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一筋の光


「あの……志岐城さん!?

 オレ、何か気に障る事でも言ったかな?」


 全くわかっていない君彦のことを不快に感じながら、響子はまたしても怒りを露わにした口調で返す。


「気に障るも何もないわよ、あたしはそういう綺麗事を聞かされると鳥肌が立つのっ!

 えぇいいわよ、どうせあたしの性格は歪んでるわよ!

 だから今更何だって言うわけ、ずっとこの性格で生きて来たんだから仕方ないじゃない!

 結局あんたとあたしじゃ住む世界も環境も何もかも、相性最悪だったってわけよ!

 あんたもこれ以上あたしに関わって痛い目を見たくなかったら、もうあたしに話しかけないでよ!

 これ以上関わらないで、迷惑だからっ!

 もうイヤなのよ……っ!」


 これ以上君彦を殴るのは。

 その言葉だけは飲み込んでしまった。

 最後の最後まで素直に気持ちを現すことが出来ない響子は、自分を見上げる君彦の眼差しから逃れるように不自然に視線を逸らせると、そのまま踵を返して去ろうとした。


 このまま絶縁してしまえば、いつもの日々が戻って来るだけ。

 またいつものように一人だけの毎日が訪れるだけ。


 そう思うと、足が竦んだ。

 踵を返したまま、それ以上歩を進めることが出来ずに、響子は立ち尽くしていた。

 あと一歩が思う通りに踏み出せない。


 ぽたり、ぽたり……。

 響子の頬を熱い雫が濡らしていく。

 このまま、唯一自分のことを親身に気にかけてくれた人物に背を向けたまま、去ろうとする自分を何かが止める。

 店内の誰にも見られたくないと察した響子はうつむき、床を見つめた。

 すると床に数滴の雫が零れ落ちていった。

 肩を震わせ、嗚咽を堪える。

 声に出してしまったら、もう取り返しがつかない。

 今までずっと虚勢を張って来た響子の努力が、全て無駄に終わってしまう。


 しかし響子の足元を濡らす涙に、当然君彦は気付いていた。


「ごめんね、――――本当にごめん」


(謝らないでよ、あたしが惨めになるだけじゃない!)


「オレ、本当に女の子の扱い方が下手くそで……優しくしたいのに、怒らせてばかりで……」


(あんたが謝ることじゃないでしょ!? あたしが勝手に怒ってるだけなんだから、放っておいてよっ!)


「でも志岐城さんには分かってほしいんだ。

 オレが本当に志岐城さんのこと、助けたいって気持ちは本当の……本心からなんだって)


(…………)


「確かにオレには猫又みたいな力も、犬塚みたいに悪霊を祓う力も、何もない。

 口では物の怪や悪霊に困ってる人達を助けたいって言っても、結局の所……出来ることは限られてる。

 自分に出来る範囲で助けたいって、自分で緩いルールを作って……甘えてただけかもしれない」


(……猫又)


「でもオレ、わかったことがあるんだ。

 志岐城さんを苦しめてるのは確かに色情霊の存在と、その力のせいかもしれない。

 だからオレは今まで色情霊をどうにかして助けようと思ってた。

 でも違うって思った。

 確かに志岐城さんは色情霊によって実害を受けてたかもしれないけれど、違うんだ。

 オレ……、わかったんだよ」


「何……、を?」


 響子は君彦に背を向けたまま、思わず声に出して聞き返していた。

 その声は震え、少し上ずっていたが今の響子にはそんなことを気にする余裕はない。

 今は君彦の言葉が気になって仕方がない様子であった。


「志岐城さんは、志岐城さん自身の気持ちと向き合わなくちゃダメなんだよ」


 君彦のその言葉で、響子は無意識に振り返り尻もちをついたままの君彦を見つめていた。

 眼鏡の奥から覗く透き通った瞳が、真っ直ぐに響子を捉える。

 その瞳には先程まで宿していた寂しげな雰囲気が消え、響子に対する優しさと憂いに満ちていた。

 君彦が心から響子のことを心配し、考え、そして言葉をかけてくれている。

 今の彼の姿を見れば、その瞳を見れば異性に嫌悪感を抱いている響子にだってわかる。

 この人物は響子が思っていた以上に、響子のことを思ってくれているのだ。

 今の言葉で君彦の気持ちが十分響子に伝わっているのだが、どうしても君彦の言葉の本当の深い意味までを的確に理解することが出来ずにいる。

 

 響子にとって今の歪んだ自分を形成した一番の原因は他の誰でもない、全て色情霊のせいだった。

 君彦や猫又に出会い、色情霊の存在を認知するまでは決してそんな風に思いはしなかっただろう。

 意味もわからず異性を嫌悪し、自分がどうしたらいいのかその答えを見つけることは永遠に不可能だったろう。

 しかし君彦は響子が抱えている問題は、色情霊が全てではないと言っている。

 響子自身の気持ちに問題があると、そう指摘しているのだ。

 

 響子が君彦の言葉を聞いて、そして理解に苦しんでいる表情を見て、その理由を話す。

 尻もちをついていた体勢からゆっくりと体を起こし、両手でズボンをはたくと少しだけ埃が舞って苦笑した。

 殴られた衝撃で少し眼鏡の位置がずれていたので右手で位置を直すと、再び響子と向き合い笑みをこぼす。

 しかしその笑みは満面のものではなく、遠慮して……まだ警戒しているのではないかと思っているのか、響子を不快にさせない程度に遠慮気味に、わずかに口の端を持ち上げていた。


