今はまだ見つからない答え
慶尚からの思いがけない質問に君彦は戸惑い躊躇った。
なぜ今この話なんだろう、というのが質問に対する最初の印象である。今は響子に起こった状況を何とかしなければならない時のはずだ。なのになぜ今この時に自分が「何から響子を救うつもりなのか」と問われなければいけないのだろう。
どう答えたらいいのかわからない君彦が考えあぐねていると、君彦と同じように戸惑った響子が口を挟んでかばおうとした。
「ちょっとあんた、今はそんなこと聞いてる場合じゃないでしょ!? そりゃそんなことあたしが言えたことじゃないかもしれないけど、とにかくその質問は今の状況から見て論点がズレてるんじゃないかしら!?」
響子の言葉に対してすぐ隣から聞こえるか聞こえないかという程度の小さな声で「確かに言えた義理じゃないわね」と黒依が呟いたのが微かに耳に届いた気がしたが、とりあえず今は黒依の言葉に対して突っ込みを入れている場合ではないと判断したので響子は無視して慶尚だけを睨み続けていた。横から割って入るように響子が絡んで来たので多少鬱陶しそうな態度をあからさまに出した状態で大きく溜め息をつくと、慶尚は両腕を組みながら君彦や響子にもわかりやすく伝える努力をしてみた。
「関係大アリだ。仮にさっきの状態が全て色情霊の仕業だとしたなら、犬神なり猫又なりをお前の側につけて一時的にでも色情霊を排除しさえすれば今後何も問題ないだろう。だが今回の出来事は色情霊が強く関係しているようには思えなかった。少なくともオレの目にはそう映ったってだけだがな。悪霊関連とは全く関係のない問題だとしたら、オレ達みたいな霊能者に何が出来ると思う?
オレも犬神達も悪霊や物の怪を浄霊、あるいは除霊することが専門分野だ。
生身の人間同士のいざこざなんて全くの専門外になるんだよ。それなら解決方法が全く異なるのは分かりきってることだろうが。だからオレはこいつに聞いたんだ。どういう形で志岐城のことを助けるつもりなんだとな。
色情霊を何とかしたいのか、それとも志岐城の人間関係を何とかしたいのか。話し合うべき論点はそこだろう。
だがこいつの言うことは要領を得ない。だから話し合う内容を簡潔にさせる為に、今この質問をぶつけたんだ」
きっぱりと言い放つ慶尚に響子は言葉を失った。これ以上反論のしようもなかったのだ。確かに慶尚の言うことは的を射ている。間違っているとは思えない。何よりその問題の中心人物である響子自身がこれ以上何かを口出しすること自体、どこか躊躇われるものがあったのでそのまま身を引くしか他に方法はなかった。
響子が引っ込んだことにより話は再び君彦の方へと自然に戻る。慶尚の視線が君彦を捉えた。君彦は今言われた言葉を思い返すように何度も頭の中で反芻させ、誰もが納得いくような理由を探した。感覚だけで答えるものじゃない。今までは感覚で言ってた部分が少なからずあったのかもしれないという思いがあったからだ。
曲がったことは許せない。困っている人がいたら助けてあげたい。みんなを笑顔にしたい。そんな思いが強いくせに、具体的に何をどうするかまでの答えは用意していなかった。いつもその場しのぎで解決させていた部分が大きかった。その時その時の判断でうまくいっていたに過ぎない。だからそれはあくまで「感覚」という形で行動していたに過ぎないと、君彦は判断していた。
しかし今回ばかりは事が大きいだけに感覚だけで答えを出すわけにはいかなかったことも自覚している。いや、慶尚の言葉によって自覚させられたのかもしれない。これまで自分がしてきたことはとにかく答えがはっきりしていた。単純明快だった。
ほんの少し手を貸すだけで解決出来るような問題ばかりだったので、これからもそれでいけば自分が何も困るようなことはないと間違った判断を下していたのだ。
しかし慶尚の言葉で君彦は目が醒めた気がした。自分がどれだけ甘かったか。深く物事を捉えていなかったか。そして悪霊関係に関しても、自分にさほど力があるような人間ではなくただ幽霊が見えるだけの存在でしかなかったことに、今更ながら痛感した。
自分は祖父とは違う。明らかに違い過ぎる。祖父である征四郎はとても偉大で聡明で、頼りになる男だった。しかし自分はどうだろう。悪霊を祓う力がなければ知識も何もない。慶尚の言う通り自らそういった知識を得る努力をすることも、力を身につけることもしなかった自分が、悪霊関連で困っている人間を救おうなんて無謀過ぎたのではないだろうか。
