もう帰る
「志岐城さんに一体何があったのか説明しろよ、犬塚」
京都の料亭風の店内で店員が客に向かって詰め寄っていた。
白い割烹着を着た店員、君彦は物凄い剣幕で客として来ている慶尚に事情説明を求めている。
他にも一般客が来てる中で客と揉めたりすれば問題になると思い、厨房にいた先輩が君彦を止めに入ろうとした。
しかし君彦は先輩相手に一歩も引かず、今自分が相手にしている人物が学校のクラスメイトだと簡単に説明すると、店内で口論したら他の客に迷惑がかかると促され、君彦達は一旦店の奥にある更衣室へ移動することになった。
店の奥に移動する際にも通路を歩いて行く時に、客席に座っている家族連れの客やカップルなどが険悪な雰囲気の君彦達を横目で見てはひそひそと何やら話をしている。
店内で騒いでしまったので他の一般客に不快な思いをさせてしまったと、少しだけ我に返った君彦は申し訳ない思いを抱きながら黒依と慶尚を連れて店の奥に案内した。
厨房を抜けた先にある鉄製のドアを開けて出て行くと、そこはいくつかのロッカーや業者から取り寄せた瓶ビールがプラスチックの箱に山積みされて置いてある。
先程開けたドアのすぐ横にはタイムカードの機械が置かれていて、機械の真上には従業員のタイムカードが入った壁掛けが設置されていた。君彦がバイトしている飲食店の奥の個室に初めて入った慶尚達は一通り周囲を見回して、時計やカレンダーなどを見つけたりしたがそれ以外には特に珍しいものを発見することがなかったので、こちらに向き直って不満たっぷりの表情をしている君彦へと視線を戻した。
両手を胸の前に組んで慶尚達の目の前に立っている君彦は、鼻息を荒くしながら再び同じ質問を慶尚に浴びせる。
「さっきの話の続きだ。
一体何があったんだよ、志岐城さんがあんな風に怒るなんて……。
どうせ何か志岐城さんの気に障るようなことでもしたんだろ」
睨みつけるように慶尚に食ってかかる君彦。
響子を不快にさせたのが自分だと決めつける君彦の態度が気に食わなかったのか、普段から無愛想でむすっとした表情の慶尚であったが、今回ばかりは本当に不快に感じたのか眉間にしわを寄せて珍しく反論した。
「どうしてオレだと思う、何か根拠でもあるのか」
響子がなぜあそこまで怒り出したのか、正直慶尚自身にもはっきりと分かっているわけではなかったのだ。
自分と黒依が適当に受け流していると響子が突然怒り出した。
慶尚の目にはその程度にしか映っていない。
二人の会話のどこに、何に響子は怒りを感じたのか……。
それは慶尚自身も興味があれば知りたいところだと思っていたのだが、残念ながら他人に対して必要以上に興味を示そうとも思わない慶尚は、せめてこの誤解を解く程度の事情さえ説明することが出来ればそれだけで十分だとさえ思っていた。
多くを語らず、確信を突いた言葉を発するでもない。
そんな慶尚の態度に君彦をは痺れを切らして、慶尚に向かった思い切り指を差した。
勝ち誇った君彦の顔、まるで名探偵が真犯人に向かって「犯人はあなたです」と言わんばかりの状態である。
「根拠ならある!
それは犬塚……、お前が『男』だからだっ!」
そう言い放った君彦の言葉は空しく個室に響くだけだった。
それのどこが根拠になるのか……と言わんばかりに、慶尚はむっとした表情から呆れた表情へと変わる。
黒依も二人のそんなやり取りを、ピンポン球を追うように右へ左へと視線を移すだけで、特に会話に割って入ろうとはしていなかった。ただどこか笑いを堪えるような……、今にも噴き出しそうになっているのを必死で堪えているように口の端をむずむずとしている様子だけは、慶尚の目にも窺えた。
君彦の決めつけた態度から時折、その場に一緒にいた黒依が何か証言してくれるのかと多少なりとも期待していたということもあり、時々黒依の方に視線を投げかけていたのだ。
しかし黒依はその場の揉め事を楽しんでいるかのように、あえて慶尚の無実を証明しようとはせずに口論している二人を傍観者の如く眺めているだけだった。
数度黒依の方に視線を走らせ、遂には全く当てにはならないことを察した慶尚は小さく溜め息をつくと、黒依を無視して自分でこの面倒臭い展開を回避しなければいけないと思い、ようやく思い口を開いた。
「だから……?
