不器用ロマンス
君彦達が住む四丁目を見渡すことが出来る程の高台、雑木林が生い茂り住民の殆どは足を踏み入れることのない小高い山。
特に見晴らしの良い場所に造られた祠の前で猫又は君彦の祖父である猫又征四郎と話をしていた、祖父といっても今現在猫又の目の前に居るのは霊魂という存在であり、外見は老人の姿ではなく能力が最も充実していた頃の二十代半ばの姿で現れている。
犬塚との一件について一通り話し終えた猫又が、今度は世話になった猫娘の涼子の所へ行こうとした時……珍しく征四郎の方から猫又を呼び止めて話しかけて来た。
『そういえば猫又よ、時にお前……最近能力の方に異変はないか?』
突然わけのわからないことを聞かれた猫又はふと足を止めて、二又の尻尾を左右に振りながら振り向いた。
『あん? 能力って……神通力のことか?
まぁ全盛期の頃に比べれば多少の衰えは感じてるけど、別に何か問題があるってわけじゃ……』
そう言いかけた時、猫又は急に慶尚との戦いの時に感じた違和感を思い出す。
(待てよ、そういえば犬塚の野郎と交えてた時にいつも以上の衰えを感じたな。
まるで神通力そのものがオレの中から失われたみてぇに、でなきゃこのオレがあんな犬っころに差をつけられるはずがねぇ。
――――――――いつからだ!? いつから能力の衰えを感じた!?)
猫又が征四郎の言葉により自分の異変に気付いて必死に記憶を辿っていると、征四郎は静かな口調で注意を促した。
『お前、しばらくの間は君彦から離れるんじゃない。
出来る限り側にいて本調子に戻るまでは……そうだな、それまでは犬塚君と一緒にいなさい』
『はぁっ!?
君彦に付きまとうのは別に我慢出来るからいいとして、なんでこのオレが犬っころと一緒にいなくちゃいけねぇんだよ!?』
猫又はプライドを傷付けられたように驚愕した表情になると、冗談じゃないと言わんばかりに征四郎に向かって威嚇した。
しかし猫又がどんなに威嚇しようと全く構うことなく征四郎はマイペースに言葉を続ける、そこに猫又の意思は関係なかった。
『お前が感じている神通力の衰え、恐らくそれは君彦と距離を離してしまったことが原因だろう。
元の状態に戻すには常に君彦の側に控え、二又の尾に神通力を蓄積させなさい。
そうすればまた全盛期のような能力が戻るはずだ、猫又という物の怪は年数を重ねる毎に力が増す妖怪だからな。
お前が本当に邪悪な物の怪達から君彦を守りたいと思うなら、まずは自分の状態を整えることだ。
でなければ犬塚君と戦った時のように力及ばず、君彦を巻き込み、果てには自我を失った猫神と化してしまうだろうからな』
諭すような口調で説明する征四郎に、猫又はきょとんとした顔で先程の言葉を繰り返した。
『え……、猫神?』
猫又の鈍い反応に征四郎は小さく溜め息をつくと、困ったような表情で事の顛末を猫又に教えてやる。
『やはり覚えていないか。
神通力の不足によって不利な状況に陥った時、お前は君彦に救われただろう。
そこで傷を負ってしまった君彦を守りたい一心でお前は我を失い、一時的にだが猫神化したんだよ』
征四郎の言葉を最後まで聞かず、猫又はガラス玉のような大きな瞳をキラキラさせて興奮し出した。
『……ってことは、ようするにだ!
一時的だろうと何だろうと早い話が、このオレが猫神化したってことだろ!?
本当に猫神になれたんだなっ!?
だったら何を心配する必要があんだよ、オレはずっと長い間猫神化する為にここまで来たようなもんだ!
やっとその苦労が報われたんじゃねぇか!
よし、やったぞ! これでオレは……っ!』
『まぁ待て、落ち着くんだ猫又』
猫又の喜びを余所に征四郎の顔から優しげな雰囲気が消えて、まるで子供を叱りつけるような厳しい表情へと変わる。
そんな征四郎の態度に猫又は自分の喜びを台無しにするつもりなのかとでも言うように、非難に満ちた顔で反論した。
『何だよ、お前だって言っただろうが!
オレが猫神化することが出来れば天に認められた証として、この身に受けた穢れを祓うことが出来るって!
それとも何か、今になってこのオレが猫神化することに反対するってんじゃねぇだろうな!
