突然のお誘い
(あああああっ、あたしのバカバカバカバカ!
一体何を言ってんのよ、なんであたしキレてんのよっ!
自分でもわけがわかんないわ!
とにかくもうはらわたが煮え繰り返る位、何もかもがうっとうしい!
腹立たしくってしょうがないわっ!
アイツの笑った顔を見ると余計に胸の奥がむかむかして、文句を言わずにはいられないっ!)
支離滅裂となった響子は心の中で自己嫌悪にも近い自問自答を繰り返しながら、どこへともなく走っていた。
特にどこかへ向かっているわけでもなく、かといって自宅のマンションの方向へ走ってるわけでもない。
ただがむしゃらに、めちゃくちゃに走り続けていたのだ。
すると前をしっかり見ずに走っていた響子は、短い悲鳴と共に突然目の前に現れた女性に勢いよくぶつかってしまった。
相手の女性も響子と同じように虚を突かれたのか声を上げる間もなく、手に持っていた荷物を地面に落としてしまう。
響子は相手が女性であることがわかるなり、急いで地面に落ちた相手の荷物を拾い始めた。
「ご……ごめんなさい、ちゃんと前を見てなかったから気付かなくて……」
『いいのよ、気にしないで』
響子は慌てながら女性の荷物を拾い上げて行く。
女性の荷物は大きな風呂敷包みに包んであった重箱で、風呂敷でしっかり結んでいたが響子とぶつかった拍子に少し結び目がほどけてしまったようで、三段式の重箱のフタが少し開いて中に入っていた料理が地面に転がっていた。
さすがに地面に落ちた料理を再び重箱に戻すわけにはいかないと響子が躊躇っていると、相手の女性がはにかんで笑い声を上げながら響子のことを優しそうな眼差しで見つめる。
見ると響子がぶつかった女性はとても美しく、ガラス玉のような……まるで猫のような瞳はカラーコンタクトでも入れているのか、緑がかった色をしていて街灯の光で反射する度に緑色の瞳は時折金色を帯びたりしていた。
綺麗な和服を着ていたので、どこか夜の店の女性かと響子は思う。
響子の親戚である蝶野蘭子(志岐城則雄)もゲイ中心の水商売を経営しているので、つい直感的に同業者だと認識してしまった。
そんな女性の美しい容姿、綺麗な衣装、そして……まるで京都の女性のようなどこかはんなりとした物腰に響子が見とれていると、女性はくすくす上品に笑いながら響子に話しかけてきた。
『あぁ、別に気にする必要はないのよ?
どうせこれを食べるのは、てんで躾のなってないお客さん達ばかりだから。
地面に落ちたお料理を中に戻しても、どうせ気付かないでしょ』
相手の女性の台詞から、この重箱の料理は客に出すものだと理解出来た。
しかし響子は女性の穏やかでありながら、どこか軽薄な言葉にどう返事をしたらいいものか困っていた。
その時、はんなりとした女性の後方から聞き慣れた少女の声が聞こえてくる。
『涼子さ~ん、猫又ちゃんをお店に連れて行ったよ~!
お店に着くなり猫又ちゃんが早くお酒とお料理持って来いって……、あれ?
お姉ちゃん! 一体どうしたの、そんな所でっ!?』
声をかけて来たのは君彦と親しい幽霊の女の子、カナであった。
おかっぱにした黒髪に赤いスカート、どこか怪談話に出ていた「トイレの花子さん」のような外見をした少女は、響子を見るなり嬉しそうな表情をして響子の周囲をくるくると浮かびながら回っている。
さすがに幽霊を見ることにも慣れてきた響子は、カナが害の無い幽霊だとわかっていたので何とか普通に接することが出来た。
「えっと、いつも変なタイミングで会うわね」
それでも「幽霊と会話をする」という行動はさすがに慣れないせいか、響子は苦笑いを浮かべながらカナに話しかける。
するとカナは響子から離れて行くと先程響子とぶつかったはんなり女性、涼子の側にそっと寄り添った。
『うん、今から君彦お兄ちゃんを猫目石に呼びに行こうと思って。
猫又ちゃんが無事に戻って来てくれたから、物の怪のみんなが宴会をしようっ言い出したの。
あ、良かったらお姉ちゃんも猫目石に来てよ!
