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気付き始めた矛盾

 響子は固まっていた。

 一番肝心な内容を相談する前に当人が店に現れてしまったからだ。

 学ラン姿で居酒屋・猫目石にやって来た君彦は、懐くように側から離れないカナに優しく笑い掛けながら、すぐに視線は入り口手前で一升瓶を抱き抱えている猫又ではなく、店の奥で硬直している響子へと注がれていた。

 カウンターから愛想の良い涼子の声が響く。


『君彦さんいらっしゃい、待ってたのよ!

 さぁさ、こっちに来て座ってちょうだいな。

 今お飲物を入れるから、今日はゆっくりしていってね』


 いそいそと女主人の顔に戻った涼子は棚からグラスを手に取り、氷を入れた。

 その間、君彦はちらりと猫又の方へと視線を走らせ睨みつける。

 君彦の眼差しは明らかに猫又の行動を諫めるように、叱り付けるような厳しい目つきをしていた。

 猫又はその視線に気付くや否や、抱き抱えていた一升瓶をそっとガラスのテーブルに置くと大人しく真っ赤なソファにちょこんと座りこむ。周囲にいた物の怪達は店を訪れた君彦に敬意を払っているのか、片手を振って挨拶すると急に行儀よくなりテーブルの上から下りたり猫又と同じようにソファに座ったりしていた。

 君彦が店に来たことによって暴れ倒していた物の怪達が急に大人しくなった所を見ても、君彦は特に気にする様子もなく苦笑いを浮かべるだけでそれ以上は何も言わない。

 氷の入ったグラスに番茶を注ぎながら、涼子は君彦が店にやって来てから店内の空気が一気に変わったことに当然気付いている。

 店内にいる物の怪全員、君彦の祖父に対して敬意を表しているのだ。

 しかしそのことを知らない君彦は、物の怪達が自分に対して少し距離を置いている態度をしているのを見て、ただ単に人間と物の怪との違いがあるから……その程度にしか認識していなかった。

 きっと物の怪と人間との間には何かしら埋めようのない溝のようなものが存在するのだろう。

 猫又と同居する以前から幽霊や物の怪の存在を知り、程々に接して来たことのある君彦は付かず離れずの距離感を保った付き合いを今までしてきた。

 カナのように君彦を慕って交流を求めて来る者ならまだしも、相手が君彦を警戒している分には必要以上に親しくしようとすることもなかったが、猫又と同居するようになってからは人外の者との交流がいつの間にか増えていった為、こうして微妙な距離を保ちつつ彼等との親睦を深めることが出来たのだ。

 猫目石の常連達とは特別親しくしているわけではないが、軽く挨拶をする程度にはなれたと君彦は思っていた。

 それでも相手はあくまで妖怪の類、人間のことを完全に信用しているわけではなく必要以上に親睦を深めようとしている存在ではないことを君彦は猫又から教わっていた。

 中には物語に描かれるように人間を餌として認識している妖怪だって存在するのだ。

 妖怪相手に無防備になってはいけない、不用意に信じてはいけない。

 それは幼い頃から君彦の祖父である征四郎からも言われていたことである。

 君彦は祖父と猫又から教わったことを胸に、決して心を許し過ぎない範囲で、招かれれば猫目石に足を運ぶことにしていた。

 

 真っ直ぐに自分の元へやって来る君彦を横目で窺いながら、響子は急激に帰りたい気持ちに襲われた。

 つい先程、ほんの数時間前の出来事。

 響子は自分でも抑えられない激しい衝動に駆られて、君彦に対して溜まっていた怒りをぶつけてしまったことを思い出していた。

 今でこそ頭も冷えて、冷静さを取り戻していた響子は自分のしでかした過ちに後悔している。

 出来ることなら時間を遡ってもう一度やり直したいと思う程である。

 しかしそんなことが不可能なことがわかっている響子は、無意味に笑みを作ることも睨みつけることも出来ない複雑な表情で居心地悪そうにしていた。

 

 きっと完全に嫌われた。


 響子の脳裏に真っ先に浮かんだ言葉だった。

 仕返しされるわけでもなく、響子に対して文句を言う君彦をイメージするでもなく、ただ「嫌われた」と思った。

 出会ってから今日までそれ程付き合いが長いわけではない。

 それでも響子には分かっていた。

 君彦は何でも笑顔で取り繕うような人間だ。

 きっと響子のことを心底嫌っていたとしても、笑顔で何事もなかったかのように振る舞うに決まっている。

 腹の底では何を考えているか、恐らくヒステリックな響子のことを扱いにくい女だと思っているに違いない。

 そう思ったら泣けて来そうだった。

 今まで誰に嫌われようと、ましてや男に何と思われようとどうでも良かったはずなのに。

 君彦にだけは……同じ男のはずなのに、君彦にだけは嫌われたくなかったのだ。

 それもおかしい話である、明らかに矛盾していると響子自身にもわかっている。

 男という存在は響子にとっては敵以外の何者でもないはずなのに、どうして君彦にだけは嫌われたくないんだろう?

