24. 夢見の聖女は罵られる (2)
大司教は、名をカエルムという。
『天国』の意味を持ったカエルムは、田舎の小さな教会の一人息子として産まれた。
司祭が妻帯を認められているこの国で、父は教会の司祭を務め、母はその手伝いをしていた。
地域に根差した活動を行っており、休日のミサには多くの人が集まったし、洗礼式や結婚式も多く取り仕切っていた。裕福ではないが、十分な暮らしであった。
聖職者たちにとって中央教会での勤めは最も名誉なことである。神のお告げを受けた夢見の聖女の言葉を、政務者に、そして民に伝える。
神の言葉を伝えることこそが聖職者の務めであると考える者は少なくない。
しかしカエルムはそれにあまり興味はなかった。
まず、自分の生まれ育った地域が田舎だったこと、夢見の聖女の言葉が無くても、十分幸せだったからだ。
カエルムが力を入れたのは、貧しい婦女子の保護であった。
生まれ育った大教会で司祭となり、隣接する空き地に施設を建てた。
野菜を育て、神に祈り、生まれた子どもに祝福を与え、いずれ自分も両親と同じように家族を持つのだろうと考えていた。
きっかけは、ある母子と出会ったことである。
家族に虐げられて逃げてきた女性と、小さな息子。
よく働き、よく笑う、聡明な彼女に恋に落ちるのは早かった。彼女の息子も自分の息子のように思い、可愛がった。
だがある日、彼女の小さな息子が病にかかった。
難しい病気で、高価な薬が必要だという。カエルムは手を尽くして金を集めたが、足りない。
やむなく地域の議員に金の無心に行った。
教会に来たこともない貴族議員であったが、事情を説明すれば理解して援助してくれると思ったのだ。
──だが。
「見返りもなく金は出せないな、司祭さま。私のお願い事を聞いてくれなきゃ」
貴族議員は、金を出す代わりにいくつかの条件を出した。
教会で保護している人たちを労働者として優先的に安く斡旋すること。
議員たちの進めたい事業に賛同し、後押しすること。市民から反対が出れば、そうならないように誘導すること。
カエルムは信仰心が強かった。
司祭として、神を裏切るような行為はとってはいけない。
皆の手本となる、清廉な生活、正しい生き方をしなければならないと。
議員との取引に悩んだ。
しかし、神に祈っても病気の子どもは助からない。
現実的に、金が必要だ。
カエルムは貴族議員と取引した。
子どもの病気は無事に治った。
それから、貴族議員との癒着が続いた。
だが、上流階級の人間との繋がりが増えるに従い、金銭面での悩みは減り、物事がうまく回っているように感じた。
当初提示されたように、教会で保護している人たちを優先的に斡旋することだって、貧しい人たちから見ても助けになることである。
カエルムは社会を変えるには権力を得なければならないと気付いた。
そこからは早かった。
貴族議員たちとの繋がりを足掛かりに、教会の司祭から、地域の司教になった。
だんだんと人脈を広げ、実績を積み、聖職者であれば誰もが目指す、中央教会の司祭となった。
先代聖女カタリナの管理制度を見直し、予知夢の効率を上げた。
政治の中枢を治める貴族議員たちに取り入り、じわりじわりと中央教会の影響力を高めていった。
カタリナの後、シルヴィアに代替わりすると同時に中央教会のトップである大司教になった。
それからも予知夢の発現の効率化に努め、その結果を政治に使う。予知夢の提示時機が重要なのだと気付いてからは、政情に効果的なタイミングを見計らう。
いつしか、政治の中央にいた。
シルヴィアは先代の第二十六代聖女カタリナと比べ、従順であった。
予知夢の力も強く、生活を適切に管理することでカタリナよりもはるかに多くの予知夢を得られた。
予想よりもずっと早くに力を失ったと言い出したのには驚いたが、泣いてしおれる姿は真実だと思ったのだ。
シルヴィアがいなくなり、すぐに次の聖女が見つかるかと思われたものの、一向に見つからない。
地方方々まで探し、手を尽くしたが出てこない。
これまでの歴史で、聖女が途切れたことはない。よって、どこかにはいるはずなのである。だが出てこない。
シルヴィアが力を失いきっていないとも考えたが、保護先から帰ってくる返事はいつも同じ。