そんなものに一体何の関係が―――」
そう言いかけて思い出す、響子が何に悩まされていたのかを。
一瞬だけ視線を君彦から外し、響子に取り憑いていた色情霊の存在を思い出すと合点がいったように左手にぽんっと右手の拳を打ちつけて、納得した慶尚。
「あぁ……、色情霊の影響で男を避けてるんだったな、あいつは。
でもだから何だって言うんだ。
それでオレがあいつを怒らせた理由にはならないだろう」
悪びれた様子もなく事実を述べる慶尚。
君彦はなかなか自分の言いたいことが伝わらない慶尚に対し、更なる苛立ちを募らせる。
一体どんな言い方ならばこのマイペースな男に理解させることが出来るんだろう、そんな風に胸の奥のムカムカした気持ちをどうにか抑えながら、君彦が次の言葉を考えていた時……。
突然むすっとした顔で突っ立っていた慶尚の視線が君彦をすり抜け、遠くの方に目をやっていることに気付いて思わず慶尚の視線の先を君彦は追っていた。
振り向くとそこには黒髪のおかっぱをした少女が……、半透明の姿をしたカナが宙に浮かんでいたので君彦は思わず呆気に取られてしまう。カナが君彦の学校やアパートに遊びに来ることは今までに何度もあったが、君彦がどこでバイトをしているのかカナに教えていなかったので、これまでの間カナが君彦のバイト先に遊びに来ることはなかったからだ。
一体どうやって君彦のバイト先を知り得たのか、もしくはたまたま入って来た店に君彦がいただけなのか。
理由は全くわからないが、響子に関して慶尚と話をしていた君彦であったがカナが登場してきたことにより、一旦慶尚への詰問は中断されてしまった。
「カナちゃん!
一体どうしてここに!?」
相手は浮幽霊といえども小さな女の子。
慶尚に向けていた棘のある口調から一変、君彦は子供をあやすような猫撫で声でカナに話しかける。
すると君彦に好意を抱いているカナは嬉しそうに笑顔になりながら、君彦の腕を取って話しかけて来た。
『あのね、君彦お兄ちゃん!
今から涼子さんのお店で猫又ちゃんの為に宴会を開くことになったの。
君彦お兄ちゃんも主役だから連れて来いって、猫又ちゃんに言われてここまで来たんだよ』
カナの言葉に君彦はついさっき同じ台詞を聞いた気がして、にこにこと他人事のように笑みを浮かべている黒依と、特に表情を変えることのない慶尚の顔色を窺うように視線を送った。
どうしてこうみんなして、猫又の帰還祝いを開きたがるのだろうか。
確かに猫又が無事に戻ってきたことは実に嬉しいことだ、それは君彦が一番よくわかっている。
しかしそれは君彦にとって猫又が「家族」であるから。
だからこそその喜びもとてつもなく大きなものになっていたと理解出来る、だが他の者達は?
それだけ猫又に人徳があったということなのであろうか。
(……猫の場合も「人徳」って言うのか?)
カナは今すぐにでも君彦を、猫娘である涼子が経営している居酒屋・猫目石へ連れて行く気満々の表情で、決して離すまいと君彦の腕を掴んでいるカナに対し、君彦は目の前にいる小さな女の子にどうやって断ろうか頭を悩ませていた時だった。
今まで特に割って入ろうとして来なかった黒依が突然何かを思い出したかのように声を上げたので、何があったのかと思った君彦と慶尚はカナから黒依の方へと向き直る。
「君彦クン、ごめんだけどあたし帰るね!」
「は? ――――黒依ちゃん、いきなりどうしたの!?」
(てゆうか今日はオレのバイトが終わった後にパーティーを開くとかどうとか言ってなかった!?
今更用事!?)
突然の黒依の発言に君彦だけではなく慶尚までもが、怪訝な顔になって黒依に注目していた。
黒依はそれでも笑顔を崩すことなく、つい数十分前まで言っていた言葉を覆すような言葉を並べて来る。
「猫又ちゃんがどこに行っちゃったのかわかんない以上、今日はもうパーティーなんて出来ないでしょ?
それならパーティーはまた今度、君彦クンの家でしようかなって思って。
君彦クンと犬塚クンは家が隣同士だから、二人のアパートに行った方が早いと思うのね。
それと志岐城さんのことなら心配ないと思うよ、多分!」
まるでこのまま締めくくるように放つ黒依の言葉に、君彦は自分の後ろに隠れるカナの頭を無意識に片手で撫でつけながら黒依に話しかける。
「いや、でも……っ!
志岐城さんのあの様子、今までと少し違うみたいだったから……心配だし」
「もう~、君彦クンは他人のことを心配し過ぎだよ~!
以前からも何度か志岐城さんがいきなり怒り出して、でもそのすぐ後に仲直りしてっていうの何度もあったじゃない。
どうせ学校に行けば絶対会えるんだから、君彦クンが気に病む必要なんて全然ないんだよ?
