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5. 夢見の聖女は食欲を満たす


「わあああ……、聖女さま! 初めまして、アナと申します!」


 興奮した少女にきらきらと輝く瞳を向けられ、シルヴィアはにっこりと微笑んだ。


「初めまして、お世話になります。シルヴィアと呼んでください。もう聖女ではありませんので」

「わあああ!! はいっ!!」



 エドアルド家に着いて一夜明け、目覚めたシルヴィアが一階へ降りるとすでに家人たちが集合していた。


 ルイスの説明によると、この家で生活しているのは三人。ルイスと祖母、それからたまに帰ってくる父だという。

 食卓の椅子を勧められ、ルイスと祖母、シルヴィアでテーブルを囲んだ。

 そして通いの家政婦だというアナを紹介されたところである。


 白髪を束ねてまとめてお団子にしているルイスの祖母は、ほぼ瞼を閉じて一言も喋らずに静かに椅子に腰掛けている。杖が立てかけてあるところを見ると足が良くないのだろう。

 全く動かないが、シルヴィアが挨拶すると小さく頷いたので声は届いているらしい。


 ルイスはというと、のんびり新聞を読んでいた。

 昨夜は暗くてよく分からなかったが、黒髪と同じで瞳も黒い。前髪は斜めに流しており、長めの襟足の一部が派手に跳ねているが本人は気にしていないようである。


 中央教会にいた司祭たちの男性とは、全く雰囲気が違う。

 身近にいた司祭たちは表向き柔和な笑顔を顔に貼り付けていたが、本心は上昇志向が強く、したたかな人物ばかりだ。


 一方、目の前にいるルイスは淡々として見える。目つきは良いとは言えないし一見優しそうには見えない。

 だが、シルヴィアは知っている。

 昨夜教会で会った時、彼は心配してくれていた。きっとなかなか聖女が現れなかったので迎えに来てくれたのだ。



 席に着いたシルヴィアは「寝られた?」とルイスに問われ、頷くと、彼はあまり興味なさそうに「よかった」と言った。

 一番歳若のアナはきびきびと動き、三人分の食事をテーブルに並べた。


「聖女さまはお肉や卵は摂られないんですよね? なのでサラダメインですが、ドレッシングにこだわりました! ぜひどうぞ!」

「あ、ありがとうございます……」


 ルイスと祖母の目の前には、カリカリに焼かれたベーコンと目玉焼きがサラダに添えられている。

 それから別の皿にはパン。昨日の木の実パンとは違うようだ。


 対するシルヴィアの皿には山盛りのサラダ。シルヴィア用らしいカゴに、昨日の木の実パンが盛られている。

 サラダには鮮やかな色の液がかけられており、なるほどこれがアナがこだわってくれたドレッシングらしい。


「いただきます」

「……いただきます」


 ルイスの皿で目玉焼きの黄身が潰され、とろりとこぼれる。

 祖母も先程まで置物のようだったのに、のそりと食事を始めた。ベーコンをパンに乗せ、むしゃりと食べている。


 ──羨ましい。

 単純に、羨ましい。

 

