19. 夢見の聖女は愛しい人を想像する
「シルヴィア―! 出かけるから洗濯物畳んどいてー!」
「……はーい」
隣室からの実母の声に気だるく答え、シルヴィアは小さくため息をついた。
エドアルド家を出て乗合馬車を何度も乗り継ぎ、数日かけて帰ってきた十五年ぶりの実家。
故郷の町は思い出から大きく変わっていなかった。田舎の風景は記憶の通り。
もちろん両親は十五年のうちに老けていたし、幼かった妹はいつの間にか若くして母となっていた。
シルヴィアが帰ってきたことに、家族たちは泣いて喜んだ。
通常の任期を勤め上げる前に逃げ出してきたので、家族からは叱られるやもと思っていたが、「よく帰ってきた、お疲れさま」と声をかけられ、シルヴィアは純粋にほっとした。
しかし、お客様扱いをされたのもわずか一週間。
特別扱いはさっさと終わり、今は出かけた実母から家事を言いつけられている。
当然だろう。いくら元聖女とはいえ慰労金も少ないし、働かないのであればただの穀潰しであることはシルヴィアも分かっている。
「はあ……」
気持ちを切り替えて故郷に帰ってきたのに、思い出すのはルイスやカージブルの町の人たちのことばかり。
ルイスはどうしているだろう。元気にしているだろうか。
少しは思い出してくれているだろうか。いや、居候がいなくなって清々しているかも。
「それはやだ……」
「お姉ちゃんいるー!?」
家族の洗濯物を畳んでいると、鍵の閉まっていない玄関から妹が入ってきた。
思い出の中の妹は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」といってちょろちょろついてくる可愛い存在であったが、今は見るからに肝っ玉母ちゃん感が強い。
まだ十代終わりのはずなのにすでに幼子が二人おり、今もお腹が大きいのだ。妹に比べ、自分はずいぶんと人生が遅れていることを嫌でも実感する。
「ここよ」
「よかった。今日の集会行くんでしょう? あっ、いたた、蹴った。えっと、これ直した衣装だから、渡しておいてもらえる?」
「はいはい。大丈夫? お腹重そう」
「うん、もうすぐだからね。この強さ、絶対次は男の子だわ」
残念、女の子よ。
シルヴィアは予知夢で視たことを心の中で呟いて苦笑した。
妹は袋に入った衣装とやらを机に置いていくとさっさと出て行った。
十五年ぶりに家族に会うことで若干気構えていたシルヴィアだが、意外と家族の方が気にしていないのは助かるところである。
洗濯物を畳み終えて時計を見ると、もう予定の時間までわずか。
のろのろと立ち上がり、自室のクローゼットを開く。
「……別になんでもいいか」
真ん中にかけてあった灰色のシャツと膝丈スカートを手に取り、手早く着替える。手櫛で髪を一つにくくり、家を出た。
故郷の町はエドアルド家のあるカージブルのように、町の中心に建物が集まって形成されている土地ではない。
主な産業が穀作なので各家それぞれが田畑とともに離れて建っており、距離があるのだ。
妹に託された荷物を手に、舗装されていない道をとぼとぼと歩く。
不思議なものだ。
ルイスの家にいた頃には、どんな服を着ようか悩み、町の景色に目を奪われ、人と話し、毎日が楽しかった。
それが今はどうだ。
あんなに欲しかった自由を謳歌しているというのに、お洒落に興味を無くし、美しい景色に心は弾まず、これから人に会うというのに億劫に感じている。
「ああ…‥、会いたいなあ」
アナの料理を食べたい。
庭で祖母とのんびりしたい。診療所でお手伝いしたい。
ルイスに会いたい。
諦めたはずなのに、心の中に恋がくすぶっている。
重い足取りで着いた先は町の集会所である。
実家に帰ってきたものの無職なため、シルヴィアは町の自治会メンバーに入れられた。身重の妹の代わりだ。
予定時刻をわずかに過ぎて扉を開けると、10人ほどが集まっていた。大人に交じり、子どももちらほら。すでにほとんどのメンバーが集まっているようだ。
「すみません、遅くなりました」
「いや、まだ始まってないよ。ここどうぞ」
リーダー的青年に勧められ、隣の席に座るとすぐに話が始まった。今日は、子ども向けに催される演劇の打ち合わせだ。
「今日は役を決めてしまおう。あ、それと衣装の件だけど」
「あ、そうだ。これ、妹から預かってきました」
「ああ、ありがとう」
預かった衣装の袋を渡すと、彼は早速袋から出して広げてみせた。中を見ていなかったので知らなかったが、赤い頭巾だ。演劇の題目は『赤ずきん』らしい。
「シルヴィアはなんの役がいい?」
「え、えー……」
思いがけず問われ、考える。
主演をやるような器ではないし、狼をやるには自分は迫力が足りない。
