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猫目石、到着

 君彦は妃紗那と共に来た道を一旦戻った。

 なぜこんなことになったのか全くわからないが、ともかく今は妃紗那を居酒屋・猫目石に案内する他ない。妃紗那が君彦のことをどこまで知っているのか、猫又とはどういう関係なのか。どうしても気になって仕方なかったのだ。

 ふと君彦は周囲の目が気になった。今まで周囲からどのように見られても意識することなく気にかけることはなかったのだが、どこか居心地の悪い気分だ。しかし理由はすぐにわかった。周囲が見ているのは君彦ではなく、その隣を歩く妃紗那だった。

 妃紗那はフリルの付いた黒い日傘を差し、その出で立ちもかなり奇抜なものである。和洋折衷とでもいうのだろうか、基本的には和服なのだがレースやフリルがあしらわれている真っ黒な衣装。長く美しい髪も黒、持っている物も着ている物も全て黒で統一されている格好がどうしても人の目を引く。

 それに加えてこの美貌である。本人は全く気にしていない様子であったが、君彦が見てもその存在感は異様なものだった。


(オレと変わらないのかもな。どんな目で見られても気にならないのは……)


 妃紗那の異質な存在感を意識していると、まるで自分の子供の頃が思い出されるようだった。君彦は物心ついた頃にはすでに幽霊や妖怪の類の存在をその目で見ることが出来たし、会話することも可能だった。本人にとって生きている人間とさほど変わりなかったのだが、君彦以外の「普通の人間」にはその存在を目で見ることは当然出来ない。

 「生きている人間」と「この世に存在しない人間」との違いがわからなかった君彦は、何もない空間に向かって大声で話しかけたり笑ったりしていたものだから、周囲は君彦のことを気味悪がったものだ。

 祖父に言われ、やがて気をつけるようになってはいったが、それでも自然に話しかけてしまう癖はすぐには直らないし今でもそうである。普通に道を歩いていても授業中であろうとも猫又は平気で話しかけてくるしイタズラもしてくる。それを完全に無視することは君彦にとって難易度の高いものだった。

 気をつけてはいるものの「彼ら」の存在を完全に無視出来ない君彦は、周囲からはさぞ奇妙なものに映ったであろう。妃紗那の場合はそのような奇行に走っているわけではないのだが、それでも周囲から奇異な目を向けられることがこんなにもそわそわするものだとは長らく忘れていた感覚だった。鈍感でいた普段の自分はなんと幸せだったことだろう。

 そんな他愛もないことを考えながら君彦は猫目石へと向かう。商店街の中を歩いて行き、やがて細い路地裏へと続く通路が見えてきた。あの通路を渡ってしばらく歩いて行くと猫目石という居酒屋がある。普通の人間ならばただの廃屋にしか見えない建物が。

 猫目石ののれんが見えた時、君彦は指差し示した。


「あれです。あの建物が猫目石なんですけど、わかりますよね?」


 愚問だとわかっていても確認してしまう。霊感のない人間には人気の全くないボロ屋だからだ。妃紗那の顔をちらりと見やる。その視線は真っ直ぐに猫目石に向けられていた。やはり彼女にはわかるのだ。白蛇を使役する程の人間だ。普通であるはずがない。


「不安だったでしょう?」


「え?」


 唐突にそう言われ君彦は虚を突かれた。しかし君彦のリアクションはそっちのけで妃紗那は軽く微笑みながら見返す。


「お友達の隠れ家に案内すること。私が何者かわからないのにね」


 妃紗那は君彦より身長が高い。それとは関係なく上から物を言われた感じがしたことと、他に選択肢がない状況を作った妃紗那に対し君彦は珍しく女性に対して苛ついた。


「だって、案内するしかないように仕向けたのはそっちじゃないですか」


「まぁ、そうね」


 軽く受け流すようにそれだけ言うと、妃紗那は更に先を促した。無言ではあったが「早く中まで案内しなさい」と訴えている様子だ。先刻のことだが妃紗那とハクとの会話の中で、気になる内容があったことを思い出した。それは君彦が妃紗那を案内するしかないと決定づけた内容でもある。

