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マタタビと猫娘

 ひとまず発情期のせいで追い掛けて来るメス猫達を退けた猫又は、涼子の店でしばらく身を隠すことにした。

 カウンターの席に飛び乗り、前足をテーブルに乗せてくつろぐ猫の姿は何とも奇妙な光景である。

 涼子は乱れた髪や着物を直しつつ猫又に何かを勧めようとしたが、他所で間食をしたら君彦に怒られると理解している猫又は涼子の厚意を断った。

 普段猫又はあまり猫目石に顔を出すことはない。

 それこそ気が向いた時にふと店の様子を見に来るだけであった。

 しかしここ最近猫又がよく店に来るようになってから、涼子の機嫌は割と上向きになっている。

 朝方から猫目石にあまり足を運ぶことのなかった猫又は何だか妙に落ち着かず、店内をきょろきょろ見回していた。

 そわそわしている猫又の様子が気になり、涼子は苦笑しながら声をかける。


『あら、一体どうしたの猫又さん?

 そんなにそわそわしちゃってさ、いつもの図々しい猫又さんらしくないじゃない』


 からかうよう言う涼子に、猫又はむすっとした表情になって言葉を返した。


『図々しいは余計だ。

 いや……、何かやっぱまだ営業前だけあって店ん中がやけに静かだなって思ってな。

 考えてみればいつもオレ様がここに来るのはもっぱら夜だったし、そりゃ静かで当たり前か。

 そういやカナの奴はどうした?

 また君彦のストーキングでもしてんのか?』


『あらやだ猫又さんったら、ストーキングだなんて酷い言い方ね!

 君彦さんの様子を猫又さんの代わりに見てもらうように頼んだのは、どこの誰だと思ってるの!?』


 猫又の言い方にカチンと来た涼子はすかさず言い返した。

 しかし猫又はそんな涼子の反感には耳を貸さず、皮肉たっぷりの笑みを浮かべながらカウンターの上で頬杖をついた。


『カナがいたらひとっ飛び君彦ん所に行って、オレが今猫目石にいるって伝えてもらおうと思ったんだがな。

 いねぇもんは仕方ねぇか』


 それだけ言い残すと猫又はカウンターの席からぴょんっと飛び降りて、玄関先へ向かおうとした。

 明らかに店を出て行こうとする猫又に、涼子は思わず声を上げて呼び止める。


『あ……っ、猫又さん……!

 もう行っちゃうの!?』


 普段は温厚ではんなりとして、猫又を叱りつける時は鬼の如き威勢ある口調になる涼子が、珍しく悲しそうな声を出したので猫又は思わず足を止めて振り返った。

 何か用事があるなら聞いてやる、という頼りがいのある目で涼子を見つめる猫又。

 そんな勇ましさを感じさせる猫又の大きな瞳に、涼子は頬を赤く染めてつい俯いてしまう。

 着物の袖口を弄りながら、涼子は視線をわずかに反らせて遠慮気味に口を開く。


『あ……えっと、その……ね?

 せっかくお店に来たんだし、そんなすぐに帰らなくてもいいんじゃないかなって……。

 さっきも言ったように君彦さんにはカナが付いてるから、心配いらないんじゃないかしら?

 何かあったらすぐウチに知らせに来るようにしてるし……、少しの間なら問題ないと思うの』


 どこか落ち着きの無い涼子の態度に猫又は少々訝しげに感じたが、涼子の気持ちを察すると猫又は玄関口へ向かっていた足を止めてそのまま踵を返すとカウンター席へと戻った。

 涼子の言葉に素直に従った猫又を見るなり表情を明るくさせ満面の笑みを見せた涼子は、嬉しさの余り気分が高揚したのか、いつもの落ち着きある仕草から打って変わって、急にそそくさと忙しない動きに変わる。


『まだお店の時間じゃないけれど、何か食べる?

 あ、それとも君彦さんから外での食事は禁じられてるのかしら。

 でもちょっとつまむ位なら君彦さんも許してくれるわよね』


 舞い上がったように涼子が冷蔵庫の中身を物色したり、棚の中に何か軽いつまみがないか探し出したので、猫又はそんな涼子の珍しい姿を見て苦笑しながら少し落ち着くように言葉をかけた。


『おいおい、そんなに気ぃ使うことねぇって。

 用事が済んだらすぐ君彦の所へ戻るんだからな、だから別に何もいらねぇよ』


 何より今の猫又は出来る限り君彦の側にいないといけない。

 この先何が待ち受けているかわからない以上、猫又は一刻も早く神通力を最大値へと戻す必要があった。

 力の最大値がどれ程なのか猫又自身にも定かではないが、少なくとも力を思う通りに操れるようになり、そして肉体的な疲労感や倦怠感が完全に抜けるまでは本調子ではないことだけはわかっていた。

 今の不調な状態で君彦の側にいたところで、何かあった時に守ることが出来なくなってしまう。

 君彦を守ること、かつて愛した飼い主と唯一無二の好敵手であった征四郎とのそれが約束であったから。


 だが猫又は一時的にではあるが猫目石に留まることを良しとした。

 それはいつもと様子が違う涼子の様子が気にかかったからである。

 涼子は心に抱える不安や悩み、問題などを一人で抱え込む癖があった。

 可能な限り自分一人で解決させようと躍起になり、そして結果的には潰されてしまい、それで何度手を貸したことだろう。

 小さな問題に対し、誰の助けも求めず、それが迷惑になると捉えて抱え込んだ挙げ句に小さかった問題は次第に膨れ上がって行き、涼子一人で抱えられなくなる所まで大きくなった所で、結局の所猫又が力を貸して問題を収束させることを何度も経験してきた。

