猫又
――――――その日の夜、猫又は犬神使いの青年に襲われた野良猫達から事情を聞き、君彦の住むアパートへと急いで帰った。しかし猫又は、自分が犬神使いの退治屋に狙われているということだけは君彦に伏せておくつもりであった。ただでさえ自分の素姓や目的などを一切君彦に告げることなく、今までのらりくらりとかわし続けてきた猫又にとって『それ』はどうでもいいことだと考えているのだ。
しかし心の奥では君彦に余計な心配をかけたくない、―――――――それが本音であるが猫又はそんな自分の思いを鼻で笑いながら猫又専用の出入り口である小窓から部屋の中へと入って行く。
中は真っ暗で電気どころかテレビすらついていなかった、君彦はすでに就寝しているものだと思っていた猫又は部屋の片隅に黙って座り込んでいる君彦の存在に、不覚にも全く気付かず飛び上がる程ビックリして声を荒らげる。
『―――――――なっ、なんだよ君彦! 暗い顔して座り込んで・・・ほんのちょっとだけびびっちまったじゃねぇかっ!』
暗闇の中でも猫又はハッキリと君彦の姿が見える、言葉使いは悪いが一応声をかけた猫又に対して君彦は焦燥しきった顔でぴくりとも動かない。心の中で猫又は『どうせ学校で黒依と何かあったんだろう』程度に思いながら君彦がまだ寝ていないならと、テーブルの上に置いてあったリモコンのスイッチを器用ににょきっと出した鉤爪でテレビの電源を入れる。
それからチャンネルを変え続けて猫又が大好きなバラエティ番組に当たると、そのままテレビの前に座って観賞し出した。暗い部屋の中でテレビの明かりしかついていない異様な光景に、それでも君彦は疲れ切った眼差しで猫又の背中を見つめ続けている。ちらりとすぐ横にある仏壇の方に視線だけ動かして、君彦に向かって微笑んでいる祖母の遺影を見つめ・・・ようやく意を決して猫又に話しかけた。
「猫又・・・、話があるんだけど」
しかし猫又はテレビに夢中なのか、それとも君彦の声が小さすぎてテレビの音にかき消されたのか、猫又は返事どころか振り向きもしない。君彦は何度か猫又に声をかけて学校から帰ってからずっと思っていたことを聞こうとしていた。
『ちょっと待てよ、今イイとこなんだ。後にしてくれぃ』
面倒臭そうに返ってきた猫又の言葉に、君彦は奥歯を噛みしめ・・・そして勢いよく立ち上がると猫又の方を睨みつけた。胸の奥に込み上げて来る怒りにも近い感情を懸命に堪えながら、君彦は全身の力を抜くように深く深呼吸をして気を落ち着かせる。しかし君彦の顔に笑みが作られることはなく、今度は押し殺すような口調で―――――――猫又の名前を呼んだ。
「―――――――お前に話があるんだよ、喜助」
『―――――――っっ!!』
君彦の声のボリュームは今までと変わらない、それどころか声を押し殺した分さっきより少し小さく声を出していた。にも関わらず猫又は小さな物音すら聞きわけるような反応で全身がぴくりとし、二又の尻尾はぴんっと真っ直ぐに立って毛が逆立って倍に膨れ上がっているように見える。
暗い室内にテレビから漏れる音しか聞こえないまま、猫又は君彦の方を振り向くことなく大きな瞳を更に大きくしながら、まるで石のように固まってしまっていた。猫又の反応は尻尾を見て確認できていた君彦は、眉根を寄せながら言葉を続ける。
「お祖母ちゃんの遺品から見つけたんだ、これ―――――――お前の首輪だろ?」
そう言うと君彦はずっと手に握りしめていた首輪を猫又の方につき付けると、首輪についていた鈴がちりんっと小さく鳴った。鈴が鳴った瞬間に猫又の耳がぴくっと動いたので、猫又が確かに鈴の音を聞いたことを君彦は黙ったまま察した。
「もう隠さなくていいよ、全部お祖母ちゃんの遺品で確認出来たからさ。猫用の首輪と・・・この写真。どこからどう見てもこれ、お前だもんな。つまり―――――――お祖母ちゃんがお前の飼い主だったってことだろ?」
猫又の口から真実が聞きたくて、君彦は言葉を途切れ途切れにしながら―――――――ひとつひとつ確認して行く。しかし猫又が何も言葉を発しないので本当の所はどうなのかハッキリさせることは出来ないが、沈黙が答え何だと・・・君彦は暗黙に了解した。
「今日学校に転校生が入ったんだ、そいつ・・・いきなりオレに向かって猫又―――――――お前に関することを聞いて来た。そいつが言うには、ただの猫がどうやって猫又っていう妖怪になるのか・・・それをオレに教えてきた」
だんだん君彦の声が震えて行く、これ以上先の言葉を続けるのがよほど辛いのか――――――猫又のことを睨みつけていた君彦の眼差しはいつの間にか泣きそうな瞳になっていた。
「お前―――――――お祖母ちゃんを殺したのか?」
『―――――――・・・っっ』
