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7. 夢見の聖女は自転車の練習をする



 何でもやりたいことをすればいい、と言ったものの。


「自転車は想定外だったな……」



 仕事の休憩中だったルイスは、狭い庭でよたよたと自転車にまたがる夢見の聖女をぼんやりと見つめた。

 庭の隅では足元に猫を侍らせた祖母が安楽椅子で休んでいる。


「ルイスさん! 後ろ押さえててもらえませんか!?」

「ああ……」


 独身で子どももいないが、この歳になって自転車の練習に付き合うことになるとは思わなかった。しかも相手は元聖女だ。

 彼女は来た初日に丘の上の教会から自転車で駆け降りたのが爽快だったようで、自分で自転車に乗れるようになりたいと言う。


「行きます!」

「はい」


 シルヴィアが漕ぎ出すのを、荷台を押さえて手伝ってやる。だが、少し進んだだけでシルヴィアは「わああ」と声を上げて足を着いた。


「シルヴィア、ここは狭いから、もっと広いところで練習した方がいい。勢いつけないと」

「広い場所って近くにありますか?」


 安楽椅子でじっとしていた祖母がおもむろに立ち上がった。杖をついて、ゆっくりと庭を出て行こうとする。

 足元の猫たちもそれに従う。


「ばあさんが連れて行ってくれるってさ」

「え!? どこへ?」

「公園じゃないか? 着いて行きな」

「はい!」


 きいきいと鳴る自転車を引いて、シルヴィアも祖母と猫の後を追う。

 やれやれとそれを見送って、ルイスは診療所に戻った。




 当初、聖女がやってくることに不安を覚えていたルイスだが、杞憂だった。


 繊細だろうと想像していた聖女の実際の印象は、『腹を空かせた好奇心旺盛な子ども』といったところである。


 よく食べるし、よく寝て、色々なことに興味を示す。アナが買い物に同行しているようだが、目新しいものは即決で購入しているという。

 金をせびってくるわけでもないので、今のところ食費が一人分増えたくらいのものだ。心配していたほどの負担ではない。


 アナと祖母もシルヴィアを好意的に受け入れている。

 アナは想像よりも親しみやすい聖女に懐いているし、たまにお姉さんぶって知識を披露している。

 祖母も、先ほどのようになにかあればシルヴィアをフォローしてやっているのが見て取れた。


 突然やってきた聖女は、今のところ自然に家に溶け込んでいる。




「ねえねえ先生、先生のとこにいる女の人、聖女さまでしょ」


 料理中に手を切ったという少女からそう問われ、傷を診ていたルイスは曖昧に首を傾げた。


 中央教会を出た聖女の動向は公にされず、そう気付いても口には出さないのが不文律。

 しかしながらシルヴィアが街に出るようになって、このように声をかけられることが増えた。

 その度、明確な返答はしないようにしている。そうでなくても、あの銀髪と菫色の瞳で一目瞭然。

 さすがに本人に「聖女さまですよね!?」と押しかける不躾な人間はいないようではあるが。


 少女はルイスの表情を肯定と受け取ったようで、目を輝かせている。


「素敵ですよね〜、妖精みたい! この間、シドさんのお店で飴を買い占めてました! やっぱり甘いもの好きなのかしら」

「えっ」


 声が聞こえたのか、待合室から老人が顔を覗かせた。


「ワシも見たぞ、喫茶フランソワで大盛りパフェ早食いに挑んでた」

「ええっ」

「達成して景品をもらっとったぞ」

「ええー……」


 後ろに控えていた看護師も言う。


「玩具店で子ども限定の抽選に並んでましたよ」

「………………」

「お店の人驚いてましたけど、くじ引きしてました」

「ああ、そう……」

「先生の家では何してるんですか?」


「…………自転車の練習をしてる」


 話していた三人が、目を瞬かせて破顔した。


「ふふ、深窓の令嬢みたいな見た目ですけど、可愛いじゃありませんか」

「そうそう、近寄りがたいよりはねえ」

「楽しんでるならいいじゃろ」

「まあ……」


 今代の聖女が通常の任期よりもだいぶ早くに辞めることになったことは皆、知っている。新聞にも載っていた。

 ひょっとすると、それを本人は気に病んでいる可能性もあるかと考えていたが、全くそんなことはない。


 全力で生活を楽しんでいるようなのである。




 ♦︎



 