 だからこそ普段と様子が異なる涼子の態度を見た瞬間、また何かの問題を一人で抱え込んでいるのかと察した猫又は、それを涼子から聞き出す為に猫目石に残ったのであった。

 しかし単刀直入に訊ねた所で涼子は素直に何でも話す性格ではない。

 猫又の力を軽視しているわけではなく、猫又が口で文句を言いながらも最終的には全面的に協力してくれることを他の誰よりもわかっていた涼子だからこそ、軽々しく問題を口にして猫又に迷惑をかけるわけにいかないと、そう配慮する為だった。

 そんな性格だと理解している猫又は、どのようにして涼子の胸の内に秘めている思いを吐き出させようか試行錯誤してる時だ。

 猫又が自分の言葉に従って居残ってくれたことに相当嬉しかったのか、普段ヘマをしない涼子は珍しくドジを踏んでしまった。

 先程発情したメス猫達を酔わせる為に使用したマタタビがたっぷり入った袋をしまおうと手にした時、足元を滑らせてそのまま袋に入ったマタタビを頭からかぶってしまったのだった。

 中身はそれ程残ってなかったので大量にかぶることはなかったのだが、それでも涼子はマタタビを吸い込み、そしていくらか口に含んでしまい、ふらついて床に尻もちをついてしまう。

 大きな音を上げて倒れてしまった涼子を見て、猫又は驚きカウンターから勢いよく飛び出して涼子の元へ駆け寄る。


『おい涼子、お前何やってんだよ!?』


 呆れたような、しかし心から心配しているような声を出す猫又。

 涼子は咳き込みながら何度か両手で顔に付いたマタタビを払おうとする。

 払った粉末がマタタビだと察した猫又は自分も吸い込むまいと少し後ずさりして、前足で鼻と口を覆った。

 

『大丈夫、大丈夫よ猫又さん。

 マタタビはそんなに残ってなかったから、ほんの少し入っただけで……』


 そう口にした途端、涼子は目眩でもしたように一瞬ふらつき、それからマタタビを払っていた手を見るなり、一口そっと舐めた。

 手に付いたマタタビをぺろぺろと舐め出した涼子を見て猫又は慌てて声をかける。


『おいおい、何どさくさに紛れて食ってんだよ!?

 いくらマタタビが大好物だからって朝っぱらから酔っぱらうつもりか、お前は!?』


 しかしそんな猫又の制止する声が耳に入って来ないのか、涼子は無心に手を舐めた後、放心状態になったかのようにぼうっとしてただ一点を見つめていた。

 それから涼子を心配して側に寄り添った猫又の方へ視線を移すと、涼子の両目はとろんとしている。

 涼子の様子を見るなり猫又は嫌な予感でもしたのか、涼子がマタタビで酔っ払っていると断定すると涼子から距離を離す為にじりじりと後ろへ下がろうとした。

 ――――しかしそんな猫又の行動を涼子の片手が制止する。

 むんずと猫又の脂肪で伸び切った首根っこを引っ掴むと、涼子はわずかに表情を緩めながらゆったりとした口調で話しかける。


『猫又さん……、ウチ……何だか体が熱くなってきちゃった。

 それにどうしてかしら、猫又さんを見てると体が疼いて仕方ないの。

 ねぇ……、お願いがあるの。

 猫又さんのこと、抱っこしてもいいかしら?』


 うっとりとした眼差し、そして緩やかな口調。

 だがしかし猫又を放すまいと掴んだ涼子の手は、容赦ない力で自分の方へと引き寄せようとしていた。

 猫又は恐怖におののいたように全身の毛を逆立てて、何とか引き寄せられる力に反発しようとしたが無駄だった。

 爪を全開に立てて抵抗するも、床に引っ掻き傷が残る程の勢いで引きずられ、猫又は呻き声を上げる。


 そして察した。

 涼子の今の様子が、彼女達と酷似していたことを。

 定期的に訪れる恐怖の季節、本能には決して逆らうことが出来ない。

 それは『普通』の猫にしか訪れない衝動だと思っていた。

 少なくとも今までの間、涼子が理性を失い本能のままに行動するようなことが一度たりともなかったから。

 しかしマタタビの効力によってその理性を強制的に喪失させてしまった今の涼子に、これまで持っていた冷静な判断が成立するはずもなかった。

 

 そう、今の涼子はとても危険だ。

 彼女の様子は明らかに、外で猫又を追い掛け回してたメス猫達のそれであった。


 ――――発情してる!


 殺気にも近い様子を感じ取った猫又は自身の貞操に危険が迫っていることを瞬時に察し、本能的に涼子を恐れていたのだ。

 このままでは非常にマズイ。

 猫又は首根っこを掴まれたまま、そして如何にしてこの状況から逃れるか。

 奇声に近い断末魔を上げながら必死でその方法を詮索した。


 

 

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