代弁者
普段は出入りの少ない図書館。夏休みに入ったことで子供の利用者が増えていた。
そんな図書館の出入口付近に二人の女子高生が立っている。一人は麦わら帽子を被ることで顔に直接紫外線などを浴びることは避けられていたが、半袖のブラウスから出てる両腕はしっかりと熱い日差しを浴びていた。もう一人はしっかり日傘を差して凌いでいる様子だ。
暑そうに時折麦わら帽子をうちわ代わりにして仰ぎながら響子が文句を言う。
「おっそいわねー猫又のヤツ! あいつが時間に遅れるなんて珍しいんじゃない?」
「そうね、何かあったのかしら」
余裕の表情で答える黒依であったが、君彦が待ち合わせ時間に遅れることは確かに珍しいことだった。何か良くないことでもあったのだろうかと少し不安になる。いつも些細な事は気にしない黒依にしては珍しい。珍しいことだらけである。
やがてしびれを切らした響子が暑さに我慢出来ずに動き出した。
「もうダメ、限界だわ。どうせ待つなら中で待ちましょ。ここにいたら熱中症で倒れちゃう!」
その言葉に異論はなかった。確かにこのまま外で待っていても仕方がない。外で待とうと中で待とうと同じことだと思って、黒依が響子に続いて図書館の中へ入っていこうとした時だった。
悪寒が走った。
ぞくりと背筋が凍るような感覚に陥った黒依は、さっと背後を見渡す。
「どうしたの?」
特に何も感じていない響子が振り向く。気のせいだったのだろうかと黒依が冷や汗を流しながら響子の方へ向き直り「なんでもない」と言いかけた時だった。目の前に立っている響子の目が大きく開かれていることに気付いた。その目はなにか恐ろしいものを見るように、非現実的なものでも目撃したかのように指をさして震えていた。
響子の指差す方向へ黒依も振り向く。
それは空にあった。空から何かがこちらへ向かって飛んでくる。ゆらゆらと左右に揺れるように白い物体が近づいて来るのがわかった。それは遠目であるにも関わらず姿がわかったことから、とてつもなく大きな白蛇だとすぐに認識できた。
「な、なによあれ!」
空から巨大な白蛇がこちらへ向かってやってくるなんて、ただのホラーである。響子は慌てて図書館の中へ逃げようとしたが、それを黒依が制した。響子の手を引き、ここに留まるように無言で促す。
やがて白蛇は二人の目の前に降り立ち、とぐろを巻きながらこちらを真っ直ぐ見つめてきた。
『猫又君彦の連れですね』
白蛇は真っ赤な舌をチロチロさせながら話しかけてきた。こんな不可思議な現象、君彦に出会う前にはなかったことだ。白蛇の言葉に響子はすぐさま君彦の仕業だと理解する。それなら話は早いとばかりに虚勢を張った。君彦が他人に危害を加えるようなことはしないはずだと勝手に解釈したのだ。この白蛇、ハクが君彦の命令でここに来ているわけではないなど響子が知るはずもない。
「あいつの差し金ってわけね、まったくもう……驚かせてくれるじゃない!」
響子は左手を腰に当て、右手はハクを指さし威勢のいい声を上げたが右手はかすかに震えていた。いくら相手が危害を加えないであろうと予想していても、目の前にアナコンダ程の大きさを持つ蛇が現れたとなれば誰だって怖いだろう。しかもそれが空から舞い降りてきたのだ。そんな響子の隣で静かに様子を見守っていた黒依は迷っていた。
自分にもこの白蛇が見えていることにするべきかどうか。黒依はある事情により霊感が全くない振りをしている。君彦を始め響子にも、猫又の姿が見えていることは隠しているのだ。しかしそれは犬塚慶尚によって見破られているが、それは大した問題としていない。黒依にとって都合が悪いのは、君彦に真実を知られることが怖いのだ。
目の前にいる白蛇はどうやら自分たちに用があるらしい。それは意思を持ってここに現れたということなのだから、黒依たちにその姿や声が届かないことには意味がない。白蛇は数多くいる動物霊の中でも特に別格の力を持っていると聞く。黒依自身に幽霊や妖怪の類に関する知識が豊富なわけではないので確証はないが、格の高い動物霊はその意思により霊感のない人間に対して自分の姿を見せたり声を届けたりすることが出来るはずだ。それでも例外はある。
例えばこの白蛇の目的の人物が「黒依と響子」ではなく「響子のみ」だった場合だ。その時は響子にしか姿を現さないという可能性がある。白蛇と君彦との関係性がわからない以上、黒依はどう振る舞ったらいいのか判別がつかないでいる。
しかしここで白蛇とのんきに会話をしている場合ではなさそうだ。ここは公共の場、さきほどから図書館に入っていく子供たちがこちらの様子に異変を感じているのだ。響子が何もない空間に向かって指をさし声を上げている。異常な行為に見えても仕方ない。
ひとまず黒依は「白蛇が見えている」かどうかは別として、響子の奇行が他の者に見られない為に移動しようと考えた。
「ねぇ志岐城さん、とりあえず場所を変えない? ここだと目立つから、ね」
「え……」
黒依にそう声をかけられ我に返る。周囲を見ると子供たちが口をぽかんと開けながら自分を見ていた。そのほとんどは響子の奇行に視線が釘付けになりながら図書館へ入っていく者、あるいはその場で立ち尽くす者など。周囲の視線に気付いて初めて自分が奇行に走っている自覚をした。
顔を真っ赤にさせた響子はさきほどまでの威勢はどこへやら、白蛇に向かって小声で「ちょっとこっち来なさいよ」と話しかけながら黒依の言うとおりに、ひとまず人気の少ない図書館の裏手へと移動した。