今は悪い色情霊さんもいないみたいだし、猫又ちゃんや君彦お兄ちゃんもきっと喜ぶから!』
カナの言葉で大体の流れを察した。
ようするに黒依達が開こうとしていたパーティーは、タッチの差でカナ達に持って行かれたということになる。
パーティーに猫又を連れて行く為、慶尚が君彦のアパートへ行っても誰もいなかったという説明がこれでついた。
しかしカナの誘いに響子はあからさまに抵抗の意を示す。
自分でもわかる位あからさまに……。
「君彦お兄ちゃん」という言葉がカナの口から出て来た途端、響子は先程やらかしてしまった出来事を思い出し、笑顔が引きつっていたのだ。
カナの言葉に出てきた単語の半分も理解出来ないまま、響子はカナの誘いを断ろうと口を開き掛けた瞬間。
響子の断りの言葉を遮って間に割って入ったのは涼子だった。
『あらあら、あなたが猫又さんやカナがよく話してた女の子ね?
確か猫又さんにまたがれたせいで、中途半端に霊媒能力を開花させられたとか……。
災難だったでしょう? いきなり幽霊やら物の怪が見えるようになるなんて。
でも自分の身を守る為だと思えば、猫又さんがしたことはきっと正しいのかもね』
矢継ぎ早に言葉をかける涼子に、口をあんぐりとさせたまま相槌を打つことしか出来ない響子。
呆気に取られながら立ち尽くしながら涼子の言葉が切れた隙に、誘いを断ってすぐにこの場から立ち去ろうと頭の中で考えていると、そんな響子の考えを既に読んでいたのか……。
涼子は持っていた重箱をカナに持たせるなり、両手でがっしりと響子の手を掴んで放すまいと力を込める。
「逃さない」という雰囲気すら感じ取れる涼子の勢いに響子がどぎまぎしていると、優しげににっこりと微笑んだ涼子は響子に向かって回避不可能な言葉を浴びせた。
『猫目石っていうのはウチが経営してる居酒屋でね?
主に幽霊や物の怪達の溜まり場になってるのよ。
あ、安心してちょうだいな。
口が悪いのも少なからずいるけれど、みんな根は良い物の怪達ばかりだから。
ウチの店ではお酒やおつまみが出て来る以外に、悩み相談も引き受けてるわ。
……って言っても、別に本格的な悩み相談じゃなくて。
そうねぇ、……近所のお姉さんに相談する、みたいな感覚かしらね。
だから今お嬢ちゃんが抱えてる悩みもウチが聞いてあげてもいいのよ?
……どうやらあなた、自分の気持ちとちゃんと向き合うことが出来てないみたいだからね。
試しに少し話してごらんなさいな、内に溜めてるものを吐き出すだけでも結構すっきりするわよ?
もしかしたらあなたが抱えている色情霊について、何かわかるかもしれないし……。
どうかしら? ウチの店に一緒に来ない?』
ついて来るかどうかの許可を得ようとしている言葉とは裏腹に、涼子の手は響子の手を握ったまま放す様子がなかった。
涼子の瞳の奥に優しさと、鋭く光る力強さのようなものを感じ取った響子は彼女のキラキラとしたガラス玉のような瞳を見つめながら、吸いこまれそうな感覚で見入っている響子。
催眠か暗示にでもかけられたように涼子の手を振り払い、抗うことも出来ない様子でじっと涼子の瞳を見つめ続ける。
響子の心の中には二つの心が渦巻いていた。
もしかしたら自分でもよくわからない、このもやもやとした気持ちの正体がわかるかもしれない。
今までずっと悩まされ続けてきた色情霊について、何か解決法がみつかるかもしれない。
そして何より、響子の頭の中に真っ先に思い浮かんだこと。
この女性は君彦のことを知っている、恐らく自分が知っている君彦よりもずっと以前の君彦のことを……。
響子は黒依以外に君彦のことについて話が出来る相手が欲しかったのかもしれない。
気がつけば響子は自分でも無意識に涼子の手を取ったまま、猫目石がある商店街の方へと一緒に向かっていた。