オレはこの日をずっとずっと夢見て来たんだ、オレの最終目標を邪魔すんじゃねぇよ!』
『そうは言ってないだろう。
ただ私が問題にしているのは、お前が猫神化した時の状態が完全に自我を失った状態だったということだ。
あの時は君彦の呼びかけに応えて何とか元のお前に戻れたからいいものの、もし君彦の声が届かなかった時は……。
もしかしたらあの場に居た者全員……、お前の手で消失させられたかもしれないということだ』
征四郎の重い言葉に猫又は硬直した、さっきまでの喜びが嘘のように静まり返り言葉を失っている。
『――――――――え、それって……、一体どういうことだよ!?
なんでオレが君彦達を』
『本来、猫又という物の怪が猫神化する場合……何千年という長い年月を要する。
しかしお前は自らの力で道を切り開き、短期間で猫神化することを望んでいる。
お前は今までの野生の猫又達とは勝手が違う。
だからこそ何の準備もなく早急に猫神化することはとても危険なんだ。
今は焦ることなくしっかり神通力を蓄えて、時期を待て。
お前と君彦との繋がりがお前を正当な猫神化へと、きっと導いてくれるはずだ』
『……征四郎』
それだけ猫又に告げると征四郎は腰を下ろしていた大きな石からゆっくり立ち上がると、重苦しい空気を払拭させるかのように話題を切り替えた。
『そういえば猫又よ、この町の物の怪達とは仲良くやっているのか?
お前は不器用で社交的な性格じゃないからな、何か問題を起こしてないかと心配してるんだが』
にっこりと意地悪そうな笑みを浮かべる征四郎に、猫又はケッと地面に唾を吐き捨てると征四郎を小馬鹿にしたように反論した。
『オレはお前みてぇなお人好しじゃねぇんだよ!
この町のヤツ達はな、このオレの圧倒的な力によって恐怖を植え付けてやってるから誰も逆らったりしねぇんだよ!
オレ様が右を向けって言ったら全員右を向くし、上等な酒を持って来いって言ったら全員死に物狂いで献上してくんだ!』
『それはそうと何て言ったかな、お前のことを慕ってる猫娘の涼子ちゃんは元気か?
彼女の元へは挨拶しに行かないのか、随分世話になっているんだろう』
『オレの話聞いてた!? 何思い切り自然にスルーしてんだよ、ちょっとは訝しんだりしろよ!
言ってるこっちが恥ずかしいじゃねぇかこの野郎がっ!』
あることないこと言い放った自分が恥ずかしく思えた猫又は、まるで顔を真っ赤にして照れているように見えた。無論猫又は猫なので全身毛むくじゃらの顔が真っ赤に見えることはないのだが……。
それでも征四郎は聞き流す部分はしっかりと聞き流して、猫又と涼子の関係を興味深げに聞いて来た。
猫又は少しむくれた顔で適当に答える。
『この後涼子の店に行く予定だよ、一応君彦も世話になったみてぇだからな。
本当は行きたくねぇんだけど……、あいついちいちうるせぇし。
こないだまで何も言わずに姿くらましちまったから、どうせ会いに行った所で小言言われるに決まってら。
あ~あ、どうして女ってぇのはああもグチグチネチネチとしつこいのかねぇ!
