妃紗那、戯れる
お久しぶりです。
途中まで書いていたものを、投稿しました。
猫目石に突如として現れた犬塚達に君彦は当然驚きの色を隠せなかった。
そして現れるやいなや犬塚が口にしたセリフは更に君彦を驚愕させるものだった。君彦だけではない、事情をどこまで知っているかわからないが犬塚に連れられここまでやってきたであろう黒依や響子も驚きの表情を見せている。
「まさかこうして現れるとは思わなかった。猫又のことがあるんだ、考えてみれば当然のことだが……」
カウンター席で静かに佇む妃紗那を威嚇するように睨みつける犬塚であったが、それ以上に彼は狼狽していた。妃紗那の持つ雰囲気に圧倒されているのだろうと君彦は最初思ったが、どうやらそれだけではなさそうな雰囲気だ。
犬塚の登場に妃紗那はようやく振り向き微笑んだ。その笑みはこれまでの不敵な笑みではなく、どこか懐かしむような微笑みであった。犬塚のセリフにあった「義理の姉」という言葉で、妃紗那の微笑みの意味は大体察しがつく。どういった事情なのかはわからないが、恐らくこの二人は長い間離れ離れになっていて、そして久しぶりに再会したのだろう。しかしそれはあくまで君彦の憶測でしかない。問題が次々と積み重ねられてなかなか整理出来ないような状況だ。物事をひとつひとつ解決したくても、それ以上に情報が蓄積されてしまって、まるで収拾がつかない。
そんな君彦の助け舟となるように響子が声を荒らげる。
「あぁもう! さっきから何が何だかわけわかんないわ! ようするに一体これはどういうことなのよ! 図書館でいきなり大きな白蛇がやってきたかと思ったらアンタが来れないとか言い出すし、突然犬塚がしゃしゃり出てくるし、犬塚は犬塚で白蛇を見るなり血相変えて問い詰めたかと思ったら急に走り出すし! 猫目石に行けば説明するとか言ったんだからちゃんと説明しなさいよね!」
どうやら響子も君彦と同じように周囲の状況に流され、わけがわからないままここまでやってきたようだ。君彦はとにかく猫又と妃紗那との関係性、そして猫又にどんな用事があるのかを知りたかったのでここまで来たが、それ以上に事情も何もわかっていない黒依や響子のことがとても気の毒に思えた。特に黒依はこちらの世界のことを知らない、少なくとも君彦はそう信じているのでなおさら黒依のことが気にかかった。
「黒依ちゃん、志岐城さん、混乱するのは無理も無いと思うよ。オレだって何がどうなってるのかわからないまま現在に至ってるわけだし。てゆうか犬塚! お前こそ一体何なんだよ! いきなり現れて何を言い出すかと思えば。お前、この人と知り合い……っていうより義理の姉って一体どういうことか説明しろよな! こんな所まで二人を連れて来てどういうつもりなんだよ! しっかり説明責任を果たしてもらうからな!」
ここまでの展開をまるで全て犬塚のせいにするように、君彦はカウンター席から勢いよく立ち上がると怒り狂うように指差しながら非難した。いつもの犬塚ならわざとらしく君彦の言い分を無視しているところだが、彼の雰囲気はこれまでと明らかに違っていた。犬塚の視線の先に君彦の存在は一切なく、ただ一点を……妃紗那だけを見据えている。その様子は蛇に睨まれた蛙のように、視線を逸らせばそのまま食い殺されてしまうかのような緊張感だった。
そんな中、ようやく妃紗那が口を開く。先程の懐かしむような微笑みはなく、妃紗那の美しい顔は冷笑を浮かべていた。
「……お前は誰に向かって口を利いている?」
妃紗那の言葉は冷たかった。彼女の側に立っていた君彦の背筋が途端に寒くなる。これまでに何度も妃紗那の雰囲気に圧倒され、背筋が寒くなる思いをしてきたが、今の妃紗那から発せられるものは明らかに異質なものだった。これを言葉で表現するならまさしく殺気というものなのだろう。
そう感じた瞬間だった。いつの間にか妃紗那の側に先刻の白蛇、ハクが控えていた。それと同時に今度は犬塚の側に犬神が姿を現していた。犬神は姿こそ見せないが常に犬塚の側に付き従い、必要に応じて現れるようにしている。そして今がその必要な時だった。
