23. 夢見の聖女は罵られる
久しぶりに見る中央教会は大きく変わりはなかった。
事務官の後をついて、教会の奥へ続く大廊下を進む。
床は埃一つ落ちておらず綺麗に磨かれており、飾られている絵画や陶器も変わりはない。
ただ、行き交う司教や女官の数はシルヴィアのいた頃よりも大きく減っているように思えた。
装飾は豪奢なのに、なぜか冷え冷えとした雰囲気を感じる。
さらに、ほとんど知っている顔がいない。聖女の代替わりにより、女官たちも入れ替えがあったのだろうか。
帽子も被っておらず、銀髪で菫色の瞳を明らかにしているシルヴィアにもほとんど興味を示さない。
「こちらです」
ルイスが中央教会に手紙を出してすぐに返事が来た。日時が指定され、シルヴィアは一人で中央教会へやって来たのだ。
連れてこられたのは大司教の書斎部屋。ここにはほとんど入ったことがない。
大司教に会うのは、嘘泣きをして夢見の力を失ったと偽った時以来。
シルヴィアは緊張しながら扉を開けた。
「久しぶりだな、シルヴィア」
「ご無沙汰しております」
木造りの広い机の向こうに座る大司教の様子も、大きく変わりはなかった。
肩までの白髪、同じ色の髭、白い神官服。
今は落ち着いた表情だ。自分がいた頃には眉間にしわを寄せた表情ばかり見ていたなあとシルヴィアはぼんやり思った。
「あの、今日は聖女様は」
「外遊に出ている」
「そうですか」
「話があるんだろう? そこへ」
机の前に設けられた応接用テーブルの前のソファに腰掛けると、思っていたよりもソファが柔らかく、体が沈んだ。体勢を直そうと体を捩る。
すると、机から少し離れた窓際に、見覚えのある球が。窓からの光を反射している。
シルヴィアは目を見張った。
あれは紛れもない、『夢見水晶』ではないか。
その様子に気付いた大司教がふっと鼻で笑う。
「懐かしいだろう?」
「…………」
夢見水晶は普段、聖女の寝室に置かれているものだ。
聖女の寝台の横は衝立で遮られていて、衝立の向こう側で夢見水晶に映し出された予知夢を女官が記録する。
その夢見水晶がここにあるということは、現在予知夢の可視化のためには使われていないということである。
大司教を睨みつけたシルヴィアだが、その視線も気にしていないかのようにシルヴィアの向かいに腰掛けた。ぎしりとソファが音を立てる。
「保護先からの手紙を読んだ。何か用事があって来たのだろう?」
「新しい聖女様のことですが……」
「ああ、新聞を読んでいるか? 彼女は優秀だよ、お前と違って」
話を切り出す前から嫌味を返されて一瞬鼻白んだシルヴィアだが、耐えて一気に言った。
「単刀直入に言います、新しい聖女の子を解放してください」
大司教が笑う。
「もう無理だな、誰かさんが逃げ出したから」
「その誰かさんがまだ力を持っていてもですか?」
──ドスン!!
