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16. 夢見の聖女は夜に語らう(2)


 自室の扉を閉めて、ルイスは小さく息を吐いた。


 開けた窓からは笑い声が聞こえる。

 花火が終わり、町の皆が広場から帰って来ているのだろう。


 昔、家族で見に行ったことを思い出して、静かに窓を閉めた。




 幼い頃、ルイスは病弱だった。


 季節の変わり目には熱を出し、寒い夜には咳が出て呼吸が苦しくなった。

 一度、両親にせがんで行った収穫祭の花火では煙によって咳が止まらなくなり周りを心配させた。


 そのため頻繁に通っていたのが、今継いでいる診療所だ。

 すぐに熱を出すものだから、よく父の自転車の後ろに乗せられ、丘の上の教会から診療所まで駆け降りたものだ。


 老齢の医師はルイスに教えた。体を強くする食べ物、運動、咳が出るので気を付けなければいけないこと。

 言いつけを守り、成長と共にルイスの体は強くなっていった。


 収穫祭の花火も避けていたが、夜に咳をすることも減ってきて、恐る恐る両親と見に行った。

 以前のようにひどく咳き込むこともなく、笑って花火を見た。


 花火を見たのは、それが最後だ。




 自分の家はずっと普通の司祭の家。

 ルイスはそう思っていた、六年前までは。


 母が恋仲になったのは、日曜のミサに熱心に来ていた若い男だった。相手に家族はおらず、母は手紙を残して出奔した。

 父は、母が出ていった始めのうちは気丈にしていたものの、だんだんと沈んでいった。どこから話が漏れたのか、気付いた時には町中が司祭の家の事情を知っていた。


 カージブルは小さな町だ。

 別に残された自分たちが悪いことをしたわけではないのに、遠巻きにされ、奇異の目に晒され。

 反応は人によって様々だ。

 いなくなった母を非難して同情の目を向ける人。反対に、司祭が不倫されるなんて父の方にも不道徳な点があったのではないかと疑いをかける人。


 教会で式典を挙げようという人は激減し、ミサには人が集まらない。質素な暮らしをしていたが、それでも教会への寄付が無いと生活できない。

 父は自分と祖母を食べさせるためと言い、出稼ぎに出て行った。

 家を出るとき、父はほっとした顔をしていた。


 ルイスは学校を出て父の仕事の手伝いをしていたものの、その父もいなくなり、教会は休業状態になった。

 居場所のなくなったルイスを受け入れてくれたのが、診療所の先代の医師だ。

 幼い頃世話になっていたのをそのままに、ルイスを助手として雇ってくれた。


 この国では医師会に登録されている医師の推薦を受け、試験に合格すれば新たに医師として登録されえる。

 先代に跡継ぎがいなかったこともあるだろう。ルイスに医療を学ばせてくれ、医師会へ推薦してくれた。

 試験に合格したのが四年前。同時に先代が生まれ故郷に帰り、診療所を正式に継いだ。


 先代が診療所を手伝うよう声をかけてきたときのことを、ルイスはよく思い出す。


「将来君は司祭になるんだろうから、診療所は副業と思ってくれていいよ。ここは町の集会所みたいなもんだからね、先々きっと役立つよ」


 当時、ルイスがカージブルを出て行かなかった理由が二つある。

 一つは、町の人たちへの静かな怒りだった。

 今まで父が町のために身を尽くしてきたのに、ひとつの醜聞で手のひらを返された。こちらは悪いことなど何もしていないのに、なぜ出て行かねばならないのか。


 もう一つは、家族がいずれ帰ってくるかもしれないという淡い期待だ。

 いずれ、母が男と別れて戻ってくるかもしれない。噂のほとぼりが冷めたら父も帰ってくるかもしれない。

 そのとき、このカージブルに自分がいなかったら両親はどう思うだろう?

 今考えれば、そんなことありはしないと分かる。


 それにいずれも、生まれ育ったこの町を出て行く勇気がなかったゆえの言い訳だったのだと今は感じている。

 この町を出て違う道を選ぶことも出来たはずなのに、そうは出来なかった。


 きっと先代はルイスの気持ちも分かった上で、診療所を手伝う理由を与えてくれたのだ。




 部屋の外から、足音が聞こえた。

 シルヴィアが浴室を使いに行くのだろう。


 ルイスは窓から離れ、自室の机に無造作に置かれた封筒を手にした。

 もはや、見慣れてしまった星と月の封蝋。開けなくても中身は分かるが、一応封を開いて中を読んだ。

 予想通りいつものシルヴィアの様子伺いだったので、机に放った。


「まったく……」


 シルヴィアは、自身の今の生活が社会に対する裏切りではないかと話した。罪悪感を覚えているようだった。

 そのことに対して感じたのは、怒りに近い、強い否定の気持ちだ。


 今放り投げた、中央教会からの手紙を見ていたらわかる。

 彼女は聖女として人生を搾取されていた。


 これまでの聖女であれば勤めが終わるまで耐えていたはずだ。

 ひょっとすると、聖女の生活に誇りを持つ者、または期限付きと割り切って聖女の仕事を全うした者、それぞれだろう。


 だが、シルヴィアは聖女として利用されることを否として、人生を変えようとしている。

 そのことに罪悪感を覚える必要はないはずだ。人は自由なのだから。


 考えて、ルイスは自嘲気味に笑った。


「俺とは正反対だ。なのに……」


 両親が出て行った後も町に残っていることを「勇敢だ」とシルヴィアに言われた。

 ルイスは一瞬驚いて言葉に詰まった。


 カージブルに残っていた理由は、今考えたらただの言い訳だ。

 自分で人生を選ばず流されるままだった自身のことを、ルイスは意気地無しだと思っている。


 なのに、シルヴィアから讃えられ、心の中にほっとした気持ちが生じた。

 自分の人生を認められたような気がしたのだ。



 シルヴィアは強い意志で自分の道を切り開こうとしている。

 もはや、予知夢の力を今も失っていないことは明らか。

 ということは教会から逃げ出してきたということだ。



 囲われていた状態から逃げ出していたシルヴィアの強さが眩しくて羨ましい。


 教会に捕まって欲しくない。

 自由を求める彼女を解放してやりたい。


 生きたいように生きてほしいと思うのだ。



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