孤独
毎日のように学校が終わったらすぐさまバイトへ行って夜の11時に帰って来るという日常を繰り返していた君彦、しかしゴールデンウィークに入ってからというもの、君彦は悶々と何かを考え込むことから逃げるように毎日のようにバイトに明け暮れていた。
学校が日曜で休みの時と同じように、6時間労働でバイトを入れて友達と遊ぶ約束もせず、せっかくどこかへ遊びに行こうと誘ってくれた黒依の誘いも断り、君彦は文字通り追われるように働きまくっていた。
基本的に君彦は調理補助を担当しているのだが、料理に関してはとても手際が良かったせいか・・・補助ではなく殆ど料理自体を作らされている。
君彦は内心「調理師免許持ってない人間が作った料理をお客さんに出してもいいのか?」という疑問を抱いていたが、料理長の顔がヤクザの親分並に恐ろしかったので口答えすることが出来なかった。
夜の10時、やっとバイトが終わってくたくたになりながら帰って来た君彦はドアの鍵を開けて暗い部屋へと入って行く。もう一週間以上続け様にバイトを入れて疲労がピークに達していた君彦は、虚ろな目になりながら無意識に声をかけていた。
「ただいま猫又~・・・」
そして気付く、猫又が君彦の前から姿を消して数日経ってからというもの、君彦は意識的に「猫又はもういない」と―――――自分で触れないように努めて来た。しかしそんな意識が吹き飛ぶ程疲れ切っていた君彦はいつものように、日常的に自分の帰りを待っていた猫又に向かって声をかけてしまったのだ。
自嘲気味に微笑みながら君彦は靴を脱いで部屋に上がると、電気やテレビを付けて静寂を消そうとする。それから学校の通学用カバンから教材やノート、筆箱などを取り出して残っていた宿題を終わらせる為にテーブルに向かった。
テレビの音を少し小さくしてから宿題に取り組む、と・・・10分も経たない内に集中力が途切れてテレビのリモコンを勢い良く掴むと、怒声の入り混じった口調で大声を張り上げた。
「てゆうか! あいつはもういないんだからコント見る必要なんてないじゃないか! オレはコントとかそういうの別に好きじゃないし! むしろトーク番組とかが見たかったんだよずっと!」
イライラとした口調のまま君彦はムキになってチャンネルを次から次へと変えまくった。
「もう邪魔でうるさい奴はいないからな、オレの好きな番組を好きなだけ見てやるんだ! 絶対コントだけは見ない! これからはうたばんだって、ドラマだって見てやる! ざまーみろ、猫又なんかいない方がずっと自由でやりたい放題なんだ! いい気味だ!」
そう言ってリモコンを掲げたまま次々チャンネルを変えるも、特に見たい番組があるわけではなかった。やがてチャンネルを変えることに飽きた君彦は別に見たくもない適当なチャンネルにしたままリモコンをテーブルの上に置いて、再び無言になる。
何かが物足りない。
朝起きて、朝食と弁当を一緒に作って学校行って、学校が終わったらバイトに行って、疲れて帰ったらお風呂に入って宿題をしてそのまま寝る。きっと普通の人ならこんな毎日を普通に送っているはずだ、―――――――家族と共に。
しかし君彦は家族との生活を早くに失ってしまった、物心ついた頃には既に祖父母と暮らしていて、それもすぐに失った。施設で暮らしていても、結局はみんな他人だった。甘えていいのかどうかもわからない、どこまで気を許したらいいのかもわからない。
きっと祖父母を失った後は、今みたいに―――――――こんな風に「寂しさ」を感じていたはずだ。だったら一体いつからだろう? 君彦がこんな風に「寂しく」なくなったのは。
テレビから漏れて来る音が空しく感じる、今日は特に気温が低いわけじゃないのに妙に肌寒く感じる、狭い部屋がこんなにも広く感じられるなんて思わなかった。
これが孤独というものなのか?
今までと一体何が変わらないというんだろう、―――――――ただ「猫又」という奇妙な猫の存在がなくなっただけなのに。
君彦は不意に仏壇にある小さな引き出しに手をかけて、再び白黒写真を取り出した。そこには若い頃の祖母と猫又が映っている。まだ「猫又」という化け猫になる前の、猫の姿があった。
ぶすっとふてくされたような顔をしているが、どこか憎めず、なぜか心が落ち着く。飼い主である若い頃の祖母の顔を見てもよくわかる、きっと大切に思っていたんだろう。祖母は猫又のことを、猫又は祖母のことを。
この写真を見ていると、とてもじゃないが考えられない。猫又が祖母を殺すなんて、全く想像出来ない。きっと何か深い事情があったんだと思いたいが、それならそうとなぜ猫又は言わないんだろう? そんな疑問が君彦の頭の中をずっと駆け巡っていた。
それを話してくれさえすれば、こんな風に追い出すようなこと―――――――しなかったかもしれないのに。
「確かにあの時は色々あって、信じられないことが立て続けに起こって混乱してたってのもあるけど・・・でもそれなら、どうして猫又は本当のことを話してくれなかったんだよ。あいつがおばあちゃんのことをとても大切にしてたって、オレの想像でしかないけどこの写真を見ればそれ位わかる。だからきっと猫又にとって大切な存在だったはずなんだ。
それとも・・・オレには話せない事情があるってことなのか?」
まるで自問自答するように君彦は写真に写っている猫又に話しかけていた、写真が答えてくれるはずはないとわかっていても話しかけずにはいられない。形として残っている猫又との「繋がり」は、この写真しかないのだから。
「何だっていい、―――――――オレは何だっていいんだ!
オレはただ・・・お前のことが知りたかっただけだ、ほんの少しだけでも・・・お前の過去に触れたかっただけなんだ。
それがお前にとってイヤなことでしかないんだとしても、それでもオレはお前が知りたかった」
―――――――だって、一緒に一つ屋根の下で暮らして来た家族なんだから。
そう心の中で思った途端、君彦は顔を上げて両目を大きく見開いた。突然何かが閃いたように、何かを悟ったように。
「あ・・・、そうだったんだ・・・っ!」
写真を見つめながら君彦はようやく気付いた、いつの間にか零れた涙を拭うことも忘れ、君彦は今ハッキリとわかった。自分が何をするべきか、それが理解出来た君彦はすぐさま黒電話でバイト先にかけた。今の時間ならまだ店長が残っているはずだと。
案の定店長が残っていたおかげで電話が繋がり、君彦は慌てるように早口で告げた。
「遅くにすみません店長、猫又です!
オレ―――――――急用が出来たんで、明日のバイト休みます! 本当にすみません!」