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謝罪の言葉

 君彦の後方ではバイト先で作って来たつまみを貪り食う為に、猫又含む物の怪達がこぞって皿の奪い合いをしていた。

 その度に涼子の金切り声が聞こえてきたが、それはこの店に来ればいつものことなのか……君彦は背後で繰り広げられている騒動を特に気にすることなく、硬直している響子の方へと歩を進める。

 響子は気まずい気持ちになりながら顔を引きつらせ、君彦のことを凝視していた。

 すると君彦は苦笑いを浮かべながら響子を宥めるように、出来る限り穏やかな口調で話しかける。


「ごめんね、志岐城さん。

 猫又達って騒がしいだろ?

 別に怖がらなくていいから、安心していいよ。

 この店に来る物の怪達は別に悪い妖怪とかじゃないみたいだし。

 あ、でも……ここだけの話。

 猫又が言うには、人間が不用意に近付いていい存在ってわけでもないみたいだから、一応気を付けてね?」


 君彦は片手で口元を隠すように小声で響子に忠告した。

 恐らく彼等に聞こえはしないだろうが、君彦は念の為……背後に居る物の怪達が不快に思わないように声を出来る限り小さくして、注意を促す。

 彼等が一口に安全だと言っても、どこまで安全なのか君彦自身にも保証は出来ない。

 それなら君彦が猫又に注意を促されたように、響子にも注意するよう言うべきだと判断したのだ。

 しかし響子にとって今は物の怪達がどうであろうが全く気にしていなかった。

 なぜなら響子が顔を引きつらせる程に緊張していた相手は、他の誰でもない。

 君彦自身に対してだからだ。

 しかし君彦は響子が極度に緊張しているのは、恐らく響子が初めて見るであろう猫又以外の物の怪達を目にしたからだと察した為である。それで君彦は響子がこれ以上怖がらない為に、彼等が一応安全であると告げる為、安心させる為に教えたのだ。

 当然君彦の心遣いは全く意味がない。

 緊張の元である君彦が響子に小声で話しかける為に距離を縮めたから、響子は男性不信による拒絶反応が現れていたのだ。

 明らかなまでの警戒態勢……、胸の前で両手を構える響子。

 当然君彦はそんな響子の警戒態勢に気付き、一定範囲内に近付かないよう距離を測っている様子だ。


 本当なら、きっとこのタイミングなのだ。


 響子は目の前に居る君彦に対し、どうしても言わなければならないことがあった。

 しかし本人を目の前にすると肝心の言葉が出て来ない。

 身内にならすぐに出てくるというのに。

 どうして一番言いたい人物には、言えないのだろう。

 そんな自分が嫌で、腹立たしくて、大嫌いだった。

 口を開きかけながら、また言葉を飲み込み……これを二、三度繰り返した時、二人の間の沈黙を破ったのはやはり君彦である。


「さっきは本当にごめんね」


「……え!?」


 響子は呆気に取られた。

 そして同時に思った、……先に言われてしまったと。

 しかしなぜ君彦が謝る必要があるのだろう。

 そもそも何に対して謝っているのか、響子には全く理解出来なかった。

 さすがの君彦もそれだけは察したのか響子が呆気に取られている表情を見るなり、片手で頭を軽く掻く仕草をしながら説明する。


「いやほら、さっきの話だよ。

 犬塚の奴がいい加減でやる気がないから、志岐城さんが怒っちゃって……。

 そこに事情も何も知らないオレが余計な事しちゃったから、余計にむかついたんだよね?

 あの時はちゃんと理由を聞いてあげられなくてごめんね。

 志岐城さんだって忙しい所を、わざわざ猫又の為に来てくれたってのにさ。

 だからってわけじゃないけど……、犬塚やオレの事……勘弁してもらえないかな?」


 響子は黙って聞いていた。

 胸の奥に沸き起こる不快な思いを抱きながら、もやもやする気持ちを抑えながら。

 複雑そうな表情で、響子は黙したまま君彦の言葉を聞き続ける。


「志岐城さん、……言ったよね?

 誰にでも優しくするものじゃないって……」


「――――――っ!」


 その言葉を聞いて、響子は絶句した。

 言ってはいけない言葉、後悔してやまない言葉。

 何も悪くない君彦に対して一方的に怒りをぶちまけ、傷付けてしまった。

 傷付いてるのは言われた方なのに、口にした張本人である響子の方が胸が張り裂けそうになっていた。

 君彦はその言葉を言われてきっと傷付いている。

 いや、傷付かない方がどうかしてる。

 それなのに君彦は自分の事より、響子の心配をしている……明らかに。

 あんな酷いことを言った自分に対して、なぜこんなにも響子のことを気遣うことが出来るんだろう。

 そんな君彦の優しさが、今の響子を更に苦しめていた。

 

 表情を歪ませ、自己嫌悪に陥る響子の様子を心配そうに窺いながらも君彦はゆっくりと言葉を続けた。

 響子を刺激しないように、自分の気持ちがきちんと相手に伝わるように。


「もしかしたら志岐城さんはオレの事、こんな風に思ってるんじゃないかな?」


 君彦は少し自嘲気味に話し出した。

 これは君彦が憧れてやまない黒依にすら言ったことがない内容だった。


「オレがいつも笑顔で居て、誰かれ構わず優しくしてるんだって……」


 その言葉に響子の胸は跳ね上がった。

 君彦の口調はあくまで柔らかく、どこか自分を卑下しているようなニュアンスに聞こえる。

 しかしその台詞だけを聞いていたらなぜか棘があるようにも聞き取れてしまった。

 やはり響子が言った言葉を君彦は気にしているんだと、それについて反論しようとしてるんだと察した。

 次はどんな言葉が来るのか、響子はまるで死刑判決のように待つ。

 響子自身もこの考えがとても大袈裟に感じられたが、それ位怖くて仕方なかったのだ。

 いつも笑顔でいた君彦。

 常に優しく接して来た君彦が、響子に対して怒っているかもしれない。

 酷い言葉を口にした響子を咎めに来たのかもしれない。

 口では謝っていても、そんなに容易く許せるものではないと響子は思った。

 

 長らく他人との関わりを絶って来た響子は気付かない。

 君彦は決して響子を咎めに来たわけではないということを……。

 出来る限り響子を傷付けないように、誤解させないように。

 君彦は自分の本心を知って欲しくて、こうして響子の後を追いかけて来たのだ。

 

 響子が怯えながら君彦の言葉を待っている。

 表情を見ればすぐにわかった。

 全身が小刻みに震えて、何かを恐れていること位……見ればすぐにわかった。

 だからこそ君彦は話すべきだと思った。

 その相手が、他ならぬ響子だからこそ……。


「オレはね、志岐城さんが思っている程……良い人じゃないんだよ。

 欠陥だらけの人間、他人の気持ちを知った気で居るような……無神経な人間なんだ」


 響子は伏せていた顔を上げ、君彦を真っ直ぐ見据えた。

 もしかしたらこんな風に真っ直ぐ異性の顔を見たのは数年ぶりではないだろうかという程、……響子は真っ直ぐに君彦のことを捉えていた。そして同時に眉根を寄せる、聞き間違いではなかったことを自分の頭の中で確認する。


 君彦は確かにこう言った。

 自分は決して良い人ではないんだと。

 それは一体どういう意味なのか?

 これ程、馬鹿が付く程のお人好しな人間が他に居るだろうか?


 そして君彦は続ける。

 自分が他人と関わることに、どれだけ憶病になっているのかを。

 生まれて初めて……。

 君彦は他人である響子に、自身の心の内を話し始めた。




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