 猫又の結界が張ってある場所には君彦を連れて入らなければならない、と。

 妃紗那は恐らく君彦なしではこのまま猫目石に入ることは出来ないのだろうと察した。猫又の結界というものがどういうものかわからないが、想像するのは簡単だった。入ろうとした瞬間に何らかの力によって拒絶されるのだろう。君彦は今まで何度となく猫目石を訪れたことがあるのでその感覚がどういうものなのかはわからないが、何か電気が走ったりするのだろうか? 見えない壁が行く手を妨げるように通り抜けることが出来ないのだろう。

 このまま店に入ることを拒絶してもいい、と考えてみたがすぐにそれは却下した。そうしたところで何も前に進まない。妃紗那の正体もわからないままになってしまうし、自分のこと、猫又のこと。何より黒依や響子たちの元へ向かったハクのことが気にかかった。ここで妃紗那を案内しなかったら、自動的にハクが二人に危害を加えないとも限らない。

 妃紗那は絶対にそんなことはしないと約束してくれたが、君彦はとてもじゃないが彼女のことを信用することが出来なかった。人を疑うような真似は基本的にしたくない君彦であったが、妃紗那はそれを君彦にさせるほどに異質な存在だったからだ。

 正体不明な存在感。恐怖感にも近い妃紗那の雰囲気が君彦に警戒心を与えている。よって妃紗那に逆らうことは自分の首を締めることに変わりないと結論付けることは容易だった。


「それじゃ、入りますよ」


 それだけ言うと君彦はのれんを片手で払い、引き戸を開けた。ガラガラとガラスの鳴る音と共に来客を示す鈴の音が聞こえる。商店街がそばにあるというのに周囲は妙な静けさだった。

 この周辺はいつもこうである。まるで異なる空間に入り込んでしまったかのような感覚に近い。喧騒がなくなり、人々の生活音も聞こえない。この猫目石以外、周辺には何もないような感覚。

 店の中に入ると芳しい香りが鼻をくすぐった。甘いような、渋いような、どっちともつかない芳香剤の香り。芳香の中に微かに酒の臭いが混じっている。中はしんと静まり返っていた。やはり君彦が立てる音しか聞こえない。


 屋内は明かりが点っておらず、外から差してくる陽の光だけが頼りだった。中を覗き込みながら一歩、また一歩と店内に入っていく。君彦がいつも訪れる時はもっぱら夜間だったので、こんなに静まり返っている猫目石を訪れたのは初めてだった。

 猫目石の具体的な営業時間を聞いたわけではないが、居酒屋なら普通は店を閉めている時間帯である。猫又の連れとして訪れたことしかないので詳しくは知らないが、猫目石の店主である猫娘の涼子はこの店に住んでいるはずだ。

 奥に続く部屋が彼女の住まいだと思われる。幽霊や妖の類の活動時間は夜の間だ。それに合わせて店も夜が明けるまで営業していたに違いない。そう考えたらこんな時間に店を訪れたのは気の毒に思えた。

 仕事で疲れて眠っているのだろう。だがここまで来て引き返すわけにはいかない。果たして妃紗那が用事があるのはどっちなのだろう。店の中で話をするだけなのか、涼子との面通しも期待してのことなのか。

 君彦は思い切って呼んでみた。


「あの~、涼子さん? いますか?」


 反応はない。やはり寝室で寝ているのだろうか。君彦は困って思わず妃紗那を見やった。自分の役割はすでに果たしたはずだ。妃紗那に頼まれたことは「猫目石に案内すること」である。それはもう達成したのだからこの先どうしたらいいのか妃紗那に委ねる他ない。

 しかし妃紗那は無言のままだった。更に店内に入るわけでもなく、ただ君彦の隣で佇んだまま黙って一点を見つめている。その時、奥の部屋から何か音が聞こえた。あまりに小さな音であったが周囲の喧騒が何もないので聞き取れた。