「確かに全ては色情霊がきっかけかもしれない、原因はそれにあるかも。

 でもね、それだけじゃないと思うんだよ。

 志岐城さんは色情霊のことがなくても、本当はとても心の優しい人だから。

 だから心を開こうと思えば開けるはずなんだ、例え色情霊を完全に祓うことが出来なくても」


 響子は黙って聞いていた。

 いつものように癇癪を起こすことなく、感情に任せて暴力を振るったりはしなかった。

 真っ直ぐに自分だけを見てくれる君彦の瞳を見つめ返し、その言葉の真の意味を理解したいと心から願い、聞いていたのだ。


「一番厄介なのは色情霊のせいで歪まされた志岐城さんの心だよ。

 でもそれは志岐城さん自身が直そうと思えばいくらでも直せるものだと思うんだ。

 確かにそれは難しいかもしれないけれど、ゆっくり……少しずつでもいいからさ。

 ほんの少しだけでもいいから、他人のことを――――信じてみようよ」


「他人を、信じる?」


 響子はオウム返しのように口にした。

 素直に反応してくれたことがとても嬉しかったのか、君彦は満面の笑みを浮かべると大きく縦に頷く。


「そう、志岐城さんに足りないのは色情霊を無理矢理祓うことでも、無理して素直になることでもない。

 他人を信じる心なんだよ。

 そりゃ誰かれ構わず信じるのは危険かもしれないけれど、でも……誰かを信じることが出来なきゃ一人ぼっちのままだ。

 志岐城さんには一人ぼっちになって欲しくない、昔のオレみたいになって欲しくないんだよ。

 だからオレはその手伝いをしたいって思ったんだ。

 色情霊を祓う力はないかもしれないけれど、志岐城さんが他人を信じられるように……友達のことを信じて心を開けるようになればきっと、今みたいに志岐城さんが一人で苦しむこともなくなるはずなんだ。

 少なくとも、今のオレの答えはこうだ。

 そして他人を信じられるようになるには、まず志岐城さん自身が自分のことを信じられるようにならなくちゃダメだと思う。

 綺麗事とかそういうのは好きじゃないかもしれないけれど、だからって醜いものばかりに目を向ける必要もない。

 もしほんの少しでもオレの言うことに賛同してくれるなら……、オレのことをちょっとでも信じてくれるなら。

 改めて言うのも変な話だけどさ、志岐城さん。

 ――――オレの、本当の友達になって欲しいんだ」


 そう言って君彦は右手を差し出した、男性恐怖症である響子に対し握手を求めたのだ。

 それがどんなに危険な行為か今まで何度も殴られた経験のある君彦は、十分に理解している。

 だからこそ君彦は右手を差し出したのだ。

 響子のことを、信じているからこそ。


 涙でわずかに視界が歪んで見える中、差し出された右手を見つめ、怯える。

 他の男達に比べ危険性が低いが男であることに変わりはない。

 響子が今まで男達にどれだけ嫌な思いをしてきたか、それらが走馬灯のように蘇る。

 瞳を閉じれば今にも吐き気を催してしまいそうな、そんな悪夢のような経験が鮮明に思い出された。

 表情を歪め、そして再び瞳を開けて手を差し出したままの君彦を見つめる。


 信じて、いいのだろうか?


 自分に足りないものは、信じる心だと君彦は言った。

 それは間違いなく、真実だった。

 響子は男そのものに嫌悪感を抱き、不信感を抱き、そして敵と見なしている。

 君彦に出会ってからもそれは変わることの無い真実だった。

 しかし君彦は言った。

 響子が信じていないのは「男、異性」だと断定していない。

 君彦は「他人」と言ったのだ。

 つまりそれは異性に限らず、他人そのものを避けていると指摘されたことになる。

 言われて気付いたが確かにそうだと響子は思った。

 今まで自分に言い寄って来た男のことが信じられず避けていたが、いつしか自分を妬み避けるようになった同性ですら信じられなくなっていたことに気付く。

 回りの誰も信じられなくなり、自分は一人なんだと割り切ることで強く生きていると思っていた。

 本当はとても寂しかったくせに、とても辛かったくせに、そんなことを口にしてしまえば、弱みを見せてしまえば自分自身を保てなくなると思った響子は、虚勢を張ることで自分を保っていたに過ぎない。

 その虚勢が更に他人を遠ざける結果になろうとも、響子はそうするしかないと半ば諦めていたのだ。

 誰も自分を理解してくれる者などいない。

 そう思い込むことでずっと他人に心を閉ざして来たのだ。


 しかし今、響子に一条の光が差し込んだ。

 その光はずっと闇の中に身を潜めていた響子にとってはとても眩し過ぎて、目が眩みそうな程であった。

 彼は自分にないものを持っている。

 そして、それを自分に惜しみなく与えてくれようとしていた。


 彼を信じても、いいのだろうか?


 少し前の響子なら拒絶していた所だ。

 差し出された手を払いのけ、罵倒を浴びせ、その場を去っていた所だ。

 しかし彼は今までずっと諦めることなく真っ直ぐ響子を見て、根気良く話しかけ、心を開こうとしてくれた。

 そんな君彦の健気な気持ちが、かたくなだった響子の心を揺り動かすことが出来たのだ。



 

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