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猫又征四郎

 地面に転がっている石に腰を下ろした状態で、目の前に座っている猫又を見据える征四郎と呼ばれた男。

 猫又は不満を露わにした表情で、征四郎に向かって更に文句を続ける。


『何をそんなのほほんとしてんだよ、こちとら大変だったんだからなっ!』


 二又の尻尾の毛を逆立てると尻尾は通常より倍の大きさにまでなり、猫又は征四郎に対する怒りがだんだん上昇して行くせいもあって最終的には威嚇する姿勢になっていた。


『お前と因縁深い犬塚家のヤツまで出て来て、面倒臭ぇったらなかったっつんだよっ!

 それもこれもお前が憎たらしい性格してっから悪いんじゃねぇか、おい聞いてんのか!?』


 征四郎はまくしたてる猫又の姿を見て、静かに微笑むと穏やかな口調で話し出した。


『わかってる、ちゃんと見てたさ。

 だからこそこうしてお前は私に文句を言いに来ることが出来てるし、君彦も無事だったんだ。

 お前が―――――――――、私との約束を果たすとわかっていたからな』


 両腕を組みながら満足げに語る征四郎に苛立ちを感じた猫又は、憎しみをたっぷり込めた言葉使いで言い返す。


『見てたんなら何でお前が行ってやらねぇんだよ、お前あいつのジジイなんだろうがっ!

 何で……っ! どうしてあの時……っ!

 オレがここに来た時……、何で今みたいに出て来なかったんだよ……っ!?

 お前が君彦ん所に行ってやりゃいいじゃねぇか、……オレなんかじゃなくてよぉっ!』


 猫又は君彦の家を出た後、この祠に向かって問いかけていた時のことを思い出していた。

 過去のこと、そして自分のことを君彦に突き付けられて逃げ出したあの日―――――――――。

 吐くつもりのなかった弱音を吐いて、結局救いの手が差し伸べられることのなかったあの時……。

 それを思い出すと猫又は悔しさで一杯になる、今こうして自分の目の前に。

 笑顔で……、しかも平然とした態度で姿を現している君彦の実の祖父――――――征四郎に対して、猫又は激しい怒りと憎しみをぶつけようとしていた。

 どうしても悔しくて堪らない猫又は眼光を鋭くさせ、征四郎の口から出る弁明の言葉を待つ。

 征四郎もまた、そんな猫又の心中を察してか……すぐに答えようとはせず両目を閉じてしばらく黙っていた。

 一瞬だがその時だけとても静かで、清々しい気が流れたように感じる。

 それからゆっくりとまぶたを開けて、猫又を見据えながら征四郎は語った。


『私はすでに死んだ身だ……。

 君彦の思い出の中でしか生きられない存在……、故に私自らが君彦に救いの手を差し伸べるわけにはいかないんだよ。

 お前も本当はわかっているだろう。

 霊力の強い者が、生と死の狭間に存在する者と深く干渉すると―――――――――亀裂が生じてしまう。

 その亀裂は君彦に害をなす恐れがある、そうならない為に私が君彦に干渉するには慎重にならなければいけない。

 何より私は今回の件に関しては最初から干渉するつもりは全くなかったよ、必要ないとさえ思っていた。

 ―――――――――それがなぜか、わかるか?』


 そう言って微笑む顔が君彦そっくりなせいで、猫又は少し調子が狂ったような表情をするとすぐにまたひねくれた顔を作って反抗的な態度を保とうとする。

 征四郎は片手で猫又を指さし、はっきりと言い放った。


『それは猫又、―――――――――お前がいたからだ。

 お前なら私との約束を必ず守ってくれると信じていたから、私はお前に君彦の全てを託した。

 あの日……、お前は私にこう訊ねたな。

 自分は君彦の為に何をしてやれるのかわからない、君彦の欲しいものが……望むものが何なのかわからないと』


 その言葉に猫又はムキになって答えていた。

 回りくどく、まるで自分のことを小馬鹿にしているように聞こえたせいか、征四郎に言われる言葉の何もかもが癇に障って猫又はつい腹が立ってしまうのだ。

 

『あぁ、わかんねぇよっ! 今だってそうだ!

 オレはあいつに特別なこととか、特に大したことなんて何もやってねぇ!

 あの時も言ったけどな、オレがあいつにしてやれたことなんて……せいぜい低級な悪霊があいつにまとわり憑かないように、周囲にマーキングする程度だった!

 でもそれだけだ、他に何が出来るってんだよ!?

 こんな血にまみれた化け猫が……、大切な飼い主の孫に―――――――――ハルの大切な者に何をしてやれる』


 胸が苦しくなって猫又の放った言葉は、最後には震えて涙声に変わっていた。

 それでも憎い征四郎の前では気丈に振る舞おうとあからさまにそっぽを向くことで、泣きそうになっているのを何とか誤魔化そうとする猫又。

 当然そんなことはすでに見通している征四郎であったが、あえてそれには触れず珍しく自分に自信を持つことが出来ない猫又に対して、征四郎はまたしてもはっきりと教えてやった。


『まだわからないのか、お前は君彦にかけがえのないものを与えてくれたよ。

 君彦も言っていただろう……、お前のことを家族として―――――――とても大切な存在なのだと』


『―――――――――っっ!』


 その言葉を聞いて、猫又は昨日の記憶が蘇る。

 犬塚から自分を守ろうと盾になる君彦、最後までつっぱねようとする猫又に向かって君彦が真っ直ぐに言い放った言葉。

 

「―――――――――家族なんだっ!」


 必死な顔で、今言わなければもう二度と伝えられないと思い詰めた君彦の、本心から出た言葉。

 それを思い出した猫又はうつむき、どこか後ろめたいような雰囲気で小さくこぼす。


『オレなんかが……、あいつの家族になってもいいのかよ。

 だってオレは君彦の家族を、―――――――――死に追いやったようなヤツなんだぞ!?

