猫又を求めて……
雨の勢いがだんだん激しさを増す中、ポロシャツにジーンズというラフな格好で走り抜ける青年がいた。
彼・・・君彦は、今朝方からずっと猫又を探して走り回っていたのだ。
4丁目を一通り回って何も見つけられないまま、次は3丁目にある居酒屋へと向かう。
木造の古びた店には「猫目石」と書かれた赤いのれんがかかっており、硝子戸には「準備中」という木札が下げられていた。
一瞬躊躇するも君彦はそのまま硝子戸を開けて中へと押し入る。
「涼子さん! 猫又ここに来てませんかっ!?」
全身びしょ濡れだったので中に押し入ると言っても入口からそれ以上入ることなく、君彦は入り口付近で立ち止まったまま店内を見渡す。カウンターには艶やかな着物を着た美女、涼子が驚いた顔で君彦の方へと駆け寄った。
『君彦さん、びしょ濡れじゃないの!
待って、今タオルを持ってくるから……』
涼子は急いで君彦の体を拭ってやろうと大きいタオルを探しに行こうとするが、君彦はそれを制して声を荒らげる。
「いえ、それよりも猫又を見ませんでしたか!?
オレ朝からずっと探し回ってるんですけど、どこにもいなくて……!
考えてみれば猫又が立ち寄りそうな場所って涼子さんのお店しか知らなくて……っ!
猫又のこと、オレ……何も知らなくて……っ!」
黒い艶やかな髪からぽたぽたと水滴を落としながら君彦は今にも泣きそうな表情で訴える。
それを見た涼子は悲しげに、そして優しげに君彦に声をかけた。
『残念だけど猫又さんはここには来てないわ、ここ最近ずっと……。
町から姿を消したってんで、町内の物の怪達がみんなで猫又さんのことを探し回ってる最中なのよ。
カナも一緒になって探してるんだけど、めぼしい手掛かりは未だに何も……。
……ごめんなさいね、君彦さんの力になれなくて』
涼子の言葉を聞いて、君彦は最後の希望を絶たれたように意気消沈した。
脱力したようにうつむき、その場に立ち尽くす君彦の落ち込む姿を見た涼子の胸がちくりと痛んだ。
君彦は恐らく、猫又がここに来ているんだろうという希望を胸に涼子の居酒屋を目指して走って来たのだろう。
店に入った時の君彦の瞳は希望に溢れていた、期待に満ち満ちていた。
その期待は裏切られ、後には何の手掛かりもなく、八方塞がりの状態。
猫又を追いかける君彦の姿を自分と重ね合わせた涼子は、どうにか力になってやりたいと思ったが自分はこの店を離れるわけにはいかない。無力だと、そう感じた時だった。
『―――――――――っ、この感じは……』
突然涼子は眉根を寄せて数歩後ずさりした、涼子の様子に異変を感じた君彦は顔を上げて涼子の顔色を窺う。
もしかして猫又の気配を感じ取った?
涼子が物の怪特有の何かを感じ取ったのだろうかと思った君彦は、涼子に向かって声をかけようと口を開きかけた時。
『君彦さん、今すぐ商店街の方へ行ってちょうだい。
もしかしたら……、導きがあるかもしれない』
「え? 涼子さん、それってどういう……」
『いいから早くっ! 急がないとすれ違ってしまうかもしれないわっ!』
いつも穏やかな物言いをする涼子が声を荒らげる姿を見たことがない君彦は驚き、わけもわからず涼子に従った。
お礼を言ってから再び雨が降っている店の外へと出て行く。
再び店の中で一人になった涼子はその場に立ち尽くしたまま、胸に両手を押し当てて祈った。
『猫又さん、本当に今はもう大丈夫なのよね?