自分は祖父とは決定的に違う、――全く異なる人間なのだ。祖父のようにはなれない。少なくとも今のままの自分では。
だが君彦は思う。今こうして自覚した所で一体何になるんだろう。
響子は今この瞬間困っているのだ。助けてやりたい。しかし今回の問題は色情霊という悪霊が全般的に悪いせいではない。むしろ生身の人間同士の対立なのだ。幽霊が見えようと、知識を得ようと、力を身につけようと、それらは今抱えているこの問題に対して何の役にも立たないではないか。
今更ながらあまりにも的確過ぎる問題を指摘され、君彦は完全に返す言葉を失っていた。
どうすればいいのか、君彦自身わからなくなってしまった。これが仮に悪霊関係が全ての原因だったとしたらそれなりにいくつか解決策が思い付く。
君彦自ら悪霊に対して言葉をかけ、説得し、改心させるよう試みるか。それが不可能であれば少々強引ではあるが猫又の力を借りて、力づくで悪事を食い止めるか。後者に限っては明らかに他の者の力を借りているが、悪霊を力づくでどうにか出来ない無力な君彦には猫又の力を借りること以外に思いつかない。悔しいがそれだけはどうにもならないと半ば諦めている節もあった。
しかし今回は猫又の力を借りた所でどうにもならない。相手は生きた人間なのだ。生きた人間に対することが出来るのは同じように生きた人間である君彦が何とかするしかない。しかし一人二人相手ならまだしも、見た限りクラスメイトのほぼ全員に対して働きかけなくてはいけないと把握した時点で、そんな多人数相手に自分一人の言葉が届くんだろうかという疑問がどうしても拭えない。
友達である響子を救いたいと思っている君彦が弱気になっていた。
自分は決して凄い人間ではない。超人でもなければ饒舌な人間というわけでもない。どこにでもいる普通の、ただの高校生だ。あれ程たくさんの悪意ある視線に晒されて、臆さない人間などいるだろうか。
どうにか自分を奮い立たせようとする。守ると口にした人間の心が真っ先に折れてどうするのだ。慶尚に指摘され目が覚めてから、君彦は今までに感じたことのない焦燥感に襲われ、そしてそれを懸命に払拭させようとしていた。ここにいる者達に自分が臆病で情けない男だと思われたくなかったから。何があったとしても、自分はいつでも明るく元気で前向きな男なんだとそう思われたかった。
頼り甲斐のある男だと、そう捉えて欲しかった。だからこそ今こうして何の策もないのに必死になって響子を救う手立てを見つけようと、どうしても気持ちが焦ってしまっているのだ。
慶尚の指摘により黙り込んでしまった君彦のことを、黒依も響子も心配していた。問題の中心である響子は先程と同様に何も言うことが出来ず、手をこまねいて見ているしかなかった。いつもならここで虚勢を張って自分一人で何とか出来ると口から出まかせを言って、その場を乗り切っていたところであったが、響子が置かれている状況や立場を一番見られたくない人物に見られたことによって、気持ちが急激に萎んでしまっていたのだ。気の利いたことが言えない。言える立場じゃないかもしれない。そんな思いがある為に、無理してでも君彦をかばおうとする言葉が出て来なかったのだ。
黒依に関しては状況を見守っているという感じであった。心配そうに君彦と慶尚を交互に見つめているが、そこで響子のように割って入るような真似はせず、静かに事の顛末を窺っている様子だ。しかしその瞳の奥ではここぞという展開になった時、容赦なく君彦の応援に入ろうとする意思が込められていた。例え慶尚が全てにおいて正しい言葉を述べていたとしても、黒依は君彦側に付く気でいる。そして自分はその手助けをしようと心の中で既に決めている。
黒依の心は最初から既に決まっているものなので、どのような展開に陥ろうとも慌てることなくただ黙って静かに見守ることを貫いているのだ。
『別にそんなもん放っときゃいいじゃねぇか』
沈黙の中、猫又がどうでもいいというような口調で言い放った。その一言に全員の緊張の糸が切れたのか、君彦に至っては真剣に思い悩んでいたこともあってその衝撃は他の者の比ではない。必死になって答えを探している自分のことを馬鹿にされたような気持ちになって、今にも猫又に向かって怒声を上げそうになった。
