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水と油

 物の怪達が集う居酒屋、その奥では人間である君彦と響子が二人で話をしていた。

 猫又はお猪口に入った日本酒をぺろぺろ舐めながら、時々様子を窺うように視線を向ける。

 距離が離れていることと、周囲の物の怪達の喧騒で君彦達の会話は聞こえないが猫又にはわかっていた。

 また君彦が他人の為にお節介を焼いているんだと。

 そう察した猫又は可笑しそうにククッと笑いながら、また一口酒を舐めた。


 これまで何度か見て来た真剣な面差しの君彦に、響子は胸がドキドキしていた。

 しかしその胸の高鳴りはただ単に君彦を意識して鼓動していたわけではない、この高鳴りは君彦が今までにないことを響子に告白しようとしている……そう思うと、緊張して心臓の鼓動が早くなって行くのだ。

 緊張気味の響子に気を使い、これ以上近付かないように気を付けながら君彦は言葉を続けた。


「確かにオレは志岐城さんの言う通り、誰にでも笑顔を振りまくし……相手が誰であろうと優しく接して行こうって思ってる。

 でもそれはね、志岐城さんや他の人達が思ってるような善行から来るものってわけじゃないんだよ」


 自嘲気味に微笑みながら、君彦は口の端を緩めつつもその笑みはどこか寂しさを漂わせていた。

 そんな君彦の表情を見た響子は、これから告げることは君彦に関するとても重要な内容だと暗黙に察する。

 単なる打ち明け話というわけじゃない。

 それは恐らく誰にも……、もしかしたらあの黒依にすら明かしていない内容かもしれないと、響子は感じた。

 君彦の表情と言葉にはそれだけの重みが含まれていた。

 いつも能天気で天然の入り混じった君彦からは想像もつかない真剣な雰囲気に、響子は異性である君彦への警戒をほんの僅かだが無意識の内に緩めていたせいか、そのことに本人は全く気付いていない様子である。

 

「いつからかなのかオレはあまり覚えていないけれど、多分……身内を全て失くしてからだと思う。

 前にも確か言ったよね?

 オレの実の両親は、オレがまだ小さい頃に事故で亡くなって……それから父方の祖父母に育てられたって。

 それから祖父母も亡くしたオレは、他に面倒を看てくれる親戚がいなくて施設に入ったんだ。

 勿論その施設には他にもオレと同じ境遇の子供はたくさんいたよ、別にオレだけが特別ってわけじゃない。

 それでもオレは……自分だけが世界で一番不幸みたいに感じて、不公平に思えて……。

 どうしたらいいかわからなくて、どんな風に笑っていたのかさえ思い出せなくなって。

 一時は本当に回りの人達をとても困らせてしまう位、すごく暗い子供だったと思うよ。

 先生に話しかけられても返事すら出来ないし、ずっとうつむいたままで……誰の声も届かなくて。 

 今でも思うんだ、一人で勝手に閉じこもっていた頃の時間が、今では物凄く勿体なかったなって」


 黒髪を指でくねらせながら、君彦は他人事のような笑みを作った。

 まるで自分の知り合いの話を聞かせるみたいに、それが君彦自身の話だと思えない位に。

 同時に響子も同じ感覚に陥っていた。

 今の話からはまるで想像もつかない、お人好しで明るいだけが取り柄のような君彦の幼い頃がとても暗い子供だったとは、今の君彦の姿からは全くの別人の話のようで違和感さえあった。

 しかしそれが事実であると、本当の話だという実感だけはなぜかあった。

 それだけ君彦の言葉には真実味というものが存在していたからである。

 

「でもオレはただ単に自分の不幸が憎かったわけじゃなかったんだ。

 どうしてこうなったのか、これからどうしたらいいのか……それがわからなかっただけ。

 唯一頼りにしていたお祖父ちゃんまでも失くしてしまって、道しるべを失って道に迷ってただけなんだ。

 行く道を示してくれる誰かが欲しかった。

 そんな風にいつしか思い始めると、今度は回りのことが見えて来たんだよ。

 道を示してくれる誰かが欲しいなら……、こんな風にしてちゃ駄目なんだって……ある日突然気付いた。

 そしたらだんだんわかってきたんだ。

 回りのクラスメイトや、先生や、色んな人達がどれだけオレのことを気にかけてくれてたのかって。

 今まで真っ暗な小部屋に一人きりでいたみたいに、何も見えないし何も聞こえない。

 そんな小さな部屋に一人ぼっちでいたのかと思ってたけど、自分の足で立ち上がって、手探りでドアを探して。

 暗闇の中でやっと見つけたドアを開けたら、その先には笑顔で自分のことを迎えてくれる人達が立っていた。

 ……勿論これは例え話だよ!?

