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6. 夢見の聖女は食欲を満たす(2)


「猫が入り込んでいるようだな」



 背後から声が聞こえ、しゃがんでいたシルヴィアはぎくりと固まった。

 声の主が誰かは、振り返らずとも分かる。


「…………にゃん」

「しかも随分と大きい」


 どうしよう。

 どう見てもこの状況、コソ泥である。

 教会への不法侵入と家主への猥褻、さらに窃盗。


 詰んでいる。シルヴィアの背を冷や汗が流れる。


 祖母から教えてもらったのだと言っていいのか。

 いや、せっかくの祖母の厚意を裏切ることになる可能性もある。それに祖母が後でルイスに怒られるようなことがあってはならない。


 ──ここは正直に謝るしかない。


 シルヴィアは手にしていた砂糖菓子の瓶をカゴに戻すと、くるりと振り向いた。

 それから一瞬で頭を床につけた。


 二度目の土下座である。


「申し訳ありません!! どうしてもお腹が空いてしまい、なにか食べるものがないかと物色していました! ごめんなさい! もうしません!」


「ああ、ばあさんか」

「へっ!?」


 頭を上げると、ラフなシャツとスラックス姿のルイスはキッチンを見回していた。

 それから、立てかけてあったフライパンをおもむろに手にする。


「やっぱりあれじゃ足りないだろ。何食べたい? ああ、昼はパスタだったのか。肉残ってるから食べる?」

「えっ、え、はい」

「ちょっと待ってて」


 シルヴィアが呆然としている間に、ルイスは手際よく肉を炒め、トマトソースとチーズを絡めて昼間と同じパスタを作った。

 促されて食卓に着き、目の前に「どうぞ」と湯気の立つ皿が置かれる。


「…………いただきます」

「召し上がれ」


 フォークでパスタをくるくると巻いて、チーズをよく絡めてから、あーんと口に入れる。

 食べた瞬間、濃厚なチーズがじゅわりと口の中に広がり、同時にトマトソースの酸味が頬の奥を刺した。

 よくよく味わって、次の一口を食べる。挽肉の旨味が沁みる。


 美味しい、美味しい。

 食べているうちに、シルヴィアは涙が出てきた。


「…………うっ、うう」

「えっ、泣いてる?」


 黙々と食べながら涙を流すシルヴィアを見て、ルイスがぎょっとする。「不味かったか?」と聞かれたので、勢いよく首を横に振った。


「違うんです、本当に美味しくて……、うっ、こんなに美味しいもの、もうずっと食べていなかったので、これまでの記憶が走馬灯のように」

「ここで死なないでくれ」

「死ぬならこれ食べてからにします」


 泣きながらパスタを完食し、シルヴィアは涙を拭いて頭を下げた。


「本当にありがとうございました。ルイスさんは私の恩人です」

「大したものじゃないから。というか、普通の食事したいって言ってくれたらよかったのに」

「気を遣ってくださったアナさんに悪くて……」

「俺からうまいこと言っとくよ、同じ食事で大丈夫だって」


 ルイスが食べ終わった皿を片付けてくれようとしたので、シルヴィアはそれを断って自分でキッチンへ持って行って洗った。

 その間、ルイスはシルヴィアが引っ張り出したカゴを物色していた。


「……あの、さっき仰ってた『おばあさまか』というのはどういう意味だったのですか?」

「ああ、このカゴはばあさんの隠しおやつだから。他にも食料はたくさんあるのにこれを出したってことはばあさんが教えたんだろうと思ったんだよ。君のことを理解したんだろう」

