意味ありげな祠の前で・・・
君彦の胸は痛んでいた、八つ当たりするつもりがなかったとはいえ憧れの女性である黒依に対して酷いことを言ってしまい、果てには彼女を泣かせてしまったことに。君彦は授業中ずっと声を押し殺して涙する黒依の方が気になって仕方なかった、何度も黒依の方に視線を送るが当然彼女がこちらの方に振り向くことはなく、それどころか黒依の周囲に居る女子から睨まれてしまっていた。
やがて授業が終わり、君彦がすぐさま黒依の方に向かって謝罪しようとした矢先―――――――。
「あ、君彦クン! 今日のお昼休みは屋上で食べない? もしかしたら志岐城さんっていつも屋上でお昼ご飯食べてるかもしれないし、何だか可哀想でしょ?」
満面の笑顔、何もなかったかのように接して来る彼女に君彦は謝罪の言葉をかけるタイミングを完全に見失っていた。君彦は呆気に取られた顔で情けない返事を返すと、黒依はにこにこと上機嫌になっていつものように他愛ない話に花を咲かせた。黒依が落ち込んでいなくて助かったという気持ちもあるが、だからといって君彦が言った言葉を全然気にしていないわけではないのだと君彦は察する。
何気ない会話の中に黒依は―――――――、猫又に関する話題にだけは触れることが全くなかったからだ。
その日の夕方、黒依はいつものように君彦と下校しようと話しかけるが君彦は申し訳なさそうに一緒に帰るのを断った。
「本当にごめんね、黒依ちゃん! 実はバイトの方が本格的に始まっててさ、毎晩出なくちゃいけなくなっちゃったんだ」
「そっか・・・バイトなら仕方ないね、うん―――――――わかった。それじゃバイト頑張ってね、また明日!」
「うん、また明日ね!」
君彦が何を言おうと、黒依はいつも笑顔で許してくれる。思えば黒依が怒ったところや不機嫌そうな顔をこれまでにたったの一度だって見せたことがないことに、君彦は急に気になりだした。黒依が泣いた時も、思い返してみれば今日が初めてである。それまではどんなことがあろうと、何が起きようと、中学校の卒業式の時だって黒依が泣いた所や悲しんだ所、笑顔以外を君彦は見たことがない。
しかし君彦はそんな黒依の笑顔が好きだった、いつでも笑顔でいるということは普通―――――――とても難しい。感情のある人間だからこそ怒ったり泣いたり笑ったり拗ねたりするものだが、黒依はいつだって笑顔を振りまくことで回りを明るくさせていた。そんな黒依の気持ちが君彦にとってとても温かくて居心地が良くて、とても素敵に思えたのだ。
(そう考えてみれば―――――――オレはいつだって黒依ちゃんの笑顔に助けられてたんだよな。黒依ちゃんは知らないだろうけど、オレはいつも黒依ちゃんの屈託ない微笑みに気持ちが穏やかになって、また頑張ろうって気持になれた。・・・本当に心から感謝してるんだよ、なのに今日は酷いこと言って悲しませてしまって、オレってダメな奴だよな。もっとしっかりしないと!)
君彦は気合を入れ直して、そのままバイト先である料亭へと急いだ。そんな君彦の姿を遠くから見つめるガラス玉の瞳。君彦が住んでいる4丁目を一望できる程の高台にある丘には木々が生い茂り、町内で唯一の自然溢れる場所でもあった。そこには古びた朱色の鳥居があり、小さな祠が建っている。
もう誰も手入れしていないせいか―――――――雨風に晒されたままの祠の回りなどは荒れ放題になっており、そこらじゅうに生えた雑草に埋め尽くされそうになっていた。祠の中には石で彫られたお稲荷様が祭られており、首にかけた真っ赤な前掛けもすっかり汚れている。 祠のすぐ目の前は殆ど切り立った崖のようになっており、一般人が入ったらとても危険だと示す有刺鉄線も張られていた。しかしそれさえなければここからの景色はとても絶景であり、心地よい風が吹いて草木を撫でている。
そんな祠の前に座り込んでいる大きな猫、尻尾は二又に分かれグレイと黒のトラ模様の太った猫はどこか寂しげな眼差しで薄汚れた祠をじっと見つめていた。
『なぁ―――――――本当にこれで良かったと思うか?』
祠に向かって猫又が話しかけた、その声はどこか悲しげであり―――――――とても苦しそうだ。
『オレがあいつの為に本当に―――――――何かしてやれたと思うか? オレが出来ることといったら、せいぜいあいつの回りに集まって来る魑魅魍魎どもを払い除ける程度だ・・・。やっぱ血にまみれた化け物なんかが人間と慣れ合うなんて、出来っこないんだよ』
うつむきながら猫又の瞳に雫が溢れ―――――――それが流れ落ちないように必死で堪えながら上を向くと、今度は丘の上から一望出来る街全体を見渡した。
『なぁ―――――――征四郎、オレなんかがあいつの・・・君彦の為にしてやれることっていったら一体何なんだよ、教えてくれよ。オレにはわからねぇ、あいつが欲しいものなんて。君彦が望むものなんて―――――――何も思い付かねぇんだ』
それからまた猫又が祠の方へと向き直った時、突然背後から人の気配を感じて瞬時に構えた。するとそこには君彦と同じ学ランを着た長身の男が立っていた。すぐ側には巨大な犬―――――――犬神を従えて。
『てめぇは―――――――っ、どうしてここにっ!?』
「威嚇するな、別にお前を祓いに来たわけじゃない―――――――宣戦布告に来ただけだ」
『それ聞いたら威嚇するなって言う方が無理あんじゃねぇかっ! てめぇの目的は一体何なんだ、答えろっ!』
猫又は一向に威嚇の体勢をやめようとせず、背中を丸めながら二又の尻尾の毛は2倍近くまで膨れ上がり背中の毛も総立ちだった。シャーッと牙をむく猫又を白い視線で見つめながら、犬塚は何気なく頭を掻きながら言葉を続ける。
「そう言えばまだお前には名乗ってなかったな、オレの名前は犬塚慶尚だ」
『何―――――――犬塚、だと!?』
犬塚と聞いた途端、猫又は威嚇の体勢を解くがそれでも距離は保ったままだった。
「そうだ、今日ここに来たのは決着をつける日にちを伝える為だ。明後日から始まるGWの最終日―――――――犬塚神社でお前を待つ。そこで積年の決着をつけよう・・・そんだけだ、じゃあな」
『ちょ―――――――待っ、お前の目的は・・・って行っちまいやがった。なんて無愛想な野郎だ・・・』
猫又にはまだ聞きたいことが山の用にあったが、犬塚は聞こえないフリでもしているのか背を向けるとさっさとこの場から去ってしまった。一匹取り残された猫又は多少拍子抜けしながらも再び祠の方に向き直り、小さく独り言を呟いた。
『ったく・・・、お前等の家系は一体どうなってんだ・・・。なぁ、征四郎さんよぉ』
それだけ呆れたように呟くと、猫又は丘を駆け下り―――――――再び行方をくらました。