 本当に真っ暗な小部屋に閉じこもってたわけじゃなくて……っ!

 ――――とにかく、オレはその部屋を出ることでようやく気付けたんだ。

 自分は一人じゃないって。

 自分から立って歩いて、行動を起こせばきっと応えてくれる。

 オレにとってそれが何なのか、わかったんだ。

 それは……、他人に親切にすること。

 亡くなる寸前に遺言として遺したお祖父ちゃんの言葉にもあった、それがオレの道だったんだって。

 最初はただ素直に、自分が信じるままにそれこそ色んな人に親切にしようって思ってたよ。

 まずは身近な人から……、そこからだんだん範囲を広げて、それこそすれ違う人全員に接する勢いで!」


 暗い時代の話から、ようやく心を開くことが出来た時代の話まで。

 その話をしている時の君彦の笑顔はまるで幼い子供そのままであった。

 面白いおもちゃを見つけた時の子供のように、満面の笑みで両手を広げたりジェスチャーを交えながら話す君彦。 

 その姿は響子が知る今の君彦そのものであった。

 君彦が誰かれ構わず他人に親切するルーツはそこにあったんだと、響子は少し理解した。

 この世の不幸な出来事とはまるで縁がなさそうな君彦に見えたが、実は彼にも闇があり、暗い過去が存在していた。

 その内容の全てを事細かに聞いたわけではないので、どれだけ辛かったのか……その詳細までは今の話からはわからない。

 お節介を焼き、誰にでも笑顔で接し、相手がどんな人物であろうと親切にしようという人道的な心。

 その理由を話して聞かせた君彦。

 響子に優しくしていた理由も、恐らく今の話に繋がるんだろうと思った。

 しかし突然君彦の顔から笑みが消えて、話し始めた時の憂いを帯びた表情が戻る。

 気落ちしたように肩を竦めながら君彦は視線を床に落としたまま、続きを語った。


「他人に親切にすること、そして他人を幸せにしたいって気持ち……。

 それは今でも変わらない。

 でも……、時が経つにつれてそれがだんだん違うものに変わって来たんだ。

 もしかしたらオレが今まで親切心として行なってきた善行は、ただの自己満足だったんじゃないかって。

 いや……、自分自身が自己満足に浸りたくて他人を利用してただけなんじゃないかって思い始めたんだ。

 他人に笑顔で接すれば、よほどのことがない限り自分に好印象を与えることが出来るんじゃないかって。

 人に優しくすれば、自分が良い人だって褒めてくれて、それで一人で勝手に満足してただけなんじゃないかって。

 回りの人達を幸せにしてあげたいって気持ちと同時に、本当は……もしかしたら自分自身が幸せになりたくて、それで他人に親切にしてただけなんじゃないか。

 そう考えたら、オレが今まで振りまいて来た笑顔も本当は嘘っぱちで……。

 親切にしてたのだって、ただ見返りが欲しくてしてただけなんじゃないかって。

 そんな風に思い始めるとさ……、何が嘘で何が本当なのかわからなくなったんだ。

 自分が今まで笑顔でいたのも本当は仮面だったのかって思うと、どんな風に笑ったらいいのかわからなくなる。

 今自分が親切にしてる行為は、ありがとうって言われたいからしてるだけなのかもしれない。

 考えれば考える程わからなくなってきて、でも優しくしたいって気持ちは変わらなくて。

 はは……何言ってるのか、自分でもわからなくなってきちゃったよ」


 誤魔化すように微笑む君彦であったが、そこにはわずかな苦痛が滲み出ていた。

 響子は静かに話を聞きながらそれを見逃さなかった。

 過去の話をしながらも、心の内を明かしながらも君彦は響子に気を使っている、響子はすぐに理解出来た。

 そして気落ちしている君彦に向かって、優しさがただの自己満足かもしれないと言う君彦に対して、口を開きかける。


 親切にしようとする気持ちが、例え自己満足でも恥じることではない。

 現に親切にされて、優しくされて感謝な気持ちを抱いている人間だって確かにいること。

 それが事実なんだと、君彦に言ってやりたかった。

 

 しかし響子はそんな言葉すらうまく口に出すことが出来ない。

 もどかしいと思いながらも、どうしても臆病になってしまう。

 自分のような人間が知った風な言葉を言っていいのだろうか。

 こんなに歪んだ自分が、君彦のそんな優しさを素直に受けることが出来ずに、かえって迷惑がっている態度を取っている自分が口にしていい言葉なのだろうか。

 君彦がこんな風に自分の親切心に疑問を抱くようになったのは、少なくとも響子のような人間が過去にいたからではないだろうか? そんな風に思えて仕方なく、励ましの言葉をかけることが出来ずにいたのだ。