白蛇ハクを従える妃紗那と犬神を従える犬塚の対峙する光景を見て取った君彦は、まさかここで乱闘でも始めるのではないかと思った。ここは仮にも居酒屋だ。こんな所で大暴れでもしたら涼子に迷惑をかけてしまう。そう察した君彦は殺気あふれる二人の仲裁に入ろうとした矢先――。
『くーん! くーん!』
犬神が突然腹ばいになって甘えた声を出した。完全に服従の状態である。
「犬神! お前、何をしている!」
まさかこんなことになるとは思っていなかった犬塚が慌てて犬神を叱責したが、犬神はそんな主人の言葉に従う様子もなく、なおも服従の姿勢のまま必死に降参を訴えているようだった。
『すまぬ慶尚! 我には逆らえん……。妃紗那様に逆らおうものなら我は地獄に堕ちる以上の報いを受けることになってしまう……! すまぬ……、すまぬ……!』
「よくわかっているじゃない、犬神。さすが私の元・守護獣だわ」
あっけないまでに勝敗が決してしまった。
こんな結末になるとは思っていなかった犬塚はショックが隠せないのか珍しく狼狽しっぱなしだ。そんな犬塚に妃紗那が更に辛辣な言葉を浴びせた。
「慶尚、世の中にはどうしても越えられない壁というものがあるのよ。お前がどんなに努力しようとこの私を越えられるわけがないの。……そんなこと最初からわかっていたことでしょう?」
「くっ! 何が神童だ……、魔王の間違いだろ」
主人が侮辱されいたたまれなくなったのか、犬神は詫びるような声を上げ、そしてその場から姿を消してしまった。妃紗那に服従した姿を現在の主人にこれ以上見せたくない為だ。遂に守護獣までも失った犬塚は屈辱のあまり力の限り拳を握りしめた。これほど悔しがる犬塚を見たことがなかった君彦はどうしていいかわからずにいた。
目の前で何が起きているのか全くついていけずにいると、それを察したかのように妃紗那が再び説明を始める。その話しぶりはまるで今ここに来たばかりの黒依や響子にも聞かせる為のようでもあった。
「さっき慶尚が言っていたけれど、私と慶尚は義姉弟なのよ。母親が違うの。私が幼い頃は犬塚神社で慶尚と共に育ったわ。一応私の中にも犬塚家の血が流れているからね、犬神の最初の主人は私だったの。でも私が犬神家を出て神代となってからは、慶尚が犬神を継いだということになる。守護獣は一度に二人の主人に仕えることが出来ないからね」
そう告げる妃紗那にある程度察したのか、響子が勇気を出して話しかけた。女性に対しては特に恐怖心や嫌悪感はないのだが、妃紗那に対しては誰もが緊張してしまう。それもまた妃紗那の生まれ持った「強すぎる力」が相手を萎縮させてしまうのだ。黒依に至ってはまるで空気のようにその場に立ち尽くしたままでいる。
「ようするにあの白蛇の飼い主があんたってことで間違いないようね。猫又に一体何の用事があるっていうのよ! あんな白蛇ごときで私達の予定を壊せると思ったら大きな間違いなんだからね!」
虚勢でしかないが響子は目一杯強気に出た。そんな響子に対し黒依は冷ややかな態度で見下していた。
(バカね、相手が悪すぎるってわからないのかしら。……ていうか志岐城さんは元は普通の人間だからわかるわけないわね。全く……、余計なことをしてこの女に目をつけられたらどうするのよ)
そんなことを心の中でこぼしていたらふいに妃紗那と目が合った。まるで黒依の心の中を見透かしたように不敵な笑みを見せる妃紗那に対し、黒依は敵対心はないのだと態度で示すように響子の後ろへと引っ込んだ。これ以上妃紗那に覚えられるわけにはいかない、とでも言うように黒依はとにかく自分の存在をかき消すよう務めることで精一杯だった。
そんな黒依の行動全てを見抜くように妃紗那は小さく笑うとそのまま視線を響子へと移した。響子を品定めするようにまじまじ見つめると、今度は面白いおもちゃを見つけた子供のような表情へと変わった。
「へぇ、あなた面白いわね」
「はぁ? いきなり何よ?」
「猫又ちゃんに力を分けてもらったのね。しかも色情霊に取り憑かれた女の子なんて珍しい。私が見たところ、相当恨まれてる様子だけど」
「えっ」
響子だけではなく、君彦も同じように驚愕した。
読んでくださり、感謝しかございません。