黒依はとりあえず響子について行き、白蛇の言葉の内容によっては自分の立ち居振る舞いをどうするか決めることにした。
図書館の裏手に回った黒依と響子は周囲を確認した。ここは普段図書館へ本を搬入したりする業者が出入りする裏口となっており、今は誰もいない様子だ。しばらくは他人の目を気にする必要はなくなった。気を取り直した響子はもう一度ハクに向き直る。
しかし今度は響子とのやり取りをする気がないのか、ハクは一方的に用件を口にしてきた。
『伝言です。猫又君彦は別件の為、ここへ来られなくなりました。なので彼のことを待つ必要はありません。以上です』
その言葉はほとんど意味のない内容に思えた。肝心な理由が含まれていない。別件と言っているが、君彦が先に約束をしている人間に対してこのような形で無下にするとは思えない。黒依はともかく響子は君彦と出会ってそれほど長くはない。少なくとも数ヶ月程度の付き合いであるが、それでも君彦の人となり位は黒依と同じ程度には把握しているつもりだった。
隣で黙って立っている黒依に視線を移す。響子は猫又の霊力によりある程度の霊感を授けられている為、目の前にいるこの白蛇の存在を目視することは出来る。しかし黒依はどうなのだろう。この白蛇は自分と黒依に用事があるので黒依にも見えるようになっているのだろうか。疑問に思ったがそれは今はどうでもよかった。
とにかく黒依も納得はしていないはずだ。いくらのほほんとマイペースな性格をしている黒依だからといって、君彦の性格は知っている。響子と同じように疑問に思っていることは聞かなくてもわかる。だが黒依は細かいことは気にしないというところがある為、響子ほど気になっていない恐れもあった。
「別件って、一体どんな用事が出来たってのよ? それを信じろって方が無理な話じゃないかしら!」
そう、信じろという方が無理がある。黒依も響子と同じ考えであった。君彦は過剰なまでに優しい性格をしている。加えて他人に対して、特に女友達に対してこのような形でドタキャンするとは考えにくい。これまでも何度か同じような出来事があった黒依にはわかる。同じような出来事と言っても、霊に代弁させて約束を破るという行為のことを言ってるわけではない。
君彦は元々していた約束を守れなくなった場合、必ず自分の口で弁明し、謝罪してきたのだ。どんなに急な用件でも必死に待ち合わせ場所へ駆けつけ、先に謝罪するのが黒依の知っている猫又君彦なのだ。
それが出来ないということはつまり、君彦はどうしてもここへ来られない理由が出来たということになる。それが妙に引っかかった。約束を破ってまで、こんな格の高い霊を使ってまでここへ来られない理由に、黒依は君彦の身に何かあったのだと直感する。
黒依は響子より一歩前に出て、ハクを真っ直ぐに見つめながら問うた。
「君彦クンはどこ? 彼は無事なの?」
黒依がそう尋ねた時、ハクの真っ赤な目が細められたように見えた。それはまるでこちらに対して威嚇するような、黒依が余計なことを口にしたことに苛立ちを見せているような雰囲気だった。黒依も響子のようにハクを目の前にしてから恐ろしさで全身鳥肌が立っているくらいだ。明らかにハクはとてつもなく強い力を持った動物霊だ。
黒依はハクが危険な存在であると確信する。少なくとも決して自分たちが逆らってはいけない存在だ。言葉だけで解決するはずだったやり取りが、黒依の言葉によってその保証がなくなったかのように思われた。
身の危険を感じた黒依はゴクッとつばを飲み込んだ。気候による暑さとは関係なしに全身汗でべったりとしてくる。手のひらは汗で滲んでいた。どうしたらいいのか考えあぐねていた時、図書館の出入口があった付近から人影が現れた。犬塚慶尚だった。
「犬塚クン!」
黒依の叫びに響子も慶尚の存在に気付いた。待ち合わせ時間に大幅に遅れていた慶尚であったが、今はそんなことより彼がここに現れてくれたことの方が重大に思えた。間違いなく黒依や響子より霊に関する知識は豊富なはずだ。加えて慶尚には守り神である犬神もそばについている。不穏な空気が漂っていた中で慶尚の登場は有り難かった。ハクも慶尚の存在に気付いたようで後ろを振り向く。
ハクは慶尚を見ると落ち着いた口調で独り言のように呟いた。
『……やはり、お前は犬塚家の坊っちゃんじゃないですか。随分と大きくなりましたね』
「お前は……、ハク……? どうしてこんな所に……」
慶尚とハクの会話に二人は呆気に取られた。まさか互いに知り合いだとは思ってもいなかったからだ。これで話は早くなるかもしれないと楽観視する響子に対し、黒依は今もなお緊張の色を隠せない。なぜなら慶尚のそばに付いている犬神の様子がおかしかったからだ。犬神の尻尾は股の間に隠れ、完全に怯えきっている状態であったのだ。
同時に不安ばかりが募る。今頃君彦は無事でいるのだろうか? 黒依にとってそれだけが気がかりだった。
今回はハクのことを「白蛇」「ハク」という表記が多いです。
本来なら統一するべきなのですが、私の文体は三人称になったり一人称になったりと、元々統一性がないので何度も読み返してみましたが、「やはりここは白蛇が妥当かもしれない」、「ここはハクでいった方が自然かもしれない」と検討した結果、こんな形になってしまいました。
響子の思考、黒依の思考の中で「ハク」と明記したら違和感があったので、あえてこういう形を取らせてもらいました。
まだまだ勉強が必要なようです。