しかし君彦が一人で勝手に怒り狂う姿を見慣れている猫又はそんなこと露知らずといった風に無視すると、全員を見据えながら更に言葉を重ねて行く。
『こいつが浅はかなのは今に始まったことじゃねぇし、それ位わかってこっちは放置してんだ。今更どうこう言って足掻くようなネタでもないだろうが。もし君彦にそんな思慮深さがあったんならこちとら最初から苦労はしてねぇんだよ。それにいじめやらなんやらっていう問題に関してはテレビでもよくやってる内容だろ? 外部の人間が何か訴えかけたって、いじめてる側に届くとは限らねぇ。むしろ届かないまま、表面的には和解したつもりでも、腹ん中ではこっちのことを馬鹿にしてるってのがオチだ。今この場でソッコー解決出来るような問題じゃねぇんじゃねぇかってことなんだよ、こういうのはな』
「でもそれじゃこれから先、志岐城さんはどうしたらいいって言うんだよ!? 今何とかしないとこれからまたお昼休みが終わったら教室に戻らないといけないんだ。あんな険悪な場所に一人で戻らなくちゃいけないんだ! その辛さ、お前にわかるのかよ!?」
『お前だって全部わかってるわけじゃねぇだろうが』
「――うっ」
すかさず返され、怯む君彦。猫又は構わずに続けた。
『何でもかんでも今すぐ解決しようと思うなって言ってんだよ。どうせお前の力なんてたかが知れてんだ、犬塚の言葉でそれはもうわかったことだろうが。だったら今は我慢するっきゃねぇだろ』
完全に言い負かされている君彦であったがどうにも猫又の言葉の全てに納得がいかないのか、悔しそうに唇を噛みながらどうにか解決策が思い付かないか躍起になっていると、溜まりかねた響子が声を上げた。
その声音はどこか無理にでも明るく振る舞おうとしているようにも聞こえる。
「もういいわよ猫又……、もういいってば。考えてみればこいつの言う通りよ、あたしが我慢すればいいだけの話。でもこれはあんた達のことを信用してないから一人で耐えるって意味じゃないから勘違いしないでよね? 色情霊以前の問題だとしたら、この件はあたしに原因があるってことにもなるんだし。だからどうしたらいいのか、あたし一人で悩むんじゃなくて猫又……。あんたにもこれから一緒に考えてもらうことにするから、だから今はそんな風にあたしのことで思い詰めたりしないでよ。何だかあたしが悪いみたいじゃない! わかった? とりあえずはこのまま我慢してやるって言ってんの! だからあんたもそんな顔してないで、何かいい案思いつきなさいよね!」
力強く人差し指を君彦に突き付け、宣言する。口では強がっているものの、その言葉の意味は君彦に向かって助けを、救いを求めていた。もう一人で戦ったりしないと、響子はそう言っていた。
その言葉に君彦の方が救われた気がした。勿論響子が一人で我慢するということに対して納得したわけじゃないが、響子の口から自分を頼っているという言葉を聞けたことに、君彦は喜びを感じずにはいられなかったのだ。
まるで喝を入れられたかのように君彦の顔に少しだけ笑顔が戻ろうとした時。
「さっすが~、それでこそ志岐城さんだね! ほら、志岐城さんもこう言ってるんだからあんまり君彦クンが深く考え込む必要なんてないよ、なるようにしかならないんだから元気出して行こう? 犬塚クンの言葉もこれからゆっくり考えていけばいいと思うし」
「ま、別にこいつがどんな答えを出そうがオレはどうでもいいんだけどな。ただあまり矛盾したことを軽いノリで言わないで欲しいだけだ。オレがイラつくから」
「結局はそっちが本音ってわけね、あんたの場合……」
慶尚もまた答えを保留することにひとまず合意したのか、軽口を叩くことでその意を表した。響子がすかさずその言葉に突っ込みを入れたのは、すっきりした所を君彦に見せる為だ。
半ば強引にも見て取れたが普段の風景に戻りつつある三人のやり取りを見ながら、君彦は改めて自分に大きな課題が与えられたことを実感する。
慶尚が言ったことは、悔しいけれど正しい。
いずれはそれと正面から向き合い、自分に何が出来るのか、何をすべきなのか、その答えを見出さなくてはならない日がきっと来るだろう。それまでは彼等と共に、いつもの日常を送りながら見つけて行こうと思う。
確かな答えが出たわけではなかったが、君彦は口元を緩め、静かに微笑んだ。
その笑顔を見た猫又もまた、手のかかる子供をあやすような様子で誰にも悟られることなく柔らかい笑みを浮かべた。