またもや猫又の全身がぴくりと動き、後ろ姿しか確認出来ない君彦の目からは―――――――猫又が少しだけ下を向いてうつむいたというだけしかわからなかった。しかし君彦はそれ以上猫又の細かい動きを観察する余裕はない、一番口にしたくなかった言葉を出したことでもはや君彦は衝動を抑えられなくなってしまう。まるで急き込むようにだんだんと声が大きくなって、殆ど泣きながら訴えるように必死になって思いの丈を黙っている猫又にぶつけて行った。
「隠すなよ、黙るなよ! お前はそんなことしないだろ? だってお前のことはオレが一番わかってるんだからさ! 転校生が言ってる言葉の方が嘘に決まってるんだ、だってもしお前が飼い主であるお祖母ちゃんを殺して猫又って妖怪になったんならさ・・・計算が全然合わないじゃないか! だってこの写真のお前には尻尾が1本しかない、写真のお祖母ちゃんはどう見ても今のオレと同じ位だ! もしお前が猫又になったってんならもっとずっと後になるだろ? それじゃ猫の寿命から考えてもおかしいよ、オレのお祖母ちゃんが亡くなったのはオレがまだ9歳の頃だ! だったらお前は一体何歳になるって言うんだよ、な? おかしいだろ? どう考えてもお前が猫又になる時期が一致しないじゃないか、つまり転校生の言ってることがおかしいって―――――――そうだろ? 何とか言えよ猫又っ!!」
最後には殆ど怒鳴り散らす形で君彦は今までに出したことがない位大きな声を張り上げた、肩で息を切らしながら猫又が振り向くのを待つ―――――――猫又が「そうだ」という言葉を待った。すると猫又の尻尾がうなだれるように下にだらんと垂れると、すっと顔だけ振り向いて君彦を見つめる。やっと猫又がこっちを見たと―――――――そんな安堵する気持ちには到底なれなかった、猫又のその瞳はまるで獲物を狙う獣のように大きく光っており―――――――暗い部屋の中で光るそのガラス玉のような瞳が逆に不気味に思えて、一瞬君彦の背筋が凍った。今まで見たことがない位に鋭い瞳で射抜くように見つめて来る猫又に、君彦はごくんっと生唾を飲み込む。
『―――――――それがどうした?』
「・・・え!?」
君彦は耳を疑った、というより全く予想だにしなかった返答に君彦は即座に反応することすら出来なかった。猫又は今度は体ごと君彦の方に向き直ると、二又の尻尾をぱたぱたと動かしながら言葉を続ける。
『確かにオレの飼い主はハルだ、だからそれがどうした? 高齢の猫がどうやって猫又になるのか・・・それはその転校生の言う通りだぜ? 10年越えた猫には妖力が宿る、それを更に高めて高位妖怪になるには試練が与えられるんだ。つまり自分の飼い主を噛み殺してその血を我が物にすれば、猫又になれるんだよ。―――――――オレは血を浴びて、こうして猫又になってる。何か問題あるか?』
君彦の頭にカッと血が昇って目の前が真っ暗になった、怒りで我を忘れた君彦は平然と祖母を殺したことを認める猫又を非難した。
「―――――――お前、自分が何を言ってるのかわかってんのか!? 冗談なら質が悪すぎるぞ、いい加減にしろよっ!」
『嘘は言ってねぇ、ほら・・・こうしてオレが猫又でいることが何よりの証拠じゃねぇか』
「本当のことを言えよっ! そんな言葉を聞きたいんじゃないっ、オレはそんなの聞きたくないっっ!!」
何もかもが信じられなかった、今までずっと一緒に暮らしてきた猫又自身が――――――君彦の愛する祖母を殺したという事実を受け入れたくなかったのだ。君彦は半狂乱になりながらも両手で耳を抑え、猫又の口から放たれる残酷な言葉を必死になって拒絶する。そしてひとしきり泣き叫んだ後、両耳を抑えていた手を君彦が放したのを確認するように猫又はタイミング良く再び話しかけてきた。
『―――――オレからお前に言えることなんて何もない、どうせオレはお前に取り憑いてるだけのただの化け猫だからな』
―――――何もない?
―――――ただ取り憑いてるだけ?
本当に――――――オレとお前との繋がりなんて、たったそれだけの関係でしかないのか・・・?
膝をついた君彦は息苦しそうに呼吸しながら、ゆっくりと右手で小窓を指差した。猫又は君彦の合図の意味がわからず指をさした小窓と君彦とを交互に眺める。すると君彦は必死に呼吸を整えてから、腹の底から懸命に声を出した。力一杯、憎しみを込めて・・・。
「出て行けっ! 二度とオレの前に現れるなっ!」
絞り出せた言葉はそれだけだった、後は何も覚えていない。ただ―――――――様々な思いが君彦を襲い、色んな感情が渦になって君彦の頭の中をかき乱す。自分が何で泣いているのかわからない、何に泣いているのかわからない。
祖母を殺された憎しみから? それとも猫又にずっと騙されていたこと?
あるいは―――――――。
ずっと家族と思っていた猫又に、何ひとつ与えることが出来なかった自分の無力さに―――――――?
その日から―――――――、猫又が君彦の目の前に現れることはなかった。