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3. 夢見の聖女は保護される


 ルイス・エドアルドは一通の手紙を前に頭を抱えていた。


 月と星を模した紋章の印璽が、血を垂らしたようにとっくりと押されている。

 中央教会からという印だ。


 日付を見るに、この手紙が届いたのは一週間も前のことだろう。忙しさのあまり家のことが後回しになり、溜まっていた郵便物を仕分けたのがつい先程のこと。

 その中からこの異彩放つ手紙を見つけたのである。


「聖女がうちに来る……?」


 三度読んだ。内容は同じだ。

 「なぜうちに」と問わざるを得ない。


 エドアルド家は王都から離れた町、カージブルのさらに外れの丘の上にある教会の司祭の家である。


 が、司祭として働いていたのも今や昔。

 過去の()()により教会は文字通りの開店休業状態で、醜聞の元となった母は出奔し、周囲の目を気にした父は出稼ぎへ。

 街に残ることにした息子のルイスは診療所で町医者として働いている。


「ルイスさん、どうします……?」


 エドアルド家で唯一、家政婦をしてくれているアナが心配そうに見つめてくる。


「どうすると言っても、もう明日来るらしい」

「明日……」


 二人で気まずい沈黙。

 聖女を迎え入れる家といえばそれだけで名誉なものだが、ルイスが困惑するのには理由があった。


 単純に、金がないのだ。


 中央教会から来る予知夢の聖女は少女の頃から神に仕え、豪華絢爛な教会で暮らしてきたはずだ。

 きっと、広い寝台で眠り、たくさんの女官にかしずかれて生きてきたはず。


 それに対してエドアルド家は、教会の建物はおんぼろ、町医者の副業で生計を立て、診療所に隣接する小さな家で祖母、ルイス、たまに帰ってくる父の三人暮らし。

 唯一の家政婦のアナだって、通いで来てもらっている。それも、住み込みに十分な賃金が払えないからだ。


 こんな家で聖女を保護しろなどと、中央教会の嫌がらせではなかろうか。


「あっ、ばあさんか」


 思い至って、ルイスは顔を上げた。

 祖母は中央教会に(ゆかり)がある。だから今回、白羽の矢が立ったのかもしれない。

 だが、エドアルド家の実情を思い返し、やはり無理だとまた頭を抱えた。


「……ダメだ。我が家は金も無ければ、聖女に優雅にくつろいでもらう場所もない」


 声を絞り出したルイスに、アナがおずおずと手を上げた。


「でも、お食事はあまり気にしなくても大丈夫かもしれませんよ。聖女さまは肉や卵を召し上がらないと聞きます」

「ああ、まあそうだな……」

「それに半年だけですよね、少々我慢してもらえれば」


 そうだ、聖女の保護期間は半年だけ。

 むしろここでの生活が嫌であれば、さっさと行き先を決めるかもしれない。


「聖女さまの保護というのは、一般市民に戻るための準備期間ですよね? ならエドアルド家は適任かもしれませんよ! 否応なく市民の暮らしを学べます!」

「アナ……」


 少々馬鹿にされた気もするが、事実である。

 ここに来る以上、自分のことは自分でやってもらう必要はあるのだ。


「ごほん、まあそれはそうだな……、にしても、アナはずいぶんと聖女が来ることに前向きだな」


 年若い家政婦は頬を紅潮させ、きゃーっと声を上げた。


「だって、聖女さまですよ!? 私たち一般人が見られる機会なんてないじゃないですか!」

「はあ」

「銀髪に菫色の瞳! 神秘的なお姿を見られるなんて!」


 珍しいものを見られるという好奇心らしい。

 ルイスは手紙に再度目を落とした。聖女の歳の頃は二十一。自分の五つ下。アナよりは少し歳上だ。


「まあ、指名されてしまったからには仕方がない。出来る限りのことをしよう」

「はい!」




 ──と、最低限、かたちだけの来客準備をして迎えた翌日。


 待てど暮らせど、聖女がやってこない。


「…………来ない」


 すでにとっぷりと陽が沈んだ。

 通いであるアナは早いところ帰したし、祖母は食事を済ませて早々に寝た。

 日付を間違えただろうかと思い、再度手紙を確認したものの間違いはない。それか、宛先を間違えていた可能性もある。


 そう考えて、ルイスは気付いた。

 ひょっとすると、丘の上の教会に行ってしまったのかもしれない。


「まさか」


 開店休業状態の教会は、もともと父やその先代が司祭をやっていた頃には綺麗に整備されていた。

 エドアルド家もその当時は教会に隣接した住居で暮らしていたのだ。

 しかし、町医者の仕事がメインになってからは、診療所の方に住まいを移している。

 足の悪い祖母もいるし、丘の上から毎日通うには不便すぎるためだ。


 中央教会がエドアルド家の現状を知らず、教会の方に聖女を送ったとしたら?


 ルイスは上着とランプを掴み取り、慌てて家を出て自転車にまたがった。




 夕方に雨が降ったようで、足元がわずかにぬかるんでいる。

 自転車で全力で丘を駆け登り、息も絶え絶え、ルイスはおんぼろ教会にたどり着いた。

 外観に変化はない。だがランプで照らした地面には馬車の車輪跡が残っていて、何者かの来訪があったことを示していた。


「……もう帰っただろうか」


 扉に手をかけてそっと押し、ギイイと嫌な音を立てた扉を抜ける。

 久々に入った教会は、しんとしていた。雨で湿った空気を感じながら中に入る。

 月の光でステンドグラスの赤が床に影を作っている。ルイスは身廊をゆっくり進んだ。



 かつて、ルイスが幼い頃の教会はいつも明るくて、たくさんの人々で賑わっていた。

 あの頃は母がまだいて、父が司祭服を着ていた。

 結婚式、洗礼式、日曜のミサなど儀式でそれなりに忙しくしていた様子を覚えている。


 母がいなくなって、住まいを移すことにして。

 いまや、誰もここには近付かない。




 教会の中は特に変わりないように思いつつ足を進めたルイスだが、ふと、視界に大きな黒い影が入って飛び上がった。


「ぎゃっ!」


 慌ててランプで照らすと、座席に人が仰向けで横たわっていた。

 よもや死体かと思い、恐る恐る灯りを近付ける。


「え……」


 若い女性、しかも銀髪。

 簡素なワンピースの腹の上で手を重ね、スカートの一部は座席から垂れている。


 夢見の聖女だ。やはり教会の方に送り届けられてしまったらしい。

 よくよく見ると胸が上下しており、眠っているように見える。死んでいなくてほっとしたが、ここで夜を明かすつもりだったのだろうか。


「あの、もしもし大丈夫ですか」


 ルイスはしゃがみ込み、聖女の肩を叩いた。

 ずいぶんとほっそりしている。ランプのわずかな灯りで照らされる頬も、あまり血色が良いとはいえない。


「ん……」


 何度か呼びかけると、聖女は身じろぎして瞼を開いた。

 聖女の印だという菫色の瞳に、ルイスは怯んだ。


「あの」

「まあ……、良い夢だわ」


 具合は大丈夫かを問おうとしたところを遮られ、聖女はふんわりと笑みを浮かべた。

 

 幸せそうな笑みと菫色の瞳から目が離せないでいると、白く細い手が伸びてきて、ルイスの首の後ろに回る。


 そのまま抱き寄せられて、抗う間すらなく。



 ルイスは聖女に唇を奪われた。



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