2. 夢見の聖女は逃げることにした(2)
シルヴィアが夢見の聖女を辞めようと決意したきっかけは、二つある。
一つ目は、自分の視た予知夢が正しく使われていないと知ったことだ。
聖女の視た夢は、『夢見水晶』に映し出される。
シルヴィアの眠る寝台の隣には衝立が設置されており、その向こう側で夢見水晶に映し出される予知夢を、記録係である女官が記録する。
彩色のある予知夢の記録は翌日神官たちに共有され、その内容に応じて対応される。
毎晩身近に記録係が控えていて、睡眠中の頭の中を覗かれる生活をシルヴィアは嫌だと思っていた。
夢とはいえ、自分の思考だ。
起きてから眠るまで生活が管理され、眠っている間も一人きりになることはない。予知夢を記録するペンの音とともに目覚めるのは快適とはいえなかった。
だがそれでも、事件や事故で不運に命を落とす人たちを救えるのであれば、と聖女の勤めに納得していた。
しかしある日、山の崩落事故の予知夢を視た数週間後。
外部の情報は遮断されているシルヴィアだが、たまたま部屋に運ばれた花を包んでいた新聞を見て、蒼白した。
予知夢で見た崩落事故が実際に起きて、死者が出てしまっていた。
すぐに司祭に問いただした。
予知夢を視て、それを記録されているのだから当然対応したはずだろう、なぜ事故が起こってしまっているのかと。
すると若い司祭はひどく不快そうな顔をして、すべての予知夢に対応など出来ないと告げた。その予知夢の重要度によって対応が変わるのは当然だと。
山の崩落事故の起きた土地は貧しく王都から離れた場所だった。つまりはそういうことだろう。
それからも注意深く観察していると、予知夢を受けた対応が必ずしも取られていないことが見受けられた。
夢の中で汚職をしていた議員は、いつまでも議会で大きい顔をしている。
幸せな家庭を築いていた貴族子女は、夢とは別の人物と結婚した。
災害で被害が出て、舗装されていない道路で事故が起きる。
シルヴィアは心から落胆した。
嫌な思いをしながらも人の役には立っているというのが気概だったのに、それすらも果たせていなかった。
予知夢は取捨選択され、司祭たちあるいは政治的強者たちの都合のいいように利用される。
聖女の意味など、何もない。
二つ目は、シルヴィアの夢を嗤われたことだ。
彩色のある夢は予知夢。
色のない世界の夢は、シルヴィア自身が見ている夢。
シルヴィア個人が見ている灰色の夢も夢見水晶に映し出されるものの、記録簿には記録されない。
だが、記録係である女官たちはそれを見ている。
シルヴィアは予知夢ではない夢もたまに見た。
美味しそうな食べ物だったり、自分には起こりえない普通の生活だったり。
前日に物語を読んだためだろうか。
ある時、恋をしている夢を見た。
顔の知らない男の人と一緒にいて、おしゃべりして、ドキドキして、唇を重ねて、ほんの少し肌に触れた。
うわあ、こんな世界もあるんだ、いいなあと思って、目覚めて。
後日、女官たちが陰で嗤っているのを知った。
──あんな夢も見るのね、どうせここから出られるのなんてずっと先なのに。
──幼い頃からずっとここにいるのに、なんであんな知識あるのかしら?
──いやらしいんじゃない? 人の人生覗き見しているようなものだもの。
羞恥と怒りで頭が真っ白になった。
見る夢をコントロールすることは出来ない。いや、仮に願望が夢に出てきたとして、それの何がいけないのだろうか。
家族と仲良く過ごしたり、恋を夢見ることが悪だろうか。
否応なく連れてこられて、軟禁され、管理され、あげく嗤われる生活をあと何年続ける?