聖女不在の期間が長くなることで、目に見えて中央教会の求心力が弱まっていくのが分かった。
聖女の予知夢──言い換えれば、中央教会の伝えるお告げに、どれだけ頼っていたのか。
貴族議員たちは何も考えていないということだ。滑稽である。
だが、カエルムはふと気付いた。
別に、予知夢の聖女は本物でなくてもいいのかもしれない。
シルヴィアが聖女だったころからそうだった。
夢見の聖女は様々な予知夢を視るが、全てを公にしていたわけではない。
夢見水晶に映し出されていた予知夢の中から、政治において重要なものを選び、より効果的な表現で提示していたのだ。
であれば、別に夢見の聖女が本物であろうとなかろうと、同じではないか。
カエルムは一部の司祭と共謀し、口が固く命令を聞く女官たちに入れ替え、夢見の聖女を仕立て上げることにした。
主演は十二歳の少女。
教会で保護されていた子どもで、瞳の色を隠し、髪を染めた。もちろん、十分な報酬を用意している。
そうして聖女を作り上げることで、中央教会は元に戻った。
いや、元通り以上である。夢見の聖女を公に出すことで、中央教会の求心力は高まっているのだから。
真実を知っているのは中央教会の側近たちと女官のみ。
「そう思っていたが……、もう一人いたのをうっかりしていたな」
闇夜の中、カエルムは坂を登る。
側近も付けずに一人。
目立たぬよう、白い長髪と髭を隠すよう布で巻いている。
「はあ、はあ、坂が長い……」
近くまでは馬車でやって来ていたが、そこからは歩いている。
教会にまで馬車の音が近付くと気付かれて怪しまれると思ったからだ。
──カエルムは今夜、カージブルの教会でシルヴィアに危害を加えようとしている。
突然やって来て新しい聖女を辞めさせろなどとふざけたことを言い、あげく夢見水晶を破壊したシルヴィアは、カエルムの言葉にしおれたように帰って行った。
が、その後で思った。念のためシルヴィアに足かせをつけさせた方が良い。
他の側近たちは、どうせ引退した聖女がなにも出来やしないと言ったが、カエルムの心には小さな不安の芽が残った。
シルヴィアはわずかながら、まだ予知夢を視ることが出来るらしい。
シルヴィアが余計なことをして、現在の中央教会の立場を脅かすことにならぬよう。
殺すまではしなくても、「どこにいてもお前のことを知っているぞ」と力で牽制しておくべきだと思ったのだ。恐喝のために、武器も懐に忍ばせている。
「はあはあ、着いた……」
息が上がりながらも、丘の上に着いた。
シルヴィアの保護先となっているカージブルの教会は町を見下ろせるような立地になっている。
だが、深夜ということもあり、明かりは月の光のみ。
教会の周りは草が茂っていることもなく、よく整備されている。
情報では、教会の裏が保護先の住宅になっていると聞いていた。
カエルムは教会の外から裏の建物へ回った。音を立てないよう、そうっと扉を押す。
当然、鍵がかかっているはずだと思ったが、なぜか開いていた。鍵がかかっていた時には破壊しようと思っていたのに。
「なんて不用心な」
口の中で呟き、そっと中に入る。
だが、足を踏み入れて驚いた。月明りに照らされた室内には、何もなかった。
「な……」
ランプの類どころか、家具がない。絨毯すら敷かれていない。当然ながら、人の気配はない。
建物を間違えたのだろうかと、カエルムは外へ出て辺りを見回した。だが、他に建物は無い。教会と、中が空っぽの住宅のみだ。
「情報が間違っていたか」
ここがシルヴィアの保護先と聞いていたが、どうやら違ったらしい。上り坂を頑張ってふうふうと登って来たのに、とんだ無駄足であった。
このまま帰るにはくたびれたので、カエルムは表に戻って教会の扉を押した。
こちらも不用心に鍵はかかっておらず、カエルムは今度は音を気にせず中に入った。どうせ誰もいやしない。
中央教会と比べると、はるかに小さい教会だ。
しかしながら生まれ育った教会に似ている。カエルムは足を踏み入れた途端、ノスタルジックな気持ちになった。
幼い頃に過ごした教会では、両親がいて、修道士たちがいて、保護している市民たちがいて、賑やかだった。畑で野菜を育て、調理し、神に祈って食して。
