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4. 夢見の聖女は保護される(2)



「申し訳ございません」

「…………」


 シルヴィアは暗い教会の座席の上で、正座かつ伏せた状態で体を縮こませていた。


 土下座である。



 中央教会を出て、保護先である丘の上の教会にたどり着いたまではいい。

 雨が降ってきて教会の中に入り、座ってちょっと休憩しようと思っただけなのだ。

 それが、いつの間にかぐっすり眠ってしまっていた。


 さらにその後、夢の中だと勘違いして、起こしてくれた男性を抱き寄せて唇を奪ってしまったのである。


 なぜそんなことをしてしまったのか。分からない。

 聖女を辞めたことによる解放感だろうか。少なくとも今まで、寝ぼけて女官に猥褻を働いたことはない。


 土下座の状態から少し顔を上げると、起こしてくれた男性が困惑したような顔でこちらを見つめていた。

 長めの黒髪で、自分よりも少し年上か。骨張った指を口元に当てている。


 困るだろう、当然だ。

 親切心で起こしてくれただろうに、突然唇を奪われるなど。自分なら怖い。怒ってくれていい。

 シルヴィアは早口で弁明した。


「あの、決して私は猥褻目的で教会に侵入したわけではないのです。少し休憩させてもらおうと思ったらいつの間にか眠ってしまい、寝ぼけてしまって、いえ、普段からよく寝ぼけるわけでもなくなぜなのか分からないのですがしかしお詫び」

「わ、分かった分かった」


 ずい、と身を乗り出したシルヴィアを制し、ルイスはごほんと咳払いをした。


「ええと、俺はルイス・エドアルドと言いますが、あなたは夢見の聖女さまですね?」

「まあ!」


 なんと、唇を奪った男性は自分を保護してくれる家の人であった。これから世話になる相手になんてことを。

 さらに深々と頭を下げる。


「なんて申し訳ないことを! 教会への不法侵入に加え、お世話になる方に猥褻……! 本来であれば警邏に突き出されても仕方ないですがしかし、ごめんなさい、私行く場所もなくて短い期間だけでもここにおいて」

「分かった分かった、分かったって」


 またも遮られたものの、ルイスは怒っている様子ではない。

 シルヴィアがほっとした表情を見せると、ルイスが恥じたような顔で首の後ろに手をやった。


「正直なところ、こちらも聖女さまを受け入れられるような立派な家じゃないんで。ご覧の通り、おんぼろで」

「とても静かで落ち着く教会です、久々にぐっすり寝てしまいました」

「それは良かったと言っていいのかどうか」


 ルイスが苦笑したので、シルヴィアは自らの言葉が人のいない教会を揶揄したように聞こえてしまったのかもしれないと思い、焦った。

 教会に誰もいないこと、すなわち閑古鳥状態であることをからかったのではなく、落ち着いた空間で一人きりの時間を持てたことを幸せに感じたのだ。


「あの、誤解なさらないでください。この教会は確かに古いかもしれませんが、とても居心地良く感じました。綺麗に手入れされていますし、大切にされているのだろうと。それに落ち着くと申し上げたのは私のこれまでの生活では一人きりになれなかったこともあり」