 聖女が肉や卵を制限されていることは事実だ。

 表向きは質素倹約、また、殺生はしないというイメージ作りのためである。

 実際の理由は、夢を視づらくなるためだ。

 豊かな物を食べ、食欲が満たされると予知夢を視づらくなる傾向にある。

 そのため、聖女は草食動物と化した生活を送る。


 だが、自分はもう聖女の立場からは外れた。なにを食べても良いはず。

 そう主張することもできたが、シルヴィアはそれを口に出せなかった。


 シルヴィアは任期を全うした聖女ではない半端者なのに、アナはそんな聖女でも歓迎してくれている。それに、聖女に神秘性を感じているようだ。

 生活を理解し、気を遣って食事を準備してくれた。

 それを無下にする必要はない。


 シルヴィアは羨ましいとは思いながらも、他の皿に視点を合わせないようにしながら食事を済ませた。

 サラダはとても美味しかったが、やはり木の実パンに口の中の水分をすべて吸い取られた。



「さて、これからのことだが」


 食事を終えたルイスが口を開き、シルヴィアは慌てて水を飲んで木の実パンを喉の奥に流し込んだ。


「俺は普段、表の診療所で働いているのでこの家には不在だが、自由にしてくれ」

「診療所……、お医者さまなのですか、司祭ではなく?」

「教会がご覧の通りで」


 教会の中はある程度手入れされているものの、外は草が伸び放題だった。

 何か理由があるのだろうとは思っていたが、ほぼ教会としては機能していないらしい。


「保護期間は半年と聞いているが、何かすべきことはあるのか?」


 シルヴィアは首を横に振った。


「いえ、何も。半年で今後の生活を決める必要はありますが」

「そうか」

「お食事を終えたらまた少し寝ます」

「そうするといい。分からないことがあればアナか祖母に」


 話を終え、ルイスが席を立って自ら食器をキッチンへと運んで家を出た。

 シルヴィアもそれを真似、自室に戻って荷解きをした後、またしばらく眠った。




 一眠りして起きたら、もう昼だった。

 階下に降りるとアナが昼食の準備をしてくれていた。木の実パンとサラダ、それに干した魚だ。


 アナと祖母はパスタを食べている。

 チーズと挽肉がたっぷりのトマトソース。羨ましい。二人が巻き巻き食べるのを横目で見ながら魚をしゃぶった。



「さて」


 わずかに腹を満たしたシルヴィアは、エドアルド家の小さな庭の石垣に腰を下ろしてぼんやりしていた。


 近くでは祖母が安楽椅子で昼寝している。

 安楽椅子の周りには猫が三匹、ごろりと寝転んでいた。

 祖母がやってきたら、どこからか猫もやってきて彼女の足元でくつろぎ始めたのだ。


「いいな……」


 猫に囲まれ、安楽椅子で日光浴しながらの昼寝は非常に気持ちよさそうである。だが、午前中に寝てしまったので今は眠たくない。


「いや、まずは食をどうにかしないと」


 滞在する半年間、サラダと木の実パンでも生きることは出来そうだが、精神的につらい。

 中央教会を逃げ出した理由の一つが食のせいでもあるのに、あと半年も我慢できない。


 慣れてきたら買い物に行くことはできるだろうか。

 夢見の聖女として、慰労金は少しもらっている。任期を全うした聖女ほどではないが。

 現金を持って一人でこっそり抜け出し、店員とやり取りして食べ物を買う。


「うーん……」


 ハードルが高い。買い物をしたことがないのだ。

 それか、早いところ事実を告げる? 聖女に対するアナの印象を壊すのは心苦しいけれども、肉を食べたいのだと。

 しかしながら、一度はサラダと木の実パンで了承している。

 それが実は肉が食べたかったんですと言えば、アナは「先入観で聖女の意向を無視した」と気に病むかもしれない。


「やっぱりこっそり出掛けるか……」

「ちょいと」


 誰かから声をかけられた気がして、シルヴィアはきょろきょろと辺りを見回した。

 だが、人はいない。


 空耳だったかと体勢を戻すと、再び「ちょいと」と声をかけられた。

 不思議に思ってまた顔を上げると、眠っていると思っていた祖母が手招きしていて、シルヴィアはぎょっとした。


「えっ……、え、私ですか?」


 表情を変えず、祖母が小さく頷く。

 シルヴィアはそろそろと近付いた。

 すると祖母は膝に掛けていたストールの下から、華やかな紙に包まれた小さな箱を出し、シルヴィアに差し出した。


「え……?」

「…………」


 おずおずと受け取る。何も言われないのでそろりと開けた。


「わあ……!」


 中から出てきたのはカラフルなクッキー。

 格子模様で色が分かれていて、とても可愛い。一、二、三、全部で四枚。


「お食べ」

「いただきます!」


 食い気味に返事して、一枚口に入れる。途端に「んんん〜〜」と喜びの声が漏れた。

 クッキーを食べたことはあるが、食べられるのは稀だった。甘いものも制限されていたのだ。


 四枚のクッキーをぺろりと食べてから、シルヴィアははたと我に返った。

 無心でクッキーを貪り喰っていた。あまりにも食い意地が張っていると思われたかもしれない。


 ちらりと祖母に目をやると、口元がわずかに綻んでいた。呆れられてはいないらしい。

 それから再度手招きされ、シルヴィアが顔を近付けると祖母はぽつりと呟いた。


「二十二時以降、キッチン下の戸棚、右から二番目、奥のカゴ」

「え?」


 言われた意味が分からず、シルヴィアは困惑した。

 だが、祖母は必要なことは言い終えたと言わんばかりにこくりと頷いて、また昼寝の態勢に戻ってしまった。


「え…………??」


 足元の猫が、にゃんと鳴いた。




 ♦︎




 昼間に祖母に告げられた言葉の意味がまるで分からない。

 なんらかの暗号のようである。


 『二十二時以降、キッチン下の戸棚、右から二番目、奥のカゴ』とは。


 怪しい。だが、シルヴィアは言われた通りに確認してみることにした。



 アナはとっくに帰宅し、祖母とルイスも部屋に戻って静かになった二十二時。


 シルヴィアは足音を立てないようにそろりと部屋を出て階下へ降りた。

 ランプの灯りを極力落とし、ゆっくりと食卓の前を通ってキッチンへ向かう。


 キッチンはアナによって綺麗に片付けられていた。

 なお、皆の夕飯は炒めた肉で、シルヴィアはまた干した魚だった。食事を準備してもらっている分際で文句は言えないが、やはり虚しい。

 

「下の戸棚、右から二番目……」


 あった。

 手前のものを退け、奥のカゴを引っ張り出す。


「…………!」


 中を見て、シルヴィアは声を上げそうになった。


 銀紙に包まれたチョコレート、昼間にもらったクッキー、小さな星形の砂糖菓子がたくさん詰まった瓶、渦巻模様の棒付き飴、それにジャムの挟まったビスケット。

 たくさんの菓子がそこには詰まっていた。


「すごい」


 きっと自分が飢えていることが祖母には見抜かれていたのだ。すごい。

 ほとんど目が開いているようには見えなかったが、心の中を読まれていたのだろうか。そして不憫に思って、家の菓子類保管場所を教えてくれたに違いない。

 彼女を置物のようだなんて思ったことを反省しながら、シルヴィアはカゴの中を漁った。


「うわあ、食べたい……」


 とはいえ、勝手に食べるのはどうなのだ。

 ひょっとすると祖母のものではなく、ルイスかアナが大切に隠しているものかもしれない。

 でも、祖母が教えてくれたということは「食べてもよい」という許可かもだと考えることもできる。


 こんなにたくさんあるんだし──


「一粒くらいならバレないわよね」


 そう勝手に納得して、砂糖菓子の瓶を開けようとした瞬間。



「猫が入り込んでいるようだな」



 背後から声が聞こえて、シルヴィアはぎくりと固まった。



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