「いるんですか、涼子さん?」


 君彦はさっきより大きめの声を上げた。いるのならなぜ出てこないのだろう。それとも今起床したばかりなのだろうか。疑問に思っているとやがて奥から涼子が姿を現した。いつも着ている割烹着ではなく、花柄模様の和装だ。

 涼子は緊張している様子である。その顔は強張ったように引きつり、口を真一文字に引き締めている。両手を胸の前に組んでわずかに震えているように見えた。いつもの涼子ではない。明らかに様子がおかしかった。


『あの、ウチに何か御用ですか?』


 涼子は第一声にそう言った。君彦ではなく妃紗那に向かって。その声もまた緊張のあまり上ずっていた。


「悪いけれどお店を少し開けてくださる? 今は閉店時間だってわかってるんだけどね。ここが賑やかになり過ぎる前に済ませておきたい話があるの」


 妃紗那がそう言った瞬間、涼子は何かを決意したかのように前に乗り出した。さっきまでの緊張が嘘のようである。


『猫又さんのこと? そうなんでしょう? それなら残念! あなたに猫又さんは渡さないんだから!』


「涼子さん?」


 君彦は驚きのあまり涼子と妃紗那の間に割って入った。涼子が今にも妃紗那に向かって殴りかかっていきそうな勢いだったからだ。君彦の知っている涼子はもっと穏やかで、気さくで、世話好きな女性である。猫又を諌める時に多少声を荒らげるだけで、このように誰かに突っかかっていく所なんて見たことがなかった。

 妃紗那をかばったように見えたのか、今度は君彦に向かって敵意を露わにした涼子が食ってかかる。


『君彦さん、どうしてよ! あなたがこの女を連れてくるなんて信じられない! あなた、自分のしたことわかってる?』


「え、ちょ……」


 涼子の豹変ぶりに完全に気圧された君彦は、涼子の両肩を掴んで抑え込むだけで精一杯だった。そんな状況でさえ妃紗那は顔色ひとつ変えず、たじろぐ様子さえない。まるで自分に敵意を向けられている自覚がないのかと疑う程だ。涼子の勢いに君彦はたまらず妃紗那へと助けを求めるように視線を投げかける。こうなってしまった原因は絶対妃紗那にある。そう確信してる君彦は妃紗那の余裕の表情が憎らしいとさえ思った。こんな気持ちになるのは犬塚以来かもしれない。


「ちょっと、いい加減助けてくださいよ! 別に猫又をどうこうしようなんて思ってないんでしょう? 涼子さんにちゃんと説明してくださいって!」


 たまらず声を上げる君彦に妃紗那はようやく動いてくれた。


「その子の言う通りよ。今日は猫又ちゃんに用事があるわけじゃないの。それはまた今度にするから」


『また今度? やっぱりどうにかする気じゃない! この蛇女!』


 妃紗那の余計な一言で涼子の逆鱗にまた触れてしまったようだ。二人の間に割って入ることに早くも疲れてしまった君彦は妃紗那に文句を言いたい気分だった。喉元まで出かかった文句はもちろん飲み込んだわけだが。

 そんな君彦の気苦労にも、涼子の怒りすらも受け流すようにツカツカとカウンターに並んでる椅子に勝手に腰掛けた。長い足を組んで座る姿も憎らしい程に優雅で絵になった。そんな妃紗那の態度に、これ以上感情をむき出しにして怒っても調子が狂うだけだと察し、君彦と涼子はとうとう諦めてしまった。

 君彦は躊躇しながらも妃紗那の右側の椅子に腰掛け、涼子はピリピリとした顔つきでカウンターの内側へと入っていき、ガラスのコップに冷水を入れて二人の前に乱暴に置いた。割れはしなかったものの水しぶきが軽くカウンターテーブルに飛び散る。それから涼子は両腕を前に組んで威嚇するように妃紗那を睨みつけた。

 妃紗那は水を一口飲み、それからようやく語り出す。妃紗那自身のこと、君彦について妃紗那がどこまで知っているのかということ、猫又に関すること、そして……猫又征四郎のことを。


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