猫目石
3丁目のとある一角、人通りが少なくさびれた路地沿いに古めかしい飲み屋が一軒あった。木造でかなりガタが来ているその飲み屋には赤いのれんがかかっており、それには『猫目石』と書かれている。まだ午後の3時なので準備中なのだが、ガラリと硝子戸が開いて1匹の猫が入って行った。その猫を見るなりこの店の主が嬉しそうな笑顔を見せる。
艶のある黒い結い髪に真っ白い肌、キラキラとガラス玉のようなキレ長の瞳は緑に金色がかかっている。舞妓のようにうなじや肩を大胆に露出した着物を着た妖艶な女性、外見で言えば20歳前後の美しい彼女こそ3丁目で最も美しい物の怪とされている通称猫娘こと、名を涼子という。
『あら、猫又さんいらっしゃい! でも残念、まだ開店してないんだけど・・・でも猫又さんなら特別だわ』
涼子に歓迎されながら猫又はひょいっとカウンターの椅子に飛び乗ると、両前足をテーブルに乗せてくつろぐ。
『いや、今日は遊びに来たんじゃねぇよ。カナの奴から気になる話を聞いたんでな、ちょいとパトロールのついでに立ち寄っただけだ。涼子は何か知らねぇか、最近ここいらを荒らし回ってる退治屋について・・・』
飲み屋をしているなら情報が早いはずだと踏んだ猫又であったが、涼子はきょとんとした顔でコップを拭き拭きしている。
『退治屋? さぁ・・・この辺りは平和そのものだけど、猫又さんのお陰で。でも退治屋だなんて穏やかじゃないわね。一体何なの?』
猫又は念の為、涼子にカナから聞いた話をそのまま話した。すると涼子は怯えるでもなく、かといって猫又の話を冗談だと思っている風でもない余裕の笑みを浮かべるだけだった。
『随分物騒な話だけど、ようするにその退治屋が現れたら相手にしなきゃいいだけの話でしょ? 何か聞かれても適当にあしらうわよ』
全く危機感を見せない涼子の態度に、猫又は少し呆れた声で注意した。
『おいおい、そんなのほほんとした状況でもねぇだろうが。相変わらずお前は危機感ねぇというか何というか・・・』
涼子の楽観ぶりに猫又は頭痛を堪えるような仕草をして、左前足で頭を押さえて首を左右に振った。すると涼子はくすくすとからかうように笑うと、にっこりと微笑んで猫又に顔を近づけ――――――危機感のない理由を言って聞かせた。
『だって、いざとなったら猫又さんが助けてくれるんでしょう? ウチは信じてるもの、猫又さんのこと』
妖しい色気をかもしだしながら猫又の耳にふぅっと息を吹きかけると、猫又はぞくっと全身の毛を逆立てて息を吹きかけられた方の耳をパタパタさせた。それからすぐにカウンターの椅子から飛び降りるとまるで逃げるように出入り口に向かう。
『と・・・とにかく! 退治屋のことが片付くまで店は閉めときな! 物の怪や幽霊の溜まり場になってるここが一番狙われやすいんだからな!』
猫又の言葉に涼子は突然楽観的な表情からプライドを傷付けられたような表情へと豹変し、声を荒らげる。
『お店は閉めないわよ!? ウチの入れる熱燗を楽しみに来てくれるお客さんがいるってのに、営業は続けるからね!? 何かあったら猫又さんが来るまでウチがお客さんを守るわよ!』
『涼子・・・、だから危ないって・・・』
『ふん! 気が向いた時にしか来てくれない猫又さんにはウチの店の良さがわからないのよ! わかったらさっさと出てって! 町内パトロールでも何でもしてくればいいじゃないのさ! 猫又さんのバカっ!!』
挙げ句に熱々のおしぼりを投げつけようとする涼子の勢いに、猫又は急いで店を出て行った。