 抱かなくてもいいプライドを抱き、目の前の親切な青年に声をかけることすら出来ない。

 そんな自分がとても嫌いだった。

 響子は唇を噛み、汗で滲んだ両手を握りしめながら、黙って君彦の続きの言葉を……ただ待つ。

 最後まで聞けば……、このくだらないプライドすら払拭させるような言葉を聞けるかもしれない。

 君彦が伝えようとしていること。

 それが今の自分にとって、とても必要なことのように思えてきた。

 

 この時の響子はきっと、とても素直に話を聞いていたに違いない。

 瞳を逸らすことなく毛嫌いする異性の言葉に耳を傾け、心に留めようとしていた。

 そんな響子の懸命な姿を見た君彦は、明るく、そして力強く告げる。


「とにかく! オレはね……、志岐城さん。

 回りのみんなが思ってるような人間じゃないってことだよ。

 この笑顔だって、自分でも無意識にただ『振りまいてる』だけかもしれない。

 親切にしてるのだって、下心があってしてるだけかもしれない。

 でもね、結果がどうあれ……どれも今のオレが『したい』って思ってることなんだ。

 志岐城さんには笑顔で接したい、そして親切に……優しくしてあげたい。

 それは紛れもないオレの本心だし、本当の気持ちからしてることなんだ!

 だからさ、オレにとって志岐城さんは……不特定多数なんかじゃないよ。

 今はハッキリ言えるんだ。

 オレがこんな風に志岐城さんと仲良くしたいって思ってるのは、きっと志岐城さんは……」


 君彦の言葉に響子は目を丸くし、黙って聞き入った。

 熱く語った後に来る言葉。

 響子の呼吸が荒くなる。

 そしてごくんっと生唾を飲み込み、言葉の続きを待った。


「――――物凄くオレと似てるからだと思うんだ!」


 一瞬訪れた沈黙……。

 君彦は「どうだ!」という顔で、響子を見つめている。

 しかし響子は全身の力が一気に抜けたみたいに、唖然として瞳を細めた。

 

「……は?」


 今の言葉のせいで、ついさっき長々と語っていた君彦の熱弁が薄っぺらく感じてしまう。

 笑顔を引きつらせながら聞き返す響子に、君彦はまたしても得意満面といった表情で続けた。


「うん、だから!

 志岐城さんは少し前のオレと似てるんだよ!

 色情霊のせいで他人のことが……じゃなくて、志岐城さんは男性限定だったね。

 えっと、男性のことが信じられなくなってどう接したらいいのかわからない。

 だから放っておけなかったんだよ、志岐城さんのことを!

 志岐城さんは今、暗い小部屋の中にいるんだ。

 だからオレは志岐城さんに明るい場所へ出してあげたいんだよ。

 そうすれば本来志岐城さんが持ってる優しい心も素直に出せるようになって、そしたら友達だってたくさん出来る!

 オレはその手助けがしたいんだよ!

 ……さっきも言ったように、それはオレの自己満足でしかないのかもしれないけどさ。

 それで志岐城さんの手助けが出来るなら、それでも構わないって思うんだ。

 だってオレは志岐城さんの笑顔をもっと見たいからね。

 たくさん笑って、他人を信じることが出来るようになればきっと――――」


「うっとうしいわあああああっっ!!」


 響子は声を振り絞って、そして力の限り君彦を殴った。

 見事に響子の拳は君彦の左頬を捉え、そのまま背中から倒れてしまう。

 幸いにも店内にある椅子やコップなどが巻き添えを食うことはなく、被害は君彦だけで止めることが出来ていた。


「あたしの笑顔とか……っ、優しい心とか……っ!

 鳥肌立ちそうなこと平気で言ってんじゃないわよ、気持ち悪いわねっ!

 そういう青春ごっこは余所でやってよ、正直言って耐えられないわ!」


(えぇ~~~~~っ!!?)


 激痛の走る左頬を片手でさすりながら、まだ衝撃が抜けきれない君彦は床に尻もちをついたまま響子を見上げる。

 顔を真っ赤にして、わずかに瞳を潤ませながら響子は口元を一文字に引き締めてわなわなと震えていた。


(馬鹿みたい! 本当に馬鹿みたいっ!

 一体何を期待してたのよ、あたしってば!

 この天然ボケがあたしのことを特別扱いするはずがないじゃないのよ、バッカみたい!

 真面目に聞いて損した!

 こいつが珍しく真剣に話し出すから何かと思っていれば、何て事ないわ!

 ただの怖気が走るような青春日記じゃない!

 今時そんな話をされて感動するような純真無垢な高校生がいるかってぇの!)


 息を切らしながら心の中で吐き捨てるように文句を垂れると、少しでも期待した自分に後悔する。

 先程の言葉の中になぜ響子が怒りを感じたのか全くわからない君彦は、まだ心外そうな眼差しで見上げていた。

 


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