですが、どうにもプライベートが忙しく執筆する為の十分な時間が取れず、集中力も長く続かないという状態がずっと続いてこんな体たらくになってしまってます。

楽しみにしてくれてる読者様には大変心苦しいです。

完結だけは必ずお約束しますので、どうぞ長い目で見守ってくださったらありがたいと思います。


今後も一ヶ月更新、あるいはそれも叶わない月があるかと思われますが、今後も「猫又と色情狂」をよろしくお願いいたします。

重ねて、ここまで読んでくださり本当にありがとうございますm(_ _)m

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