 特に端正な顔立ちというわけでもなく、男らしさを兼ね備えているようにも見えない。

 どちらかといえば軟弱な印象で、実に頼りなさそうに見える。

 響子が君彦と距離を取ろうとしていたので、響子と君彦の間に何か好感を持つような共通点があるとは思えなかった。

 今で言えば「人外の存在を目視出来る」という共通点はあるが、それなら犬塚にも同じことが言えるはずである。

 にも関わらず響子が最も嫌われたくない人物、とても気になる人物は君彦だけだったのだ。


 その意味がわからない。

 なぜこんなにも君彦のことが気になるのか、なぜこんなにも君彦に嫌われたくないのか。


 その答えを涼子に聞くつもりでいたのに計画が大きく狂ったことによって、響子は自分目指して歩いて来る君彦から逃げ出したくて堪らなかった。 今にも席を立ってこのまま店の外へと走り出したくて堪らなかった。

 しかしそんなことをすれば、先程……君彦のバイト先でした過ちと何も変わりはしない。

 ならばどうしたらいいのか。

 長年他人との交流を避けてきた響子には、この後どうしたらいいのか全く考えもつかなかった。

 いくら君彦がお人好しで気さくな人間だったとしても、わけもわからず怒鳴られたんじゃ怒っていても当然である。 

 そんな相手に何て声をかけたらいいのか、どんな顔をしたらいいのかわからず、君彦から視線を逸らした時……。

 いつの間にか響子のすぐ隣に立っていた君彦が明るい声で話しかけてきた。


「良かった~志岐城さんがまだここに居てくれて!

 もしすれ違ったらどうしようかと思って、急いでここまで来たんだよ」


 屈託もなく、つい数時間の出来事が夢か幻だったように、まるで何もなかったかのように、君彦はいつも通りの明るい雰囲気で響子に話しかけてきた。

 あまりに自然な態度に、逆に不自然さを覚えた響子は呆気に取られて目をしばたく。

 ぽかんとして言葉を失っている響子の隣で、君彦は手に持っていた包みをテーブルの上に置くと涼子に告げた。


「あ、涼子さん。

 これ……店の残り物で作ったおつまみで申し訳ないんですけど、どうぞ良かったら食べてください。

 お店でも結構評判良かったんで、少しだけ折り詰めにして持って来たんです」

 

 そう言って包みを開けると紙で出来た折りたたみの弁当箱には、ちくわの磯辺焼きに、もやしとセロリをごまで炒めたもの、それからすりおろしたれんこんにネギと桜えびを混ぜ合わせてハンバーグのように焼いたものなど。

 見るからにとても美味しそうなつまみが敷き詰められていた。

 涼子は嬉しそうに声を上げて弁当箱に手を出そうとした時、奥に居たはずの物の怪達が君彦の手作り料理の存在に気付いて一斉に集まって来た。


『なんだなんだ、君彦兄さんの手作り料理じゃないか!』

『あんたの作った料理、実はおじさん大好きでねぇ!』

『おいおい、どうせ酒のつまみにして食っちまうだけだからお前さんに味なんてわかっちゃいないだろう!』


 君彦の回りに物の怪達が集まって物欲しそうな目で見つめる光景に、響子は思わず席を立って後ずさりしていた。

 急に周囲が賑やかになって君彦は全員につまみを取り分けようと、涼子に小皿を出して欲しいと頼む。

 

『もうあんた達! 君彦さんのご厚意に甘えるのはいいけれど、君彦さんは特別なお客様なのよ!?

 何こき使おうとしてんのさ!

 あぁ君彦さん、いいのよ。 これはウチがするから、君彦さんはお嬢さんを……』


 物の怪達が集まって来たことにより響子が君彦と距離を取ってしまったことを気遣って、涼子は目線で促した。

 君彦はすぐさま涼子のアイコンタクトに気付き、小皿に取り分けようとしていた箸を置いて後のことを涼子に任せると、君彦も席を立って響子の方へと移動する。

 つまみ目当てで集まった物の怪達を順番に二又の尻尾でばしばしとしばきながら、猫又は響子に話しかけようとしてる君彦を横目で見てほくそ笑んでいた。

 それからつまみを取り分けている涼子の方へと視線を移すと、涼子もまたにっこり微笑んで猫又が言いたいことを察した様子だ。


『へぇ~……、君彦のヤツもたまにはやるじゃねぇか。

 ま、あの二人じゃこれ以上の進展は確実に望めないだろうけどな』


 そう呟きながら猫又は君彦が作って来たつまみを一口先に食べて、涼子に頭を小突かれたのは言うまでもない。


 

   

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