 そんな化け猫が君彦の家族なんかになれるはずが、いや……なっていいはずが……』


 落ち込んだ様子で小さく呟く猫又に対し、征四郎はこれまで穏やかだった態度から一変すると表情から笑みが消えた。


『お前がどう思っていようと、君彦自身がお前のことを家族だと言ってるんだ。

 それのどこが悪い、いい加減つまらない罪悪感に囚われるな。

 あれは―――――――――事故だったんだ、お前のせいじゃない』


 厳しい口調で猫又を諫めながらも、征四郎の表情には苦渋が滲んでいた。


(本当はそんな風に、簡単に割り切れるはずないだろうが。

 ……あれはお前の家族でもあるんじゃねぇかよ、無理しやがって……っ!)


 征四郎の辛そうな表情を読み取った猫又は心の中で反論したが、これ以上征四郎と揉めるつもりはなかったのであえてそれは口に出さなかった。気が重くなる話題が出て来たことで互いの間の空気が張り詰めたが、しばらく沈黙が続いた後それを解くような形で猫又はおもむろに話題を切り出した。


『ところでよ、さっきの亀裂の話があるから別にみなまで言うつもりはねぇんだけど。

 お前……いつまでここに居座るつもりなんだ!?

 あれからもう何年も経つが……、オレが見た感じじゃ別にこれといった兆候は現れてねぇぞ。

 ―――――――――まだ何かやばいのか?』


 猫又は征四郎が座っているすぐ隣にある祠へと視線を走らせ、中に納められているお稲荷様に注目した。

 それからまるで悲惨な記憶を思い出すような渋い表情になると、猫又は征四郎の方へと向き直り返答を待つ。

 征四郎は遠くを見つめて何かを考え込むように押し黙る、まるで慎重に言葉を選ぶようにしながら答える。


『せめて……、あの子に笑顔が戻るまでは待つつもりだ』


 その言葉に猫又は首を傾げると、こともなげに言い放った。


『……いつもバカみたいにへらへらとよく笑ってるぞ?』


 猫又の言葉に征四郎は思わず吹き出し、肩を震わせながら笑いを必死で堪えようとする。

 その態度にプライドを傷付けられたような気がした猫又は、かちんと来て思わず声を荒らげてしまう。


『な……っ、何だよ! オレ、何か変なこと言ったか!?』


『いや、別に何でもない。悪かったな……猫又よ。

 ただ―――――――――、私が言ったのはそういう意味じゃなくてだな。

 私はただ、あの子が本当の笑顔で笑える日が来ることを……待ち望んでいるだけだ』


 そう言いながら征四郎は空を仰ぐ、梅雨にはまだ早いにも関わらず雨が続いてるせいか今も空は雨雲に覆われていた。

 猫又もまた征四郎と共に上を見上げて雨雲を見つめた、今にもぽつぽつと雨が降って来そうな天気である。

 そんな曇り空を目にしながら猫又は、再び君彦に告げられた言葉を思い出していた。

 罪深い自分のことを家族と呼んでくれたあの瞬間を、今にも降り出しそうな空を見上げながら思いを馳せる。


(そういえばあの日も、雨が降ってたっけな……)


 そう心の中で呟きながら、大雨の中で全身ずぶ濡れになりながら猫又に向かって家族だと呼んでくれた君彦のことを思い出し、両目を閉じるとその光景が別の記憶を蘇らせた。


 降りしきる雨の中、全身ずぶ濡れになって、寒くて、お腹もぺこぺこで。

 誰を待っているかもわからずにひたすら鳴き続けていたあの日、彼女は目の前に現れた。

 持っていた傘を自分の真上に差し出して、雨を凌いでくれた。

 それからとても優しい眼差しで、自分に手を差し伸べてくれた。

 あの手の温かさを、猫又は今でも忘れない。

 

「まぁ、こんな所にいると風邪を引いてしまうわ。

 良かったら私の所へ来る? ねぇ、可愛い子猫ちゃん」


 そう言って薄汚れた自分を抱いて、連れ帰ってくれた。

 とても寒くてひもじかった自分にとって、それは天の助けにも等しかった。

 震えながら弱々しく小さな声で鳴く自分に―――――――――、食べ物を、住む場所を、名前を与えてくれた。

 そして……。


 ハルは自分のことを……新しい「家族」だと、そう呼んでくれた。


『思えばオレのことを家族だと呼んでくれたのは、いつもあんな風に雨が降ってる時だったな……』


 猫又にとってこの世で最もかけがえのない愛しい女性、初めて自分に家族というものを教えてくれた大切な飼い主。

 君彦の瞳は、ハルを思わせる程とてもよく似ていた。

 

 大切な人と同じ瞳をした、大切な人の家族……。

 猫又は例え自分の命に代えてでも―――――――――、愛する女性が守ろうとしていた者を。

 君彦をハルの代わりに守ってやりたいと……そう思っていた。

 

 ハルと同じように自分のことを家族だと呼んでくれた君彦のことを、心の底から守ってやりたいと。

 猫又は改めて―――――――――、そう強く思った。




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