だから、あたし達はもう帰るから。
また月曜日に学校で会おうね、君彦クン!」
片手を振り、黒依は笑顔のまま個室を出て行こうとした。
その時慶尚は一度君彦の顔色を窺い、それから君彦の後ろに隠れるカナへと視線を移すと、そのまま黒依の後を追いかけるように個室を出ようとする。
君彦はどこか自分一人だけが置いてけぼりされたような気持ちに陥り、二人に声をかけた。
個室のドアを開けて出て行く寸前、黒依は振り向き……君彦に向かっていつもの柔らかい笑顔を向ける。
「大丈夫だってば、君彦クン。
パーティーはいつでも開けるんだし、それに……その幽霊の女の子について行けば君彦クンの心配も解消されるから。
それじゃ、またね」
それだけ言うと黒依は二度と振り向くことなく店内へと戻って行った。
黒依の背中を追うように見つめていた慶尚は、開いたドアのノブを握り締めたまま後ろを振り向き、君彦に話しかける。
「ま、そんなわけだ。
あの女の事なら心配するな、オレがちゃんと家まで送るから。
お前はその浮幽霊の女の子と一緒に猫又の所へ行けよ。
……今の猫又はお前の存在が必要なはずだからな」
慶尚の意味深な言葉に君彦は首を傾げながらもう一度言葉の意味を聞き返そうと声をかけたが、当然慶尚がそれ以上詳しい説明を君彦にするわけもなく、そのままドアを閉めて出て行ってしまった。
個室に残された君彦は響子、黒依、慶尚の思惑が何もわからないまま……一人だけ取り残されたような気分になる。
こんなにも近いようで、心の距離がとてつもなく遠いと、そんな気持ちになって来る。
自分がどんなに距離を縮めようと話しかけても、触れようとしても、誰もが自分をすり抜けて遠くへ行ってしまうような感覚に陥ってしまう。
そんな思いを抱きながらその場に立ち尽くしていると、君彦にしがみついていたカナが遠慮気味に声をかけて来た。
『君彦お兄ちゃん、もし今は忙しいなら用事が終わった時にまた来るよ?
でも……用事が終わったらすぐにでも猫目石に来てね?
色情霊のお姉ちゃんも猫目石で待ってるから……』
カナがなんとなしにかけた言葉に、君彦は大きく反応した。
両目を見開き、反射的にカナの方に振り向くと少し声のボリュームを上げて問いただす。
「色情霊のお姉ちゃん……って、もしかしてそれ……志岐城さんのこと!?」
君彦の必死な姿に多少驚きながら、カナはこくんと小さく頷いた。
お店を出て一人歩いて行く黒依を追い掛けるように、後ろからついて来る慶尚。
三十秒も経たずに黒依は足を止め、自分の後をついて来る慶尚の方に振り返ると声をかけた。
「あたしのことなら心配いらないってわかってるでしょ、犬塚クン?」
その言葉に対し慶尚は動じることなく言葉を返した。
「それはどっちの意味で言ってる?
女子高生の夜の一人歩きが危険なことを指してるのか……。
それともお前の正体を知る何者かが、お前に接触して来るかもしれないということを指してるのか……」
冗談でもなく真剣な面持ちでそう聞いて来た慶尚に、黒依は鼻で笑うようにくすりとした。
すると昼間に見せていたような、今まで君彦達の目の前で見せていた柔らかい笑顔から一変。
どこか冷たさを感じさせるような不敵な笑みを浮かべながら、黒依は静かな口調で答える。
「どっちに取ってくれても構わないけど、でも残念。
両方ともあたしには何でもないから安心して?
だから一人で家に帰れるから、別に送ってくれなくてもいいのよ」
他者を突き放そうとするように黒依は慶尚の付き添いを断ろうとしていた。
しかし慶尚はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、それでも動じることなくその断りを断る。
「お前を家まで送るってアイツに約束してきたからな。
いらないって言ってもついて行く、悪く思うなよ」
慶尚のその言葉に黒依の顔から笑みが消える。
どこか値踏みするような眼差しから、諦めたように肩を竦めると黒依は慶尚の付き添いを許可した。
「二人とも……、自分で言ったことは絶対曲げないんだね。
男の子ってみんなこうなのかな、あたしにはわかんないわ。
でも……、君彦クンと約束したなら仕方ないよね。
――――――ありがと、犬塚クン」
ほんの少しだけ気を許したような安堵した表情を見せると、慶尚はそのタイミングを見逃すことなくすかさずもう一つ訊ねた。
「あの浮幽霊の女の子の話、お前も聞いてたんだろ。
どうして一緒に行こうとしなかった?」
その台詞が仇となった。
気を緩めかけていた黒依の表情に再び警戒の色が現れると、冷徹な眼差しの奥に少しだけ寂しさを思わせる色が見え隠れする。
視線を逸らすようにぷいっと顔を背けると、黒依はそっけなくその疑問に答えた。
「あたしが行ったら、みんな楽しめないでしょ?
怖がって誰も歓迎なんてするわけないもの……、だから帰るって行ったの。
君彦クンと猫又ちゃんの為に開かれる宴会みたいだし。
……それを台無しにしたら、悪いでしょ」
黒依のその返事を最後に、慶尚がこれ以上何かを追及することはなかった。
ただ……学校に関することや何気ない日常など、そんな話題をぽつりぽつりと切り出す程度で、それ以上二人が何か言葉を交わすようなことは何もなかった。
いつもたくさんのアクセス、ありがとうございます☆
とりあえずは毎週月曜日の朝9時に予約投稿しているわけでございますが、今後も同じように定期的に更新出来るように順守していこうと思います。
最初の頃に比べると何やら黒依の方に「影」なる部分が見え隠れしております。
それに関しても後ほどメインとして描いて行くことになっているので、今はもやもやしていてくださいませ。
それでは今後も「猫又と色情狂」をよろしくお願いいたします。