まさかの……
君彦と猫又が威嚇し続ける中、慶尚はどうにかしてこの険悪な雰囲気を何とかしなければと思っていた時。
一番奥の部屋から大家さんが出て来て声をかけて来た。
「あらあらまぁまぁ、今日引っ越してきた犬塚君ね!?
朝早くから荷物の整理だなんて大変でしょう、業者さんにお願いしなかったのかい?」
大家さんが何の警戒心もなく慶尚に話しかけ、君彦は敵意むき出しにしていた表情を伏せて平静を取り繕う。
慶尚はこのアパートに来てから君彦以外の住人に話しかけられ、ぺこりと頭を下げた。
「どうも、今日からお世話になります。
家の者にこれ以上迷惑はかけられないので、業者には荷物移動だけお願いしたんです。
朝早くから騒々しくしてすみません」
丁寧に挨拶する慶尚に君彦は少しだけむっとした顔になりながらも、一応礼儀はわきまえるんだなと感心していた。
すると慶尚の隣でダンボール箱を抱えている君彦に気付いた大家さんが、今度は君彦に話しかける。
「君彦君、あんたも朝早くからダンボール箱持って何してるんだい?
そっちの犬塚君と知り合いなの?」
そう問われ、君彦はわずかに嫌悪感の入り混じった表情をしながら嫌そうに頷く。
「え……、まぁ。
一応こっちの無愛想なヤツとは、学校のクラスメイトでして……」
素直に慶尚との関係を大家さんに話したのは失敗だった。
アパートに新しく引っ越してきた慶尚と、その隣に住んでいる君彦が学校のクラスメイトだと知った大家さんは満面の笑顔になって、両手を叩いて何やら喜んでいる。
「あ~なるほど、それで君彦君はお友達の引っ越しを手伝ってくれてるってわけだね!?
本当に君彦君は優しいんだねぇ~、犬塚君も君彦君がお友達になってくれて良かったわねぇ!」
思いがけない誤解に君彦は両手に持っていたダンボール箱を落としてしまう。上に乗っていた小ぶりな箱はそのまま地面に転がり落ちて、大きなダンボール箱は君彦の両足の上に落ちる。
「どあああっ! いったあああっ!
てゆうか何でこの箱こんなに重たいんだ、何が入ってんだよ一体!」
「お前……、何て事を……」
慶尚は君彦の足の心配より先に落とした箱を拾い上げ、中身が大丈夫かどうか確認し始めた。
小ぶりな箱にはCDのアルバムケースがぎっしりと詰め込まれており、それらを何枚か取り出して割れてないかどうか確認している。それよりも君彦は両足の上に落とした箱の中身の方が気になっていた。
それなりに重いからには何か高価な物が入っていたらどうしようかと思っていたのだ、しかしそんな物を持たせる方が悪いと心の中で思いつつ、しゃがみ込んで荷物の心配をしている慶尚に向かって、きちんと謝るべきかどうか迷ってしまう君彦。
「いや、それ以前に本当なら荷物より人間の心配の方が先じゃないのか!?
誰が荷物整理手伝ってやってると思ってんだ!」
「まぁまぁ、やっぱり犬塚君の引っ越しの手伝いをしてくれてたんだね~、君彦君は!」
次々と巻き起こる展開に君彦は慶尚を怒るのが先か、大家さんの誤解を解くのが先かおろおろし始めた。
しかし時すでに遅し、大家さんはすっかり君彦と慶尚が仲の良い友達だと認識してしまうと、そのまま「近所迷惑にならないように」と注意だけして、いつものようにアパートの近くで開かれる井戸端会議に参加する為、大家さんは納得した様子でアパートの敷地内から出て行ってしまった。
「ああああっ、大家さんっ!
違うんですってばあああああああっっ!」
君彦は慶尚と仲良しだと誤解されることに相当の苦痛を感じながらも、その声が大家さんに届くことはなかった。
大きめのダンボール箱の中身を確認だけした慶尚は、いつも以上に不機嫌な顔で君彦に話しかける。
「そんなことより、早く外にある荷物を全部中に片していくぞ」
「何普通に指示してんだああっ!?
てゆうかやっぱり最初からオレを使って荷物を片付けるつもりでいたんだなお前はああっ!!」
「うるさい、さっき大家さんが近所迷惑にならないようにって言ってただろ。
お前はいつも騒がしいんだよ、鼓膜が破れる」
静かな口調のまま慶尚は足元にある箱を中へ運び出した。
その後も慶尚に関わってしまった者は結局全員引っ越し整理を手伝わされる羽目となる、役割分担としては君彦が重たい荷物を中に運び入れ、手が使えない猫又と犬神は口で銜えられる物だけを運んで行った。
慶尚は運び込まれた物をどこに置くか指示しつつ、箱から出せる物は出して、後で片付ける内容物だけは箱から出さず部屋の隅へと追いやって行く。
電化製品、タンス、テーブル、ベッドなどは最初に置き場所を決めて先に部屋の中に配置させていた。
室内が箱だらけになりかけたので残りのダンボール箱は慶尚の部屋の前に固めて置き、アパートの住人の通行の邪魔にならないように配慮する。
それからは箱の中身を慶尚が確認しては、細かい置き場所などを君彦に指示して並べて行った。
まだ完全に整理しきれていないが、ある程度箱から取り出せる物は取り出し、後は時間をかけてゆっくりと片付けて行くことにするように君彦が促す。
整理整頓にかけては君彦の指示の方が的確であった。
引っ越しの際に一番手間となるのがすぐに使用しない小物や衣服類、それらをいくら一人分だといっても一日で全て片付けるには時間がかかり過ぎる。
ましてや慶尚の趣向もあるだろう、君彦は今必要な物だけを箱から出して整理していくことを優先させた。
大家さんに釘を刺されたこともあり、君彦は湧き上がる怒りを我慢しながら怒声を発することなく慶尚の手伝いを黙々とこなしていき、我慢の甲斐あって何とか昼の一時頃には全ての荷物を室内に押し込めることが出来た。
汗だくになりながら君彦が一安心していると、おもむろに慶尚は台所に置いてあった箱の中から何かを取り出しそれを君彦に手渡す。一体何だろうと手渡された物を眺める君彦……。
「おい」
顔面をひくひくさせながら、徐々に我慢していた怒りが解放されていく。
「いいから早く作れ、腹減った」
「お前はああっ!
引っ越しの荷物運びやら整理整頓やら無理矢理手伝わせておきながら、最終的には引っ越し蕎麦作れってかっ!
何様だお前はああああっ!!」
むきぃっと顔を真っ赤にさせて怒り狂う君彦を余所に、引っ越しの手伝いをして疲れ切っている猫又までもが寝転びながら慶尚と同じように要求して来る。
『いいから早く作れよ~、オレも腹減って死にそうだ……』
『馳走になる、青年よ……』
まさかの三対一、君彦は爆発寸前だった怒りが萎んで行って肩をがっくりと落とす。
小さく文句を言いながら慶尚の部屋から出て行くと、君彦は自分の部屋で引っ越し蕎麦を作り始めた。