21. 夢見の聖女は真実を見極める
故郷から出てきたシルヴィアは、都市ヴァルドにやって来ていた。
偽物かもしれない聖女に会うためだ。
聖女はルイスたちの住むカージブルに『顔見せ』として外遊予定だが、カージブルは知り合いが多すぎる。
ヴァルドにも聖女はやって来ると言うから、シルヴィアはこちらで聖女と接触することにした。
新聞によると、カージブルに聖女がやって来たのは昨日で、ヴァルドに来るのは今日夕方。
まだ昼なので時間はある。間に合ってよかった。
幸い、宿は取れたのでわずかな荷物を宿に置き、髪を隠すよう帽子に入れ込み、色付き眼鏡をかけてシルヴィアは町に出た。
ルイスの医師会の面接で少し前に訪れたことのあるヴァルドは、その時も人の多さに圧倒されたものだが、その頃よりもさらに人が多い。聖女がやって来るためだろう。
商店で新聞を買って、ルイスと食事をした旅行客向けの店に入った。
サラダだけ注文し、新聞を広げて確認する。予定変更はなく、聖女は今日ヴァルドにやって来てパレードのように街を馬車で周るらしい。
「店主さんは見に行かないのかい」
「行きたいけど店がねえ」
隣の客と、店主が会話をしている。聖女のパレードのことだろう。
シルヴィアは隣の客が食事を終えたタイミングで声をかけた。
「あの、聖女様のパレードってどこを周るんですか?」
「ああ、向こうの大通りだよ。まだ規制されてないが、そろそろ警邏が交通整理するんじゃないか? 今日は人手が多そうだ。お嬢さんも見に行くのかい?」
「ええ、こんな機会ありませんもんね」
食事を終えて店を出る。
シルヴィアは生花店で両手いっぱいの大きな花束を見繕ってもらった。もちろん、元手は聖女の慰労金だ。
花束を抱えて大通りへ向かうと、確かに交通規制が始まろうとしているところだった。
馬車が入れぬように迂回路を示しつつ、見物人が居られるエリアを紐で規制している。
見るに、聖女は大通りを通った後、ヴァルドで一番大きな教会を訪問するらしい。
始まるまで時間があるので、場所取りをしている見物人はほとんどいない。
シルヴィアは聖女が到着するであろう教会に最も近い位置にやって来て、石畳にハンカチを敷いて腰を下ろした。膝には、両手で抱えるほどの花束。
まるでテロリストのようだわ、とシルヴィアは自嘲した。
目的の人物に花束を手渡し、見えないことを暴こうとしている。
仮に聖女が予知夢を見られるとしても、このことには気付かれないだろう。夢見の聖女は自らの予知夢は視ないからだ。
つまり、聖女は誰よりも自らの危機に無防備であるといえる。
シルヴィアは尻の下の石畳の冷たさを感じながら、時間が来るまで目を閉じた。
予定時刻通りに聖女のパレードは始まった。まだ夕暮前で明るい。
ヴァルドの教会はパレードのコースの一番最後なので、まだ姿は見えないが、大通りの奥から歓声が聞こえる。
すでに規制線内に人が大勢集まっている。シルヴィアは一番前だ。
「見えない〜」
「ここどうぞ」
シルヴィアの後ろに少女が立っていたので、わずかに場所を開けて前に出してやった。手には一輪の花を持っている。
少女はシルヴィアの抱える一際大きな花束を見て、目を丸くした。
「お姉さんもそれ渡すの?」
「ええそうよ。大丈夫、きっとあなたのも受け取って頂けるわ」
おそらく教会前で聖女は降りるだろうと皆考えたのだろう。周りにいる人たちは数人が花や贈り物を持っている。その中でもシルヴィアのものは最も大きいが。
歓声が近付いてきて、馬車が見えて来た。
馬車の中の様子は見えないが、聖女が手を振っているらしく、人々も手を振っている。
馬の蹄音が止まり、扉が開いて、女官に手を引かれたほっそりとした少女が降りて来た後ろ姿が見えた。
馴染みのある真っ白なローブに、肩までの銀髪がなびいている。
瞳の色は──と目を凝らしてみると、なんと、年若い聖女は目元を隠していた。
細かいレース状の薄い布を額から目の下まで下ろしている状態で、布から伸びた紐は後頭部で結ばれている。
目が完全に覆われているわけではなく、薄い生地を通して透かしては見えるらしい。若い聖女は女官の助けを借りることなく一人で歩いている。
「目が光に弱いそうよ」
「まあ、お可哀想に」
隣の女性たちが話している内容が耳に入った。新聞にはそういったことは載っていなかったはずだが。
いずれにしても瞳の色をこちらから判別するのは難しそうだ。
聖女は口元に笑みを浮かべながら、こちらにゆっくり進んでくる。時折、プレゼントを受け取って女官に渡しながら。
市民の前に聖女が姿を見せるのは、引退時の祝いの時くらいのものである。そのため、めったに姿を見られない、しかも現役の聖女の登場に市民は沸いていた。
「もうすぐだわ」
「そうね」
列の前に入れてやった少女が、わくわくした様子で前のめりになっている。
いよいよだ、とシルヴィアは帽子を深くかぶった。近くに控える女官にも、当然聖女本人にも自分のことは気付かれてはならない。
聖女が数メートルまでたどり着いたところで、シルヴィアは一際大きな声を上げた。
「聖女様!!」
すると、彼女は足を止めて顔を向けた。
シルヴィアの抱えた大きな花束に気付いたらしい。にっこりと微笑んで、シルヴィアの方へやって来た。