嫌気の差したシルヴィアは、夢見の聖女の役目から逃げることにした。
とはいっても、「辞めます」と言って辞められるものではない。
通常、聖女は三十年前後に渡って力を使い、だんだんと予知夢を見なくなることで代替わりする。シルヴィアはまだ十五年。早すぎる。
だが、予知夢を視る力を失ったと詐称すればよいのだと考えた。
そうすれば、司祭たちはシルヴィアが通常の聖女よりも早く引退時期を迎え、力を失ったのだと思うはずだと。
そしてシルヴィアは、夜眠ることを止めた。
夢を視なければよい、すなわち、眠らなければよい。
暗い寝台で衝立の向こうに人の気配を感じながら、目を閉じたまま寝たふりをする。穏やかな寝息を偽り、寝落ちしそうなときには腕をつねった。
当然ながら日中に眠くなるので、議会中や式典中、眠れるときにバレないように居眠りをした。
少しずつ夜型の生活へとシフトしていき、明け方に究極に眠くなってから寝る。すると深い睡眠になって夢を視ない。
シルヴィアは管理される自分の生活に反して、自ら生活を変えていった。
そして、予知夢の頻度を低減させ、夢見の力を失ったように偽ったのである。
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つまり、現在のシルヴィアの生活リズムはがたがたである。
中央教会から逃げ出せたという達成感もあり、とにかく眠い。
「あ……っふ、あああ、眠い……」
馬車に一人揺られ、シルヴィアは誰も見ていないことをいいことに大欠伸をした。
現在向かっているのは、王都からかなり離れた場所にある教会。
役目を終えた聖女は皆、中央教会が選んだ街の教会に一時的に保護され、半年ほどを過ごしてその後一般市民に戻る。
少しずつ普通の生活に慣らすよう、教会の司祭に面倒を見てもらいながら今後の人生を考えるのだ。
通常であれば中央教会から出る際、女官の一人でも付けられ、パレードよろしく市民に手を振り引退を祝うものの、シルヴィアには女官も付かなければお披露目もなかった。
通常の任期を全うできなかった出来損ないの聖女としてのレッテルを貼られたようであるが、事実なので別に構わない。むしろ一人の方が気が楽だ。
中央教会には十五年いたものの、寂しさはなかった。
馬車の中から見上げた建物は豪奢で、荘厳で、美しかった。だが生活感のないその内部は、シルヴィアにとっては監獄だ。
清々した気持ちで、最後に大司教から渡された書類を開く。
「エドアルド家……、会ったことないわよね」
保護先として指定された教会の司祭の名を口にしても、シルヴィアの記憶には無かった。
有力な教会の家であれば、儀式や祭典に出てくるはず。
聖女の保護先となる教会はそれ自体が誉になるので、大きな家が多い。
だが聞いたことない家ということは、役立たずのシルヴィアを押し付けられてしまったということなのかもしれない。
「歓迎はされないかもしれないわね」
それでも、これまでの生活よりきっとずっとましだ。
休憩を挟みながら丸一日。
ずいぶんと坂道を登ってきたように感じ、馬車の窓から外を見ると確かに丘を上がっているようだった。
空はどんよりと重苦しい雲が立ち込めている。丘の下の方には住宅街が見えた。
「着きましたよ」
御者に声をかけられて馬車を降りると、風が銀髪をなびかせた。
丘の上。
周りに建物は無いが、景色は良い。街全体を一望できる場所に建っているのだ。
シルヴィアはしばし景色に見惚れてから振り返り、受け入れ先となるこぢんまりした教会を見上げた。
「わあ」
古い──、いやはっきり言っておんぼろである。
入口の前は草がぼうぼうで手入れされていないことが明らか。外壁の一部には蔦が絡み、中はカーテンが引かれていて
人の気配がしない。
きょろきょろしていると、頬に一粒雫が落ちた。
「雨だわ」
「あの……、聖女さま大丈夫ですか?」
恐る恐る問いかけてくる御者に礼を言って帰らせ、シルヴィアは教会の扉を開けた。
鍵はかかっていない。ギイイと嫌な音を立てて開いた先は、思っていたよりも広かった。
薄暗い。
だが、教会の中は手入れされているようで、座席は綺麗に拭かれているし、埃が溜まっている様子もない。
歩みを進めると、靴の音が響いた。
誰もいない。
中央寄りの側廊の座席に腰掛けて、息を吐いた。
天井は大きなドーム状になっており、天井に近い壁にはステンドグラスがはめ込まれている。
「きれい」
ここには自分一人。
静かに、雨粒の音だけがわずかに聴こえる。心地よい。
シルヴィアは座席に横になり、そのまま目をつむった。
すぐに眠りについた。