名前を呼んで
学校にいても相変わらず君彦は上の空であった、ぼんやりと窓の外を眺めたり溜め息をついたり何度話しかけても反応がなかったり・・・ここまで来ればさすがの黒依も少し心配になって来て、猫又について訊ねてみる。
「ねぇ、もしかして猫又ちゃん・・・まだ帰って来てないの?」
「―――――――うん、小さいことで喧嘩するのはしょっちゅうだから特に気にしてなかったんだけど、今回はさすがにちょっと・・・ね」
いつもならどんなに失礼なことでも空気を読まない行動に出る黒依であったが・・・、今回ばかりは少しだけ空気を読んでみた。すると君彦は思い詰めたように真剣な表情で―――――――後悔したように呟いた。
「アイツがそんなにモンプティを食べたがってたなんて・・・っ! 家出する位ならオレ・・・1個位フンパツして食べさせてやれば良かった・・・っ! あぁ~~、オレの馬鹿―――――っっ!」
黒依は満面の笑みを浮かべながら黙って自分の席へと戻って行った。
―――――――昼休み、黒依は屋上で弁当を食べるように君彦を誘った。まだ落ち込んだ風であったが青空を見ながら美味しい弁当を食べれば少しは気が紛れるかもしれないという黒依の心遣いである。いつもの君彦ならそんな心遣いに気付かないわけないのだが、猫又を心配する余りどうにも思考がうまく働かない様子だ。黒依は懸命に明るく振る舞いながらスキップするみたいに階段を駆け上がって勢いよく屋上へ続くドアを開けた。
「―――――――げ」
一瞬、黒依の清廉潔白な可愛い顔からは想像もつかないような声が聞こえたような気がした。君彦はぼんやりと黒依の背中を見つめながら一体どうしたのかと同じように屋上を見る。するとそこには響子が一人で弁当を食べている姿があって、君彦は一体どうしたのかと声をかけた。
「あれ・・・志岐城さん、そんな所に一人で一体どうしたの!?」
声を掛けられて響子が顔を引きつらせながら振り向く、そこにはきょとんとした顔の君彦と笑顔が引きつる黒依を見つけた。
「どうした・・・って、見りゃわかんでしょ!? ―――――お弁当食べてんじゃない」
「え~~? こんな所で一人で食べてるの!? 寂しくなぁい?」
極上の頬笑みで可愛らしく黒依が聞く、当然一人で弁当を食べて楽しい人間がいるとは思えない響子はその言葉がイヤミにしか聞こえず、返事をするのも億劫になった。そもそもどうしてこの二人が揃ってこんな場所まで来るのか予想だにしていなかったので、響子はすっかり居心地を悪くしている。しかし君彦は少しぎこちないが笑みを作って響子の隣に座った。
「な―――――何よ!?」
「オレ達も屋上で弁当を食べようと思ってたんだ、志岐城さんさえ良かったら一緒に食べようよ。ね。黒依ちゃん!?」
黒依の顔は笑顔を保ったまま蒼白になる、それでも君彦の嬉しそうな顔を見て―――――――少しでも笑顔が戻って良かったと思う気持ちに嘘はなかった黒依は、ひくひくしながら従った。
君彦を真ん中にして座りお弁当を食べながら、響子は今朝の話を思い出したのでもう一度君彦に聞いてみる。
「それよりさぁ猫又、あんた・・・猫の方の猫又は一体どうしたのよ!? 色々あってとか言われても、あたしは猫又がいなきゃこの色情霊に憑きまとわれて迷惑でしょうがないんだけど。ま、まぁ・・・別にあんたのせいとか言ってるわけじゃないんだけどさ!? ただちょっと―――――猫の方がいないとどうにも調子が狂うと言うか・・・」
響子がたどたどしく訊ねてる途中で、突然目を丸くして大声を張り上げた。
「―――――――って、猫又ぁっ!」
「え・・・何、突然?」
しかし今度は君彦のことではなく本物の猫の方であり、後ろを振り向くと猫又がすました顔で座っていた。当然それを見つけるなり君彦はお箸を握り締めながら響子以上に大声を張り上げる。
「猫又ぁっ! お前今までどこほっつき歩いてたんだ、危うく心配するところだったじゃないか!」
精一杯強がるも、その顔は心底ほっとしている顔でどこか嬉しそうでもあった。しかし当の猫又はしれっとした態度で二又の尻尾をふりふりしながら君彦達の方へ歩いて行く。
『オレだってたまには、ぶらりと旅をしたくなるんだよ。お前もどこぞの過保護な母親みてぇなこと言ってんじゃねぇよ』
「な・・・何を―――――――っ!?」
(心配して損した、損しまくりだっ! こいつ全っ然反省してないじゃないか、むしろ何だこのふてぶてしさはっ! このすました顔が余計に腹立つっ!)