「理解?」

「秘密だけど、ばあさんは元聖女だから」

「聖女!?」


 驚いて大きな声が出てしまい、慌てて濡れた手で口を押さえた。

 まさか、祖母が元聖女とは。


「そうそう。君の二代前くらいじゃないか? ばあさんは今は何でも食べるけど、聖女辞めてすぐは決まったものしか食べてなかったと聞いてたから、君もそうなのかと」

「いえ私はなんでも食べたくて……、というか、元聖女……」


 聖女を終え、一般人に戻った後の動向は公表されない。また、周囲がそれを知っていたとしても口にはしないのが暗黙のルールだ。

 務めを終えた聖女が普通の生活を営むためである。


 シルヴィアは先代の聖女からの引き継ぎの際に行き先を聞いていたので先代聖女の動向は知っていたものの、さらにその先代の詳細は知らなかった。


 ルイスの祖母は、元聖女として自分のことを見てくれたのだろうか。有り得る。

 だから食事にがっかりしているのを同じ立場だった身として不憫に思い、菓子をくれ、秘密のおやつの場所も教えてくれたのかもしれない。

 シルヴィアはその心遣いにじんときて、手を握り締めた。


「……おばあさまはきっと心配してくださったんですね。ありがたいです」

「そうかもな。ま、食べたいものがあれば言ってくれ。アナに準備してもらうようにするから」

「ありがとうございます!」




 翌日。

 ルイスがアナにうまいこと伝えてくれたらしい。

 アナは「ご一緒の食事が出来て嬉しいです!」と言い、木の実パンではないふっくらもちもちのパンと、ベーコン、さらに目玉焼きを用意してくれた。

 やはり涙が出るほど美味しかった。


 それから、昼食後に庭で日向ぼっこをしていたルイスの祖母に礼を言った。元聖女であることを知ったことは伏せて。


 祖母は小さく頷いた。よくよく見ると、確かにわずかに見える瞳は自分と同じ菫色。今はお団子にまとめている白髪も、かつては銀髪だったのだろう。

 昼食後の庭で祖母と並んでの日向ぼっこは、シルヴィアの日課になった。



 食事に対する憂いも去り、好きなものを食べ、好きな時に眠り、誰からも縛られることのない生活。


 シルヴィアはいまだかつてないほどの幸福を感じていた。




 ♦




「──で、普通の食事をとるようになったのに、夜中に菓子を食べているのは何故なんだ」


 またもや深夜のキッチンで背後から声をかけられ、シルヴィアはぎくりと固まった。

 キッチン下の戸棚、右から二番目、奥のカゴ──の横。

 菫色のカゴが新たに設けられ、シルヴィアはそれを引っ張り出しているところである。


「……背徳感に逆らえないんです」

「聖女がそんなこと言っていいのかね」

「もう聖女じゃありませんから」


 苦笑したルイスが水を汲み、キッチンから離れて食卓に腰掛けた。

 シルヴィアも菫色のカゴからクッキー缶を取り出して、ルイスの向かいに座る。


「クッキー食べます?」

「いらない」


 断られたので、気にせず食べる。

 菫色のカゴはシルヴィア用の秘密のおやつカゴであり、中に詰めているのは街で買ってきたものだ。

 そう、アナに教えてもらい、買い物できるようになったのである。


 むしゃむしゃとクッキーを頬張るシルヴィアに、ルイスが「見てるだけで胸焼けしそう」と顔をゆがませた。


「美味しいですよ! 私はいま、街中のお店のお菓子を制覇しようとしています」

「破産しない?」

「本望です」


 食事はきちんととっているのだ。

 しかしこれまでの生活の反動からか、あるいはルイスがパスタを作ってくれたあの夜の高揚感からか、どうにも夜中に飲食したくなってしまう。

 そのため、一応数の制限は設けて少しだけ夜中に食べているのだ。


 それに、街には美味しそうなものがあふれている。それがよくない。

 全部食べてみたくなってしまうので、実際買えるものは買い、秘密のおやつカゴに保管している。


「一応この半年は市民に戻るための準備期間なんだろう? 食に偏ってるけど、将来なにか他にしたいことないのか?」

「あります!!」


 勢いよく返事し、水を飲んでクッキーを流しこんだ。


「まず食べられるものはたくさん食べたいですし、お酒も飲んでみたいです! ギラギラの服を着て、好きな髪型にして、お化粧して、素敵な靴でお出かけしたいです。読めなかった本を読んだり、歌を聴いたり、劇も見に行きたいですね!」

「はあ」

「それからお友達も欲しいですし、家族にも会いたいです! 恋もしたいですし、えっちなこともしてみたいです!」

「ごほっ」


 ルイスが咽込んだので、「大丈夫ですか」と顔を覗き込んだ。

 すると奇妙なものを見るような目で見返されたので、シルヴィアは首を傾げた。おかしかっただろうか。


「……ずいぶんと欲望が正直だな」

「え、えっちなことしたいということですか? ダメでしたか?」

「いや……。別にダメじゃない……、悪かった」


 シルヴィアにとっては恋をして、誰かと家族になるというのは自然な願望だった。

 これまで予知夢で様々な人たちを見てきた。

 仲の良い家族もいたし、逆にそうでない家庭もあった。それでも、恋をしている男女は総じて幸せそうに見えた。


 自分を認めてもらい、相手を認めるという関係性が尊いもののように思うのだ。

 特に、予知夢の力でしか自分の価値を評価されてこなかったシルヴィアにとって。


「ルイスさんは独身なんですか?」

「そう、ご覧の通り。恋愛には縁遠いし、結婚もしないだろうな」

「まあ、恋愛は未経験でいらっしゃる?」


 ルイスが呻く。肯定とも否定ともとれなかったが、シルヴィアは肯定だと受け取った。


「ルイスさんはとても素敵だから恋のお相手もたくさんいそうなのに、意外です」

「……どうも」


 非常に微妙な顔をして、ルイスがまた水を飲む。

 ひょっとしたら失礼なことを言ってしまっただろうか。


「ごめんなさい、私、余計なことを言いましたか」

「いや」

「すみません。でもルイスさんは本当に親切ですし、落ち着いていて優しいです。背も高くて黒髪が素敵ですし、手も大きくてお料理も上手で自転車にも乗れるし」

「いや、分かった分かった」


 続けてルイスが「自転車って」と笑う。


「まあ、わずかな間しかいられないんだから、ここでは好きなことをするといい」

「ありがとうございます!」



 家主の言質を取ったシルヴィアは、次は何をしようか考え始めた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 夜のお菓子の背徳感にクスッと笑ってしまいました。 とても面白いです!
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