あなたと征四郎さんとで救ってくれたのだから、……信じていいのよね?』
居酒屋「猫目石」を出てすぐ表通りに出れば商店街へと入る、そこには屋根があったのでこれ以上濡れることもなかったが、今まで傘も持たずに雨の中を走り回り、すでにずぶ濡れになっている君彦の姿は回りからそれなりに目立っていた。
君彦は商店街の中を、通り過ぎる人々をくまなく目で追う。
涼子の言葉がどういう意味なのか、何を指して言っていたのかわからず仕舞いだったがそれでも何かないか探し回った。
生きてる人間の知り合い? それとも幽霊の類か? とにかく猫又に関連しそうなものを見逃さないように、君彦は手掛かりになるものを必死の思いで見つけようとする。
「ああ~君彦クン! やっと見つけた~っ!」
黄色い呑気な声が後ろから聞こえ、君彦は驚きながら振り向いた。
そこには淡い水色のワンピースを着た黒依が閉じた傘を片手に立っている、黒髪をツインテールにして学校で会う時と少し印象が違って見えた彼女の姿に君彦は唖然としていた。
「え……、え? 黒依……ちゃん? どうしてここに?」
ここは君彦達が住んでる四丁目からだいぶ離れた場所、黒依が好きそうなお洒落なお店などがあるわけでもないこの商店街で彼女とばったり会うとは全く想定していなかった君彦は、その偶然に驚きを隠せなかったのである。
当然黒依が自分のことを探し回っていたとは露とも思っておらず、目を丸くしている君彦の方へ上品な足取りで近付き、黒依は頬を膨らませてわざとらしく怒って見せた。
「君彦クンを探してたに決まってるでしょう!?
雨が降って来たからついつい屋根がある商店街の方に入って来たけど、まさかここで君彦クンを見つけるなんて思ってなかったわ。
でもちょうど良かった! あ、……はいコレ!」
怒っていたかと思うとすぐに笑顔になって、黒依はトートバッグの中からハンドタオルを取り出してそれを君彦に手渡す。
それを手に君彦は未だ黒依の言葉の全てに納得していない様子であった。
「オレを探しに……って、どうして?」
「だ~か~ら~、君彦クンに猫又ちゃんの居場所を教える為に決まってるでしょう!?」
黒依の口から「猫又」の名を聞いた途端、君彦は相手が憧れの黒依だということも忘れてものすごい形相で詰め寄った。
「猫又っ!? 猫又がどこにいるのか知ってるの黒依ちゃんっ!」
いつも穏やかな君彦がこんなにも声を荒らげ女性に詰め寄る姿を見たことがなかった黒依は、一瞬ほんの少しだけ驚きはしたもののすぐさまにっこりといつもの柔らかい笑顔を作って、君彦を落ち着かせるような口調で言葉を返した。
「うん、今ね……志岐城さんが猫又ちゃんのいる場所へ向かってる所だから、あたし達も早く行こ?」
黒依の笑顔を見てようやく落ち着きを取り戻したのか、それとも猫又の確実な居場所を聞いて安心したのか、君彦は今の自分の姿を確認してすぐさま後退して行った。
「あ……黒依ちゃん、その……ごめん」
そう言って黒依に失礼のない距離まで下がると、受け取ったハンドタオルで顔を拭く。
ようやくいつもの君彦に戻ったと思った黒依は気が緩み、猫又がいる場所まで一緒に行こうと促した。
「君彦クンも早く猫又ちゃんに会いたいでしょう?
猫又ちゃんは犬塚神社にいるって聞いたから、今から歩いていけば十五分位で着くんじゃないかな」
黒依の言った場所に君彦の手が止まる。
「――――――犬塚、神社?」
「うん、そうだよ?」
犬塚という言葉に、君彦は急に無愛想な男の顔が脳裏に蘇った。
(あいつは猫又が邪悪だと判断した場合、退治するって……そう言ってなかったか!?
どうして犬塚の神社に猫又が……!? まさかあいつ、犬塚と!?)
君彦の頭の中に最も最悪なイメージが浮かんだ、その瞬間背筋が凍り全身の血の気が失せるような感覚に襲われた。
こうしてはいられない。
君彦はなりふり構わず、自分を探して猫又の居場所を教えてくれた黒依の存在すら一瞬で忘れ去ってしまい、気付けば犬塚神社へ向けて走り出していた。
後方で君彦の名を叫ぶ黒依であったが、今の君彦には誰の声も届かない。
―――――――猫又! 猫又っ!
早まるな、絶対にあいつと喧嘩なんかするんじゃないぞ!
せめてオレが行くまで無事でいてくれっ!
オレにはお前が、猫又が必要なんだっ!
それを今伝えに行くからっ! だから……!
絶対に死なないでくれ、猫又―――――――――っ!!