猟師役になって銃をぶっ放せば少しは気も晴れるだろうか。いや、元聖女のイメージ的にはだめ? それじゃ選択肢は残り一つ。
「おばあさん役……?」
「まさか、君みたいな子がおばあさん役なんて」
髪色もちょうどいいしと思って発言したのに周りから笑われ、シルヴィアは固まった。
──君みたいな子が。
嘲笑の意味合いではない。
シルヴィアが綺麗なのだからおばあさん役はそぐわない、というニュアンスだ。
けれど、シルヴィアはショックを受けた。
周りからもやはりまだ聖女として見られているということを実感した。
さらに、さっきは猟師役が元聖女のイメージ的に良くないと自分で思ったことに気付き、自らに大きく幻滅した。
聖女を辞めたいと思って逃げ出してきたのに、この期に及んでも、自分は『聖女』から抜け出せていない。
結局、シルヴィアにはどの役も与えられず、裏方の役割になった。
話し合いが終わり帰ろうとすると、リーダー的青年から声をかけられた。
「もう暗いし、送るよ」
「あ……、ありがとうございます」
断るのもどうかと思い、そのまま並んで歩き出す。
だが話すこともなくとぼとぼと歩いていたら、急に彼は口を開いた。
「実は君のご両親から、君をどうかって言われていてね」
「どうかって言うのは……」
「端的に言えば結婚をってこと」
絶句。
目を見開いて隣を見つめたら、彼は苦笑した。
昔遊んだ記憶はないが、年頃は近い。独身とは知らなかったが、両親はちょうどいいと思ったのだろうか。
まあ、両親の気持ちは分かる。
無職でやる気もない娘、さっさと嫁に行ってくれた方がいいだろう。ただでさえ婚期が遅れているのだ。
だが、本人の意思も聞かずに近場で相手を探すのはやめてほしい。
「それは大変失礼なことを……」
「いやいや」
シルヴィアが頭を下げると、彼は首を横に振った。
「ただ僕はもう結婚が決まっていてね、ごめん」
「あ、いえとんでもない。おめでとうございます」
何もしてないのに振られたような気分になったが、とりあえずホッとした。
それにしても婚約者がいるのに元聖女を押し付けられそうになって、困惑したであろう。
「ただ、もし君にその気があるなら、他に知り合いの男を紹介するくらいのことは出来るから」
「うーん……」
紹介。歩きながらも首を捻る。
このまま実家の近くで暮らすのもいいのかな、とも思う。
今のところ両親の元へ中央教会からの知らせは来ていないようだし。
この慣れ親しんだ土地で、歳の近い人と結婚して。
両親や妹家族も近くにいるし、気が楽だろう。いつか子どもができて、夫とともに仕事をして、今日みたいに町の自治会で見知った仲間と町の将来を考える。
それはそれで幸せではないか。
一方、それでいいのだろうかと自分に問う。
この自由はルイスが与えてくれたものだ。
新しい聖女が出てくるまでまだずいぶんとある。それまで中央教会が放っておいてくれるとは限らない。
もっと遠くへ、誰も知らないところへ、中央教会の手の届かないところへ、逃げてしまった方が良いのでは。
「……お言葉はありがたいのですが」
「そうだよね」
お見通し、といったような口調に顔を上げると、彼は眉を下げて笑った。
「いや、故郷に帰ってきたというのにずっと浮かない顔をしているから、この土地は合わないんじゃないかと思って」
「そんなこと……!」
シルヴィアは首を強く横に振った。
「そう見えてしまっていたならすみません。この町が嫌なわけじゃないんです。私が個人的に心残りがあるだけで」
「それは……、心配事があるなら解消してきた方がいいんじゃない?」
「いえ、いいんです」
顔を上げると、もう夕陽が沈みかけていた。
カージブルには戻れない。
故郷にもずっといるわけにはいかない。中央教会が追いかけてくれば、家族に迷惑をかけるかも。
これまでの聖女はどうしたかというと。
先々代の聖女はルイスの祖母。彼女は王都に近い大教会で同じように半年間の保護期間を経て、カージブルの知り合いの元に身を寄せたと聞いていた。
先代の聖女は保護期間の後、故郷に帰ったと聞いた。
引き継ぎの際に行き先を教えてくれたのだ。一度手紙のやり取りをしたが、故郷で家庭を持っていると。
シルヴィアには故郷以外に知り合いはいない。
じゃあ、どこへ行けばいいのだろう。
考えながら家に着き、ただいまを言って扉を開けたが返事はない。
両親はまだ帰ってきていないらしい。
郵便受けから郵便物を出し、家に入る。
明かりをつけ、机にパサリとそれらを放った。
だが、新聞に大きく書かれた文字が目に入り、シルヴィアは固まった。
「────……えっ」
そこには、新たな聖女が見つかった、と記されていた。