「聖女様、よかったらこちらどうぞ!」
「どうもありがとう」
新聞には十二歳と載っていた。非常に少女らしい華やかな声で聖女は礼を言うと、シルヴィアの大きな花束を受け取る。そしてすぐに後ろに控えていた女官に渡した。
こちらへ振り返ったところで、シルヴィアはすかさず聖女の手を両手で握った。
驚いたらしい聖女が顔を上げる。
──ごめんなさい、あなたの夢を、視せて。
心の中でそう念じて、シルヴィアはにっこりと微笑んだ。
「聖女様、まだお若くて大変かと思いますが、ご無理なさらないで下さいね」
「え、ええ、ありがとう」
「お引止めしてごめんなさい、この子も聖女様にお花を渡したいそうです」
ぱっと手を放して前に立っていた女の子を促すと、大きな声で「どうぞ!」と言って赤い一輪の花を差し出した。
聖女は嬉しそうに笑って花を受け取ると、それを女官に渡すことなく教会の前に立つ。
それから見ている人たちに大きく手を振ると、教会の中に入って行った。
「受け取ってもらえてよかったー」
「そうね、あなたも気を付けて帰るのよ」
少女が親の元に向かうのを見て、シルヴィアもその場から離れた。
聖女の手の感触を忘れぬように意識しながら荷物を置いている宿に戻る。
外は夕暮れに差し掛かったところでまだ明るいが、シルヴィアは着替えてさっさと布団にもぐった。
パレードが始まるまで石畳に座っていたのでまだお尻が痛いし、お昼はサラダしか食べていない上、そこからずいぶん時間が経った。良い塩梅だ。
「おやすみなさい」
聖女の声と手の感触を思い出しながら、すぐに眠りについた。
♦
赤いベルベッドのソファ。
磨かれた白い床、ガラス板のテーブル、金の鈴。書類が複数枚。陶器の杯。
真っ白のローブ、艶のない白髪、小さな背中。
聖女が、静かに泣いている。
カツ、カツと靴の音が近付いてきて、聖女が顔を上げる。
海のような青い瞳。
十二歳────ではない。五十代、いやもっと上。はりのない頬を涙が伝う。
「もうそろそろ時間ですよ」
「…………」
男の言葉に聖女はまだ顔を伏せた。
男は神官服を着ているが、髭もなくずいぶんと若い。うつむく聖女の様子を見て、盛大にため息をついた。
「今日の予定はもう次の晩餐で終わりですから」
「もう休みたい……、それかあの子に……」
「あの子はダメですよ。分かるでしょう。夜は眠らないといけないですからね」
「でも本物はあの子で!」
「黙りなさい!!」
司教の大声に聖女の肩がびくりと震える。
「今までどれだけ贅沢な生活をしてきたか分かってますか? その分、きちんと仕事をしてくださいよ。いずれ代わりの者を用意してあげますから」
「……はい」
いらだった様子の司教が足早に出て行く。
聖女はのろのろと体を起こし、金の鈴をリンリンと鳴らした。すぐに女官が二人やって来る。聖女はなされるままに服を着替え、女官を従えて部屋を出た。
大廊下を進むと、反対側から女官たちがやって来た。
聖女はそのうちの一人を凝視した。髪は帽子で覆われているものの、瞳は菫色。
女官服から覗く足首は他の女官たちに比べて驚くほど細く、顔色が良くない。
見られていることに気付いた女官は小さく下げ、無言ですれ違った。
「死にたい」
──偽の聖女がこぼした言葉は、誰にも聞こえない。
シルヴィアが目を覚ましたのは、明け方だった。
ずいぶんと眠ってしまったらしい。
すぐに今見た夢の内容を書き留める。
これまで中央教会では夢見水晶に映し出されたことは女官が記録していたので、自分で書くのは初めてのことだ。
それが済んだら外が明るくなってきていたので、シルヴィアは宿を出た。
驚いたことに、昨日サラダだけ食べた旅行客向けの店がすでに開いていた。馬車待ちをしている客のためだろう。
シルヴィアは店に入り、早速注文した。
「トーストとキノコのパスタ、トマトサラダとたまねぎスープと……」
「お姉ちゃん、朝からそんなに食べられるのかい?」
「お腹空いてるので……、あ、あとこのソーセージマフィン、しっかり焼き目つけてください」
「注文が多いねえ」
先に出てきたスープをすすりながら考える。
夢の中に出てきた老齢の聖女は、昨日会った十二歳の聖女の将来だった。
もはや、彼女が夢見の力を持っていない、偽物の聖女であることは明らか。
通常の聖女は三十代で力を失って引退するが、彼女はもっと年を経ているように見えた。通常の任期を過ぎても、中央教会に利用されるということだろう。
また、大司教は現在とは別の男性に代替わりしていた。偽物聖女が嫌がっていたが、聖女としての仕事を強いていた。
そしてもう一人。女官の姿をしていた菫色の瞳の女性。あれこそ、本物の聖女だろう。
ずいぶんと手足が細かったし、顔色が悪いところをみると、生活を制限されて夢見の力を使わされているとみえた。
つまり、現在の偽物聖女は表向きの姿として将来も中央教会から出られない。
一方、新たに出てくる夢見の力を持つ聖女もこれまで通り表には出ず、中央教会の中で軟禁される生活を送っているということだ。
「よし」
「もう食べ終えたのかい」
考えながらもシルヴィアはあっという間に食事を終え、店を出た。
それから、カージブル行きの乗合馬車に乗った。