「わ、分かったので落ち着いて」


 引き気味のルイスがぼそりと「思ってたのと違うな」と呟く。


「とりあえずここは住まいではないので、うちに移動を。ええと……」

「シルヴィアと呼んでください。言葉も普通にして頂けたら。聖女といっても『元』です。もういち市民ですもの」


 微笑んだシルヴィアにルイスは逡巡したものの、ひとつ頷いた。


「……分かった、シルヴィア。短い間だがよろしく」

「よろしくお願いします、ルイスさん」




 二人で教会を出たら、外はもう真っ暗になっていた。雨は上がったが、地面がぬかるんでいる。

 足元に注意して段差を降りて顔を上げたシルヴィアは、目の前の景色に感嘆の声を上げた。


「わあ……、綺麗!」


 丘の上から見る街は美しかった。

 暗い中、家の灯りが星のように輝いている。大勢の人がここで暮らしているのだと思うと、これまで自分が生活してきた中央教会の中がちっぽけな世界だったのだと気付く。


「小さな街だよ」

「そうなんですか? たくさん家があるのに、っくしゅんっ!」


 髪を撫でた風が少し肌寒くて体を震わせると、ルイスが上着をシルヴィアに羽織らせた。


「俺ので悪いけど。それから馬車はないのでこれで帰る。落とさないようにしっかり着込んで」

「自転車!」


 教会の入口の脇に立てかけられていた自転車を引いてきて、ルイスはランプをハンドルに引っ掛けた。

 それからシルヴィアに荷台に腰掛けるよう促す。


 当然ながら、シルヴィアは自転車の二人乗りなどしたことがない。そもそも、自転車に乗ったことがない。

 実家にはあったが、乗れるようになる前に聖女として召されてしまったのだ。


「えっ……、ど、どうすれば」

「スカート? 横乗りで座れるか? そうそう、鞄をしっかり抱えた状態で俺の腰に手を回して」

「えっ、えっ」


 横乗りした状態で、シルヴィアはどきどきしながらルイスの腰にそっと手を添えた。

 異性とこんなに密着したことなどない。まさか。緊張する。

 今朝までは淑やかな女官に囲まれていたのに、数時間後に男性の腰に手を回すことになるなど。

 ()()の生活とは、なんて刺激的なのだ──


 などと余計なことを考えていたシルヴィアだが、次の瞬間に煩悩は霧散した。


「行くぞー」

「きゃ……! ひ、ひやああぁぁ!!!」


 ルイスが自転車を漕ぎ出し、一気に坂道を駆け降りる。

 添える程度だった手で慌ててルイスの背にしがみついた。経験したことのない疾走感。


「わああぁぁぁああ!! すごいわ!!」

「じっとしてないと落ちるぞ」


 猛スピードで景色が流れる。

 強い風で髪が派手になびく。

 風が吹いているのではなく、自分達が風の中を突っ切っているのだ。

 丘を抜けて街に入るとそれまで芝生だった地面が石畳に変わり、振動が直接体に伝わる。


 シルヴィアは高揚した。

 今までは美しく清潔だけれども生活感のない建物で暮らしていて、中央教会から外に出ることはほとんどなかった。

 定められた運動を教会内の庭で行うことはあったけれども、代わり映えのない景色。


 それがいま、自分の周りでは世界が動いている。

 目に見えるものすべてが新しいのに、それが瞬く間に変化している。感じたことのない気持ちだ。


 流れる景色も、自転車の振動も、激しい風の音も、なにもかもが新鮮だった。



「着いた」

「は、はあ……」


 一瞬のように感じたが、自転車が止まったときにはなぜかシルヴィアの息は上がっていた。

 力の入っていた腕をルイスの身体から放し、よろりと自転車から降りる。足がもつれた。

 しかしルイスは構うことなく自転車を止め、さっさと先に行ってしまう。


「家はこっち」

「ま、待って……」


 街の中も緩やかな坂になっていて、石畳の道路の両側に住宅が並んでいる。

 三角の屋根のおおむね似たような形の建物だが、二階建てだったり三階建てだったりと、高さはまちまちだ。


 シルヴィアがルイスの後をふらふらとついていくと、彼は一軒の住宅で足を止めた。

 半円形の大きな白い扉の横にある郵便受けを確認し、中から数通の書類を取り出すと、そこの扉は開けずに裏に回る。


 住宅の裏は小さな庭になっていた。綺麗に整えられた芝生に、誰もいない安楽椅子がぽつんと置かれている。

 ルイスは庭を突っ切って、表よりも小さな扉を開けると、シルヴィアを招き入れた。


「狭くて悪いが、どうぞ」

「お邪魔いたします……」


 鞄を腕の中に抱えて、そっと中に入る。

 明かりが灯されたそこは、確かに中央教会に比べるとずいぶんと狭かった。


 小さな暖炉の前には長椅子。

 少し離れて丸い食卓が置かれ、三脚の椅子が囲んでいる。その奥はキッチンのようだった。

 長椅子の向こうは階段で、建物の高さから見るに三階建てのようだ。


「もう遅いので休もう。細かいことは明日説明する。ええと、食欲は?」


 家の中を見回していたシルヴィアは、急に問われて瞬時に応えられなかった。

 食欲、もちろん空腹である。なにか食べさせて欲しい。


「えっ、あっ、お腹空」

「ああでも、聖女は動物性のものは食べないんだっけ」

「いえ、ええと」


 肉を食べたいです。


 そう正直には言えなかった。

 つい先ほど教会に不法侵入し、猥褻を働き、これからお世話になる相手に「肉を食わせろ」などと。

 いくらなんでも厚かましすぎる。


 シルヴィアがもごもごしている間に、ルイスはキッチンへ行って棚から袋を取り出してシルヴィアに渡した。


「口に合うか分からないが、木の実のパン、よかったら。それから部屋は二階の一番奥。風呂とかはここの奥なんでご自由に。質問は?」

「え!? いえ……」

「それじゃおやすみ」


 そう言うと、ルイスはシルヴィアをその場に残してあっさりと階段を登っていった。

 


「…………えっ!?」


 ルイスの後ろ姿を見送った後、シルヴィアは困惑して立ち尽くした。最低限の説明だけで放置され、若干不安である。


 中央教会の生活ではどこで何をするにも女官が必ず付いていた。

 その生活が嫌で逃げ出したわけだが、それにしてもここまでフリーな状態、これは普通なのだろうか。


「……ま、家の人がいいって言ってるわけだから、いいか……」


 暖炉の前の長椅子に腰を下ろし、渡された袋を開いてパンを口にする。

 思いのほか硬く、さらにパサパサして口の中の水分を全部持っていかれた。水が欲しい。


 行儀悪くもぐもぐしたままキッチンへ行き、水を汲んだ。

 それからまた長椅子に戻って木の実パンを食べていたら、あっという間に袋は空になった。


 ルイスに言われた通りに、浴室を使い、二階の一番奥の部屋に行き、今までの半分以下の大きさのベッドに入った。

 でも、周りには誰もいない。部屋には自分一人だ。


「ふふふふ」


 自然と、笑みがこぼれた。


 静かな教会、雨の音。

 ステンドグラスからの光。

 ルイスの上着、自転車で切っていく風。

 パサパサの木の実パン。

 肌触りのよくないシーツ。



 しあわせだ。


 今日のことをきっと忘れないとシルヴィアは思いながら眠りについた。



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