猫又の奇跡
深い眠りに落ちたように寝息を立てて眠る猫又を抱き締めながら、君彦は安堵に満ちた笑みを浮かべる。
猫又の変貌に驚きを隠せない慶尚はまだ君彦の腕の中で眠っている猫又を凝視するように眺めていた、犬塚神社の鳥居の前では響子と黒依、そして浮幽霊のカナが遠くから君彦達を見つめている。
余りに突然の出来事だった為、全員がその場から動けずにいたのだ。
そんな時、猫又が眠りに落ちたことで金縛りが解けた響子であったが、目の前で起きた不思議な光景に唖然としていたせいで既に体が自由になっていることに気付いていない様子である。
呆けたように立ち尽くしていると、ようやく我に返った黒依が傘を手に君彦の元へ駆けて行く。
「君彦クン! 腕の怪我は大丈夫!?」
君彦に声をかけながら黒依はバッグの中からハンカチを取り出そうとする、君彦は猫又が無事だったことに安心していたせいで腕の痛みを忘れていたものだと思っていた。
「―――――――――あれ、腕の傷が……!?」
見ると君彦の腕に血は付いているが、雨で血が洗い流されると刀傷は跡形もなく消え去っている。
「どういうことだ、あんなに痛かったはずなのに……今はもう全然痛くないし、傷跡すらないなんて!?」
君彦の腕をまじまじと黒依が見つめながらお互い首を傾げていると、刀を鞘に収めながら慶尚が平然とした口調で答える。
「恐らく猫又の力がお前の傷を癒したんだろう」
「―――――――――え!?」
君彦はきょとんとしながら慶尚と猫又を交互に見つめる。
飲み込みが悪いなという目つきになりながら、慶尚が君彦に向かって詳しく説明してやった。
「さっきの現象のことだ。
あれは猫神化、―――――――――つまり猫の妖怪が神格化した時に得る姿なんだよ。
羽九尾猫又といって、本来なら野生の猫又が二千年の時を要してその域に到達すると言われてるけどな。
恐らく羽九尾猫又に変化した時に現れた六枚の翼、その翼から発した光によってお前の傷を癒したんだろう」
信じられないような顔で君彦は抱き抱えている猫又を見つめた、それから小さく笑みをこぼすと猫又を抱いたまま立ち上がる。
「オレにはどういうことかよくわからないけど、……でも猫又がオレを助けてくれたってのはわかるよ。
猫又はこんな風になってまでオレの傷を治してくれたんだ、感謝しないとな」
そう言って猫又の頭を優しく撫でる君彦に、黒依は傘を差し出した。
「もう全身ずぶ濡れになっちゃってるから、今更遅いかもしれないけど……。
早く帰って体を乾かさないと風邪引いちゃうよ、君彦クン」
「ありがとう黒依ちゃん、でもオレは平気だから。
オレに傘を貸して黒依ちゃんが風邪引いちゃったらそれこそ大変だからね」
心配そうになりながらも黒依は笑顔を作る、その笑顔を見て君彦も微笑んだ。
少し離れた雑木林の中から猫又の力によって吹き飛ばされた犬神が全身を震わせ水しぶきを飛ばすと、むすっとした顔で慶尚の元へと戻って行く。それから慶尚の足元に寄り添うように立つと、君彦の腕に抱かれている猫又をじっと眇めた。
犬神の目線に君彦の顔から笑みが消え、猫又に手出しさせないようにぎゅっと抱く腕に力を込める。
ようやく全身の金縛りが解けたことに気付いた響子がハッとして、君彦と慶尚の間に割って入ろうかとも考えたが男が二人もいる中に飛び込んで行くことが急に躊躇われて、二の足を踏んでいた時―――――――――突然神社の方から怒鳴り声が響いた。
「何をしておる慶尚! 気を失っとる今がチャンスじゃろうが!
さっさとその化け猫を殺ってしまうがいい!」
境内全体に響き渡る程の怒声に驚いた君彦と黒依は、目を丸くしながら神社の方へと視線を走らせる。
すると建物の裏から袈裟を着た老人が怒りに満ちた表情で現れた、その老人は真っ直ぐに慶尚の元へ歩いて行くと君彦の方へと指を指し、鋭い眼光で睨みつけながら再び怒鳴り散らす。
「さぁ、今日こそ犬塚家が抱き続けた積年の恨みを晴らす時じゃ!
慶尚よ、遠慮するでない! さぁ殺れ! そら殺れ! 今すぐ殺っちまうのじゃあああっっ!」
突然現れて猫又打倒コールを叫び続ける老人に、何がどうなっているのかわからずとも猫又に危害を加えようという憎しみだけは十分に感じ取れたので、君彦は猫又を隠すように抱え直した。
老人の勢いを横目で見ながら慶尚は刀を鞘から抜く素振りを見せず、むしろこれ以上の戦いは無益だとでも言いたげな表情になる。
そして慶尚は刀を肩に当てながら、小さく溜め息をこぼしていつもの一本調子な口調に戻った。
「いや、もう止めだ。
今ので大体わかったから」
あっさりとした慶尚の意外な言葉に老人は口を大きく開けて、まるで顎が外れたかのような表情でショックを受けている。
君彦と黒依、そして鳥居の前で立ちすくんでいる響子は、慶尚の言葉を聞いて呆気に取られていた。
猫又と慶尚との戦いがまだ完全に終わったとは言えなかったが、それでも猫又を取り戻して安心していた君彦達の前に突如として姿を現した老人―――――――――。
彼のせいで先程まで緊迫していた状況から今度はややこしい状況へと早変わりしたことに不満を覚えた響子が、誰もが思っているであろうごく当たり前の言葉を口にした。
「てゆうか、このじじい一体誰よ」
響子が少し離れた位置から呟いたにも関わらず、地獄耳らしい老人は怒り心頭に再び声を荒らげた。
「こんの小娘が……っ、無礼じゃぞ!
ワシはこの犬塚神社の神主、犬塚呂尚……ここにいる慶尚の祖父じゃ!」
そう大々的に自己紹介した老人の威風堂々とした態度とは裏腹に、横でさっきよりも大きな溜め息をつく慶尚の姿がちらりと君彦の視界に入っていた。
この小説を読んでくださってありがとうございます。
今回少しだけ触れた羽九尾猫又……。
実はこの読み仮名は私が勝手に付けました、本来は何て読むか私にもわかりません(ごめんなさいっ!)
この小説では今後「羽九尾猫又」のことを「はくびねこまた」と読んであげてください。少しだけ慶尚が説明しましたが、また話が進むにつれて詳しく語りたいと思います。
今は君彦達と同じように「よく意味がわからないまま」、物語を読み進めていただきますようよろしくお願いいたします。




