来た理由
君彦がバイトとして働いている料亭に顔見知りが三人も来ていることに、何が起きているのか……見間違いではないだろうかと、君彦は何度も確認しつつ驚愕していた。
黒依には元々バイト先を教えていたので特に問題はない、響子に関しても別に二人がバイト先に来た所で君彦はむしろ歓迎ムード一色で出迎えていた所だ。
しかしその場に慶尚がいるとなれば話は大きく変わってしまう。
それも単体で来るならまだしも、なぜ黒依や響子と三人一緒でここに訪れているのかその理由が全く理解出来なかった。
君彦が顔を引きつらせたまま固まっていると、興奮気味の先輩達がこぞって君彦に声をかけて来る。
見た所、慶尚が側に居ても響子にまとわりつく色情霊は健在のようで、先輩達は全員その色情霊の色香に惑わされている様子だ。
「おい猫又、お前もあの美少女が気になるのか!?
そりゃそうだよなぁ、あの綺麗な容姿、目にするだけで胸がドキドキしてくるし、目が合ったらもうそのまま手を出してしまいそうな衝動に駆られてしまう興奮!
オレがおかしいのかと思ってたけど、やっぱここの奴全員が同じ思いだったんだな。
天然なお前も同じってことは、やっぱあれは男を虜にするオーラか何かがあるんだなぁ!」
(いや、それは志岐城さんのオーラとかじゃなくて色情霊の成せるものなんですけど)
しかしそんなことを厨房に居る男性陣全員に話した所で、君彦の方が頭がおかしいと思われるのは目に見えているので、そこはあえて口を閉ざしたままにしておいた。
先程の先輩の言葉にもあった「天然なお前も同じ」という表現は、完全に間違いであることも黙っていた。
響子にまとわりつく色情霊が健在ならば、今ここにいる全員に何を言っても無駄だと察した君彦にとって、彼等が響子を見て騒ぎ立てることに関してさほど気に留めることはない。
むしろ君彦に取って最も重要と言える問題、女性陣の中にたった一人だけ気に食わない男が混じっていることが肝要だった。
ともかく厨房でいつまでも三人が席に座っている状態を見ているだけじゃ何も始まらないと思った君彦は、客に注文を聞きに行くフリをして厨房から出て行き、響子達に話しかけようとする。
率先して出向いた君彦のことを「抜け駆け」と勘違いした男性陣は一斉に手を伸ばし、君彦を食い止めようとしたが素早い動きで駆け抜けて行ったので誰一人として君彦を捉まえることが出来なかった。
君彦は慶尚の姿が目に入るや否や顔が引きつり、意味もなく胸の奥から込み上げてくる不快な気持ちに負けないように歩を進める。すると最初に君彦の接近に気付いたのは……、慶尚であった。
「……遅い」
「……くっ!」
何が遅いのか、一瞬悔しそうに表情を歪めながら君彦は怒鳴りそうになる気持ちを必死で止める。
三人が店に来ていることに気付くのが遅かったのか、それとも店員として注文を聞きに来ることが遅かったのか。
主語も何もない慶尚の言葉に苛立ちを募らせながらも君彦はあくまで店の店員として振る舞おうと接する……が、どうしても黒依や響子も目の前に居るのに慶尚というたった一人の存在のせいで笑顔を取り繕うことは敵わない様子であった。
「……お客様、ご注文はお決まりでしょうか」
ぎこちないような、怒りを抑えたような口調で話しかける君彦に、ずっとメニューを見ていた黒依がようやく君彦の存在に気付き黄色い声を上げた。響子に関しては目の前に座っている慶尚の存在と厨房で騒ぎ立てる店員達の態度を不快に感じており、ずっとピリピリしていた為君彦がすぐ側まで来ていたことに気付かなかったようだ。
「君彦クン、待ってたんだよ~~!」
黒依のノンキで明るい声が店内にこだましていたが、他の客は誰一人として入店していなかったので特に気に留めることもなく、君彦はあえて慶尚を無視し黒依と響子だけに話しかけるようにする為、視界に規制をかけた。
「急にどうしたのかと思ったよ、まさか『二人』がこの店に来るなんて!」
あからさまに慶尚の存在を無視した発言をしてみるも、慶尚は全く気にしていないこともあってかその言葉に誰一人として引っ掛かることなくスルーされた。
不機嫌そうな響子は自分にまとわりつく色情霊を鬱陶しそうに手で払おうとするが全く無駄で、結局払いのけようとすることを諦めて溜め息をつくと、じろりと君彦の方へ視線を移し理由を話した。
「急も何も……、あたしは興味ないからイヤだって言ったんだけど、この二人がね。
帰って来た猫又のお祝いか何か知らないけど、それにプラスこいつの引っ越し祝いも兼ねてさ、ここでパーティーしようってなったのよ」
全く気のない口調でそう説明する響子に、慶尚が更なる言葉を添えた。
「志岐城の色情霊がいればメシ代が半額になると思ってな、あえて祓わずに放置してある。
……半額にするよな?」
「オレにそんな権限あるわけないだろうがっ!
てゆうかそんなくだらない理由で色情霊祓わないって、お前それでも退治屋かよっ!」
そう突っ込んでみたものの、数秒してから慶尚の言葉よりもっと重要な内容があったことに時間差で気付く君彦はぴたりと動きを止めて思考をフル回転させた。
「……って、え?
猫又が帰って来たお祝い?
それに何でこいつの引っ越し祝いまで……、なんで!?」
話の展開に全く付いていけない君彦がおろおろしていると、厨房から男性陣達がこぞって君彦に何か訴えかけているのが聞こえてきた。後ろを振り向き厨房の方に視線を走らせると、そこには片手に紙切れを持った先輩達が必死の形相でうごめいている。
彼等なりの配慮か、それとも恥ずかしいのか。
響子に聞こえないようにものすごい小声で、殆ど口パクにしか見えない台詞を君彦に向かって訴えかけていた。
「猫又っ!
是非ともオレの携帯番号を彼女に渡してくれ!」
「いや、オレのを先に渡してくれ!」
「なんの! オレなんか部屋の鍵を渡してやる!」
「オレは!」
「僕は!」
下心しか見えない先輩達の姿に、君彦は呆れた眼差しでただただ黙って哀れな狼たちを眺めるだけであった。