自らが司祭となった後も、地域の子どもたちに慕われて楽しかった。
恋をしたあの女性とは結局離れてしまったけれど、子どもと一緒に元気にしているだろうか。
いつの間にか、ずいぶん遠くへ来てしまった。
カエルムは一番後ろの席へ、「はあ」と息を吐いて腰掛けた。
その瞬間、祭壇に明かりが点き、カエルムは飛び上がった。
「ひっ!」
「いらっしゃいませ」
主祭壇の前に、亡霊のように女が立っている。シルヴィアだった。
胸元でランプを持ち、顔だけ浮くように照らされていて異様だ。
「なっ……、シルヴィア!」
「大司教さま、こんな夜更けに何の御用でしょう?」
脅しに来たのに逆に驚かされてたじろいだカエルムだが、目的の人物が出て来てくれたのなら都合がいい。
カエルムは懐に手を入れながら、席から立ち上がった。
「ちょうどよかった、お前に用があって……」
「そこから動かないでください」
シルヴィアの声に、思わず立ち止まる。
「大司教さまは今夜私を脅しにいらっしゃいましたね。あなたの懐には短剣。でもそれ以上近付いてはなりません。私に襲い掛かろうとすると、あなたのご自慢の髭にこのランプの火が燃え移ってしまいます」
「な、なんだと?」
「燃え移ってから、髪、それから服へ広がります。火だるまになった大司教さまはここから出て、坂を転げ落ちます。でも大丈夫、死にません」
「な……!」
言葉を失ったカエルムだが、シルヴィアの話している意味が分かった。
これは彼女の、予知夢だ。
「ふ、ふざけるな! どうせろくに視えてやしないんだろう? そんなの出まかせだ!」
「大司教さま、あなたはここに来る前、中央教会でお夕食を済ませてから来ましたね? パンと、羊の肉と野菜のスープ。女官からワインを勧められたけれど、馬車に乗るから酔いそうで断った」
ぞくりと体が震えた。
当たっている。
「馬車に乗ってカージブルの町の入口まで来て、馬車は帰しましたね。その時小銭が少なかったので、御者へのチップを少ししか払わなかった。御者が不満そうでした」
「や……やめろ」
「ここで火傷を負いますが、命は助かります。ただ中央教会でのお仕事は続けられないので、故郷へお帰りになりますね。ご生家の教会は立て直すのが大変です、今はまともに教会として機能していませんから」
「やめろ……、やめろ!!」
カエルムは懐から短剣を掴み、シルヴィアに襲い掛かった。
だが、寸前で先ほどの予知夢を思い出す。
そうだ、シルヴィアの聖女としての実力は誰よりも自分がよく知っている。なぜ侮ってしまったのだろう。
彼女の持つランプに恐怖を感じ、足がもつれて倒れ込んだ。短剣が転がり、乾いた音を立てる。
「う……」
「大司教さま」
「ひっ」
倒れ込んだところで、しゃがみこんで顔を寄せてきたシルヴィアに強い恐怖を感じた。ランプから少しでも距離を取ろうと、無意識に後ずさる。
シルヴィアが笑顔で言った。
「大司教さま、教会を出た私が視えづらくなっていると思ったようですが、きっとあなたの想像よりも遥かに視えています。私を害そうとお考えだったようですが、無理ですよ、そんな未来はありません」
「シルヴィア、お前」
「お望みなら全て教えて差し上げますが。あなたの視たい未来も、視たくない未来も」
「もうやめろ!!」
カエルムは這うようにして入口を目指し、教会から駆け出して行った。
「ふう」
「…………大丈夫だったか?」
椅子の影に隠れていたルイスが顔を出す。
シルヴィアは「大丈夫です」と頷いて、ランプを主祭壇に戻してほっと息をついた。大司教が来ることは分かっていたが、待っている時間が長かったし、緊張した。
「シルヴィアが言ったこと、どこまで本当だったんだ?」
「さあ」
うそぶいて、シルヴィアは肩をすくめた。
一方、大司教が置いて行ってしまった短剣を拾ったルイスは、気楽な顔でそれをぶらぶらさせる。
「すごい、この短剣小さいのに重い。絶対高価なやつだ」
「売ったらそれなりにお金になりそうですね」
「うちの教会の家宝って言って代々語り継いだら、もっと値打ち出ると思わないか? なんせ、中央教会の大司教から賜ったものだぞ」
冗談を言って、二人で笑った。
「──さて、あとは仕上げだな」
「はい!」