 夜、祖母が寝静まった後の食卓で、シルヴィアとだらだらと過ごすことは半ば習慣になってきた。

 眠る前に水を飲もうと階下に降りてシルヴィアが自身の菓子かごをごそごそしているのを見つけると、そのまま話を聞く流れになる。


「抽選で何が当たったんだ?」

「え?」


 チョコレートを包む金色の紙を、シルヴィアが宝物を開けるように丁寧に剥いている。

 夜中に甘いものばかり食べて肌荒れでもしそうなものだが、シルヴィアは変わらない。相変わらず、聖女然として綺麗だ。見た目は。


「くじ引き。おもちゃ屋で子どもに交ざってやったんだろ?」

「やりました、当てました、これです」


 チョコレートをそっと机に置いて、菓子カゴの中から何かつまみ出した。ぺろりとした青いもの。


「風船?」

「ええ」


 頷いたシルヴィアは風船の穴に口をつけ、思い切り吹いた。


「ふーっ!!」

「…………」

「ふーーっ!!」

「…………」

「…………はあはあ」


 顔を真っ赤にして風船へ息を吹き込むシルヴィアだが、青い風船は一向に膨らまない。

 こういうものはある一定量を超える空気量を一気に吹き込まないと膨らまないものだ。


「はあはあ、お願いします」

「肺活量無さすぎじゃないか?」


 シルヴィアは律儀に口をつけた風船を流しで洗いに行った。

 そういえば初対面でキスされたことを思い出して、「間接キスなど今更では」という気も一瞬したが、あれは事故(?)であった。


 ルイスは風船を受け取り、難なく膨らまして風船の口を縛ると、ぽん、とシルヴィアの頭にわざと当てて飛ばした。


「あっ、やりましたね」


 仕返しにとシルヴィアがばいん、と打ち返す。意外と軌道が良い。だが、顔に当たる前にルイスも打ち返した。

 避けきれず、青い風船はシルヴィアの顔面に当たった。


「ひどい、ルイスさん! 聖女の顔面を狙うなんて非道です!」

「ははは、中央教会に訴え出るか? 保護先で虐待されてるって」


 わざとらしくシルヴィアがよよよと泣き真似をするものだから面白くなって笑えば、彼女はハッとして嘘泣きをやめた。


「いえ、中央教会に比べたらここは天国です」

「え?」

「天国と地獄、月とスッポン、雲泥の差、花より団子」

「最後、なんか違わないか?」


 首を捻りつつ、シルヴィアの表情を窺う。

 考えてみれば、中央教会での生活について本人から聞いたことがなかった。

 食事に制限はあったようだが、豪華な建物の中で多くの女官に傅かれ、不自由のない優雅で豊かな暮らしをしてきたものだと思っていた。そうではないのだろうか。


 だがシルヴィアはそれ以上は語らず、風船をぽんぽんしながら話を変えた。


「カージブルの人たちは皆さん優しいですね。それに男の人はカッコいいし、女の人は可愛い人ばかりです」

「君だって綺麗だろ、見た目は」

「えっ、本当ですか!?」


 ルイスの付け加えた言葉も気にせず、シルヴィアが嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ルイスさん、本当に? こんな見た目でも?」


 自身の髪を摘み、菫色の瞳を指差して再確認してくるのでルイスは眉をひそめた。


「え、なんで?」

「気味悪くないですか?」

「ないよ、なんで。むしろアナなんか神秘的で綺麗だって言っていた。見た目は」


 答えれば、シルヴィアは一瞬驚いたように目を見開いた後、照れて頬に手を当てた。


「えっへへへ、ふっふふ、やだあ」


 嬉しそうにくねくねしている。その様子の方が気味が悪いが、それは指摘しないでおいた。


「ねえルイスさん、そしたら私も街の女の子たちみたいな服装をしても大丈夫ですか?」


 言われて彼女の服を改めて思い返すと、シルヴィアはいつも似たようなシンプルな服を着ている。

 趣味も分からなかったし、やって来るのが急だったのでルイスが服を用意することもなかったが、服はそれなりに持っているようだ。だが、基本的に装飾のない淡い色のワンピースである。


 若い女性らしく、おしゃれを楽しみたいということだろう。そうルイスは思った。


「なんでも好きな服を着たらいい」

「ありがとうございます!」




 ルイスの想像は当たっていたものの、彼女を甘く見ていたと若干後悔した。

 せいぜい、年頃の女性たちが着るような色の鮮やかな服やアクセサリーを楽しむ程度だと思ったのだ。というか、実際に本人はそう言っていたのだから。


 しかしルイスの予想を超え、シルヴィアは非常にさまざまな服装を楽しみだした。


 異様に膨らんだスカートにリボンやレースが過剰に着いた、人形に着せるような真っ白なドレス。

 反対に、同じようなデザインで真っ黒でふりふりのロングスカート。手首に十字架の飾りをぶら下げていた。

 また、ある日は騎士服を模したような男装姿、それから学院に通う制服のようなワンピースのことも。


 さすがにドクロの描かれた眼帯を着けていた時には、アナが「シルヴィアさんがお怪我を!」と診療所に駆け込んできたものの、ルイスは「放っておけ」と言っておいた。

 ファッションで様々な装飾具を着けたくなる時期というのは誰しもあるものだ。


 漆黒の編み上げブーツ、左右の色が違う靴下、孔雀の羽のようなヘッドドレス、何重ものフェイクパールのネックレス、トンボのブローチ、凶器になりそうなヒールの靴──。



 ひとしきり種々のファッションを試したら、気持ちは落ち着いたらしい。

 最終的に一周回って、シルヴィアの服装は当初着ていたような淡い色のシンプルなワンピースに落ち着いた。



 ある夜。

 いつものようにシルヴィアの夜食に付き合っていると、彼女から「色々試しましたけど、どれが似合っていたと思いますか?」と問われた。

 ルイスは困惑した。


「どれって言われても……」


 シルヴィアがファッション迷走状態の間、町の人々は彼女が今日はどんな格好をしているのか見かけるのを半ば楽しみにしており、診療所でも話題にもなっていた。

 ルイスは女性のファッションはよく分からないし、別に本人が着たいものを着ればそれでよいのではないかと思う。


「まあ、何でも似合うんじゃないか」

「適当に言ってませんか?」

「いやいや、皆がそう言ってた」


 シルヴィアは鼻にしわを寄せて、「うーん」とルイスのことを上から下まで眺める。


「なに」

「ルイスさんは黒髪だから、白やシルバーが似合いそうですね!」


 自分の服を確認する。今は就寝前なので何の変哲もないシャツとスラックスの上下。

 普段も似たような服に白衣を着るだけだ。


「背も高いし、正装したらきっと王子様みたいに素敵ですよ!」

「それはどうも。着ることないけど」

「おめかしの機会があったら、私がコーディネートして差し上げますね」

「ドクロの眼帯は嫌だ」

「まあそんな、残念」


 冗談めかしてがっかりする素振りをするシルヴィアが可笑しくて、ルイスは思わず笑みをもらした。



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