母を見送る
浅い呼吸が、だんだんと間隔が空いていくなかで、私たちは母の手を握り続けた。
「ここにいるからね」
聞こえているのか、聞こえていないのか、反応する事もなく、母は目を閉じたままだった。
午前3時を過ぎた頃。
ああ、これが最後だと確信した。
痩せ細った身体に残ったわずかな力を、使い果たそうとしている。それを、私は見届けなければならない。
母の思考の中に、どんな景色があるのだろうか。苦しみや悲しみはあるのか…しかし私には全てを受け入れて、最後まで高潔であろうとする、母のプライドが感じ取れた。
母の命の灯火が、今にも尽きようとする時でさえ、私には悲しみを感じる事が出来なかった。
ただただ、母が望む事を成し遂げる責務に、私は全力を尽くす重圧にギリギリのところで堪えていた。
末期の母を自宅で世話をすると決めてから、ある程度の重圧は予測していた。仕事柄、病人の最後は何度も経験してきた。仕事と家族は違うと、それも分かっていたはずだ。
それでも、毎日のように動悸と目眩に襲われた。
父と兄と私に囲まれ、それぞれ手を優しく握られ、母は最後のひと呼吸を終えた。
父も兄も悲しみに耐えている中、私は訪問看護師に連絡を入れる。まだまだやるべき事がある。
父も兄も各方面に連絡をを入れ、立ち止まっているゆとりは無かった。
私が母の世話の為に帰省してから、思いつく限りやるべき事をやったという自負はある。
それでも、面会に来てくれる方の
「娘がいて良かったね」
「介護の専門家がいて良かったね」
と語りかける言葉に、どれだけ苦しめられたか、分かる人がいるだろうか。
悪気の無い良心的なこころ遣いに、私はいつも追い詰められていた。
それでも、母の安らかな表情を見れば、私はやり遂げたんだと思うことができた。少し頑固さを残してはいるものの、色白で皺の少ないきれいな顔立ち。
(文句は言わせないからね)
心の中で語りかける。
これまで抱えてきたわだかまりも、もう吐き出す当の相手がいなくなってしまった。
あなたにかけられた呪いも、とけないかもしれない。
それが、私の人生だという事。
あなたの人生のすべてを、私が理解し得ないように。
母と娘。
数多くの、様々な親子たちがいる中で、ほんの一例でしかない私たち。
そして、他には代え難い私たち。
美談ではない。
当たり前の親子であるだけ。