『んで? お前等随分仲良しになってるみてぇじゃねぇか、三人一緒に昼飯ってか。青春なこって』
猫又のイヤミったらしい台詞に響子は猫又の首根っこをつまんで持ち上げようとする―――――――がしかし、子猫程度ならこれで持ち上がるものだが猫又は相当なメタボだった為これ以上持ち上げようとしても皮が伸びるだけで無駄だった。
『いてぇ―――――っ! 皮をつまむな! 引っ張るな! 持ち上げようとするな! オレの体はお手軽に出来てねぇんだよ!』
「うるさいっ! 大体あんたがこいつの側にいないせいでエライ目に遭ったんだから、あんたも猫又ならちゃんと猫又に取り憑いてなさいよっ!」
「志岐城さ~ん、何を言ってるかさっぱりわからないんだけど~?」
響子が「猫又」という名を連発するものだから、君彦のことなのか猫又のことなのかわからない黒依がたまらずツッコミを入れた。しかしこの何気ない一言が大きな問題へと発展していく。
「つまりぃ~、志岐城さんが君彦クンのことを『猫又クン』って呼ぶか・・・猫又ちゃんの方を『猫又ちゃん』って呼ぶか。呼び方をハッキリ分けた方がみんな理解しやすいと思うのよね」
黒依の言葉に異論がないのか、君彦自身も響子に呼ばれる度にどっちの方に向かって呼んでるのか時々わからなかったので、ナイスアイディアだと思っている。猫又に至っては全く興味がないのか太陽の日差しを満面に受けるように屋上で淫らに仰向けになっている。
しかし響子はなぜか反論していた。
「あ・・・あたしがこいつのことをクン付けで呼べって!? じ・・・っ、冗談じゃないわ! こんなヤツ呼び捨てで十分よっ!」
その言葉に君彦は泣き笑いを浮かべながらがっくりと肩を落として落ち込んでいた。
「だったら猫又ちゃんのことをちゃん付けで呼べば、どっちのことかすぐにわかるわよね!」と、黒依。
「このふてぶてしい猫のどこが『ちゃん』なんて可愛らしいものになるってのよ! こいつもせいぜい呼び捨てレベルだわ!」
『ワガママ言うんじゃねぇよ、色情女』
「誰が色情女だ、このメタボ猫っ!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて二人とも! と、とにかく・・・オレはともかく黒依ちゃんに関して言えば猫又の姿が見えないわけだから、志岐城さんがオレと猫又のことを同じ呼び名で呼ぶからややこしいだけってだけなんだから。そうだな・・・、それじゃこうしない? 猫又に名前を付けるんだよ!」
『―――――――はぁっ!?』
君彦の思いがけない提案に猫又は仰向けのまま、頭が引っくり返ったままの状態で驚愕していた。そんな猫又の反応とは裏腹に黒依と響子の方は異論がない様子である。
「あ、それいいかも! 猫又ちゃんに可愛い名前を付けてあげれば、君彦クンのことはそのままでいいもんね!」
「・・・あんま可愛くない名前でいいんでない? こいつを体現する呼び名であれば・・・」
かくして弁当を食べ終わった後の君彦達の暇つぶしは、猫又の名付け親大会となってしまった。そこで黒依がにこにこと楽しそうな笑みを浮かべながら思いついた名前をどんどん並べて行く。
「フランソワーズ、ジャスティン、リッチー、マイコー、エヴァンジェリン、ウルシズヴォワセノーズとか・・・」
次々と外国の名前を出していくので当然、猫又の姿がバッチリ見えている君彦と響子はそれらの名前が全く猫又に当てはまらないので苦笑いを浮かべていた。猫又に至ってはなぜかムキになって名前を付けられることを拒絶している。黒依はこの中から猫又の名前を決めようとしているので、とりあえず危険だと判断した響子はさり気なく却下した。
「長過ぎるわよ、・・・『たま』でいいじゃない」
「えぇ~~っ、それじゃありきたり過ぎるよ! それならケンコバとか、ツッチーとか・・・」
どこかで聞いたことのある名前に、響子は疑わしそうな眼差しで黒依を見つめながらとりあえず聞いてみる。
「あんた、もしかして昨夜アメトーク見てたわね?」
図星だったのか黒依は否定することもなく、満面の笑顔のまま大きく頷いた。
「あ、わかった? 昨日はアメトーク家電芸人SPだったの! 君彦クンも見てた?」
「え!? いや、テレビのチャンネルをずっとコント特集にしてたから・・・」
『あ―――――――っ、しまったぁ―――――――っ! コント特集見るの忘れてたぁ――――――っ!』
話が脱線してしまい、再び戻そうとする三人に遂に猫又がキレ出した。
『オレに名前付けようとしてんじゃねぇよ、オレは猫又のままでいいんだよ!』
2本足で立ちながら君彦と響子に向かって文句を言う、しかしそれを聞き入れてしまったら響子は君彦のことを名前かクン付けで呼ばなくてはいけなくなってしまうので、負けじと響子も反論しようとした矢先だった―――――――。
猫又は全身の毛を逆立てて両目を大きく見開くと牙を剥き出し、君彦達に向かって猫又が本気で怒った。
『オレ様に名前を付けていいのは、オレが認めた主人だけだっ! 勝手に名付けようとしてんじゃねぇっ!!』
その余りの迫力に、君彦と響子は思わず息を飲んで黙りこくってしまった。すると猫又はまるで我に返ったようにハッとすると、バツの悪そうな顔になり―――――ぶっきらぼうに謝った。
『わりぃ、今オレ――――ちっと機嫌良くねぇから・・・もっかい散歩して来るわ。君彦―――――オレの帰りが遅くても心配する必要ねぇからな・・・』
君彦達に背中を向けて歩いて行く猫又の姿が、どことなく孤独を感じさせたので君彦は余計に心配になった。
「あいつが―――――――、あんな風に怒ったの・・・そういえば初めてだな」
猫又が何で機嫌が悪いのかわからない、そして先程の台詞―――――――猫又の主人について何も知らない君彦はなぜか無性に胸騒ぎがして仕方がなかった。