特にあいつのヒステリーには頭が痛くなってくらぁ、ちったぁ女らしくなればそれなりに……』
『それなりに……、何なのかしら? 猫又さん』
一瞬にして猫又の背中の毛は逆立ち、尻尾は二倍に膨れ上がる。
両目をこれでもかという程大きく見開いて全身から大量の汗が噴き出て来るようだった。
恐る恐る声のした方へ振り向くと、そこには一升瓶と風呂敷包みを持った猫娘の涼子が満面の笑みを浮かべて立っている。
『り……、涼子……? なんでお前ここに……!?』
しかし猫又には目もくれず、つんとした態度で無視すると祠の前で苦笑いを浮かべる征四郎の元へと歩いて行った。
『どうも征四郎さん、お久し振りです。
今はこんな姿にまで成長したけれど、あの時お世話になった猫娘の涼子です。
あ、これ……差し入れですわ』
そう言って手に持っていた一升瓶を征四郎に渡すと、征四郎は苦笑いを浮かべたまま素直に受け取る。
『おや、ありがとう涼子さん。
それよりいつもありがとう、ここの祠に来てたまに掃除をしてくれるのは涼子さんだろう。
いつも悪いね』
征四郎の言葉に涼子は嬉しそうに微笑むと風呂敷包みからお猪口を取り出し、それを征四郎に渡すと涼子は一升瓶を受け取って封を開けるとお酒を注いだ。
『この町の恩人さんだもの、それ位は当然よ。
むしろウチ達にはこれ位しか恩を返せないから、もどかしくって。
どこかの誰かさんはのらりくらりとしてるだけで頼りないったらないわ、ホントやんなっちゃう』
『……ぐっ』
明らかなイヤミに猫又は何も言い返せずに、仲良くお酒を酌み合う征四郎と涼子を恨めしそうに睨みつけた。
それから猫又は手持無沙汰のまま、二人の会話に入ることもその場から去ることも出来ずに、延々と涼子からのイヤミを聞かされる羽目となる。ようやくイヤミの嵐から解放されたのは涼子が差し入れに持って来たお酒が半分にまで減った頃。
残りは祠の中に祀られているお稲荷様へと捧げた。
『それじゃ私はこれで失礼するよ、猫又への説教も済んだからね。
涼子さん、こんなヤツだが君彦共々よろしく頼むよ』
征四郎は優しい表情で涼子に猫又と君彦のことを託した、涼子はしおらしく微笑むと快く引き受ける。
『当たり前よ征四郎さん、猫又さんのことはともかく……君彦さんのことは任せてちょうだいな。
君彦さんはとてもいい子に育ってるから苦労することはないけれど、ウチ達で見守らせてもらいます。
安心してくださいな』
(……けっ、なんだよ涼子のヤツ!
オレの前ではそんな風に大人しく言うこと聞きゃしねぇくせに、征四郎の前ではやけに素直じゃねぇか!)
腑に落ちないという顔で猫又がブツブツと文句を垂れていると、征四郎はそんな猫又と涼子を交互に見つめながらおかしそうに笑みを浮かべ、それから最後に猫又に向かってもう一度念を押した。
『いいな、猫又。
調子が戻るまではずっと君彦の側にいるんだぞ。
それから何かあった時の為に、必ず犬塚君と行動を共にして助けてもらいなさい』
『あーーあーー、わーかってるって言ってんだろう!
他に言うことないならさっさと行っちまえよ、小うるさいったらねぇぜ!』
『ちょっと猫又さん! 征四郎さんに向かって何て口のきき方!』
『うるせぇ! こいつにはこれ位がちょうどいいんだよ!』
征四郎と涼子が仲良くしていたこと、そして慶尚と一緒にいろと念を押されたことで完全に機嫌を損ねた猫又は荒っぽい口調で怒鳴った。涼子は両腕を組んで呆れたように溜め息をついている。
そんな二人を見つめ、征四郎はその場からすぅっと消えて行った。
征四郎の姿が完全に見えなくなって、少しの間沈黙になる。
それから数秒して、その沈黙を涼子が先に破った。
『ねぇ猫又さん、……どこか体の調子でも悪いの?』
先程の征四郎の言葉を聞いて少し気になっていた涼子が心配そうに、猫又に訊ねた。
しかし猫又はまだ腹の虫が治まっていないのか、ぶっきらぼうに言葉を返す。
『別に何でもねぇよ、お前には関係ないだろうが!』
そんな冷たい言葉が涼子の心を傷付けたのか、いつものように勝気に反論してくると思いきや涼子は急に大人しくなってしょんぼりと肩を落としていた。悲しそうな瞳で猫又を見つめる涼子、その目は心底猫又の身を案じている女性の眼差しであった。
涼子につらく当たってしまったかと思った猫又は少しバツの悪い顔になると、涼子から視線を逸らして今度は少し柔らかい口調で言葉をかけた。
『だから、お前に心配されるようなことじゃねぇって言ってんだよ。
その……アレだ、ただ単に風邪気味なだけだって』
少し寂しげに肩を落とした猫又が涼子に心配をかけまいと、不器用に理由を言い繕う。
そんな猫又の気持ちに触れたのか、涼子は心配そうな表情のままであったが、それでもくすりと小さく笑って猫又を抱っこした。
『それならウチの熱燗でも飲んで体を温めるといいわ、このまま猫目石に直行ね』
『ちょ、降ろせって! こんな格好、他の奴等に見られでもしたら!』
『あら、別にいいじゃないさ。
猫又さんは病気なんだから、ウチがお店まで運んであげる』
照れ臭そうに暴れまくる猫又を両手でぎゅっと抱き抱える涼子に、なおも暴れながら抵抗する猫又であった。
『はーーなーーせーーっ! こんな姿を君彦にでも見られたら死んじまうううううっっ!』