シルヴィアの言葉を聞いた途端、大司教は拳を机に叩きつけた。
大きな音に、思わず身を竦める。目の前の机に、力のこもった男の大きな拳。
「やっぱり!! 力を失ったなどと、嘘だったのではないか!! この卑怯者! 神も私たちも民も裏切り、自分のことしか考えていない悪人だ、お前は!!」
鼓膜がびりびりと震える。
目を見開き、怒りを露わにする大司教に恐怖を感じた。
ここで暮らしていた頃の記憶がよみがえる。不機嫌を表に出す人だった。
中央教会に来た少女の頃は定められた生活を守れないと、怒鳴られ、罰を受けていた。
聖女を辞めるまでここから出られないと理解してからは従順を装っていたものの、女官たちにも当たり散らす姿はよく見た。
怖い。
けれど、もうここにいた少女の頃の自分とは違う。
彼らを欺いて逃げ出すことが出来たのだし、外の世界で様々なことを経験した。仲間だって、たくさんいる。
シルヴィアは顔を上げて、大司教を睨み返した。
「新しい聖女が偽物であることは分かっています。夢見水晶だって使われていない」
「誰のせいだと思っている? お前が我々を騙して逃げ出し、我々がどれだけ苦心したと? 次の聖女が生まれるまで、あの子はお前の代わりとなっているのだぞ!?」
「予知夢を偽り、自分たちの都合の良いように政治を動かしていることを聖職者として問題に思わないのですか!?」
「聖職者として、国を正しい方向に導いているのだ!」
通じやしない。シルヴィアは息を吐いた。
確かに、シルヴィアが聖女としていた頃から、そうではあった。
予知夢で視た出来事のうち、中央教会に都合の良い事柄のみ公にされ、そうでない事柄は捨て置かれていた。
予知夢は取捨選択されていたのだ。シルヴィアが逃げ出した理由の一つである。
今はもっと悪質だ。
予知夢の聖女すら偽物で、予知されていない出来事をでっち上げて国を動かしている。
これから先もそうなのだろうか。
次の予知夢の聖女が出てきて、軟禁され、また都合の良いように利用される?
この破綻した制度にシルヴィアは強い怒りを覚えた。
夢見の力を持っていようといまいと、少女が人生を搾取される。
民は虚像を崇め、神に仕えているはずの聖職者は実のところやりたい放題。
議会だって予知夢を尊重、重視している。思考停止しているのと同じではないか?
「……訴えます。今の聖女が偽物だと」
「訴え出たところで、誰が信じる? 力を失った聖女の言葉など」
シルヴィアは唇を噛んだ。
大司教が続ける。
「お前は予知夢の力は強かったが性格は怠惰だったものな。力が残っているといったって、どうせ堕落した生活でろくに視えてやしないんだろう」
「…………」
「今回のことでよく分かったよ。民が求めているものなど、偶像だ。予知夢の聖女が何であろうと、国は動かせる」
怒りで息が浅くなる。
それでは自分が聖女になるまでのこの二十七代の少女の人生は何だったのだ。
そしてこれから先、聖女として奉られる少女は?
人権のない生活を強いられ、他者に利用されるだけの人生をあと何人?
夢見水晶から反射した光が目に入った。
眠っている間に、頭の中を他人に見られるのが嫌だった。予知夢も、そうでない夢も、あれによって覗かれる。
つるりとした透明な球。
今の偽物聖女が利用され終えたところで、次に出てきた聖女もあれで頭の中を暴かれる──。
「あんなもの……!」
シルヴィアはソファから立ち上がると、窓際に駆け寄った。
大司教が「なにを……!」と止めにかかる。
しかしそれを押し退け、夢見水晶を両手で持ち上げ、思い切り床に叩きつけた。
「シルヴィア!!」
割れる音とともに水晶が粉々に飛んだ。
白くて硬い床に、水晶だった欠片たちがまるで宝石のように散らばる。
はるか昔より聖女の予知夢を可視化するための媒介であった夢見水晶を、シルヴィアは破壊した。
「……もうあなたたちが予知夢を把握することはできません」
夢見水晶は、司祭たちが叡智を集めて創り出したものだと言い伝えられている。同じものは二つとないとも。
夢見水晶が無くなってしまえば、中央教会が予知夢を共有することは出来なくなる。
だが、大司教は不敵に笑った。
「……ふ、ははは」
シルヴィアは眉を寄せた。
身動ぎしたら靴が割れた水晶に当たって、カツ、と音を立てた。
「だからお前は甘いんだな。考えが浅い」
「…………」
「そんなものがなくたって同じだ。予知夢が本物であろうがなかろうが、私たちには瑣末なことだ」
大司教が笑って、シルヴィアを見る。
「シルヴィア、お前はもう用無しだよ」




