15. 夢見の聖女は夜に語らう
銀髪を編み込みで結って花飾りをつけ、服は薄紫のワンピース。足元は服よりも少し濃い色の靴で、いつもより高めのヒール。
爪は乾いた後も綺麗な桃色を保っている。そして左手の人差し指に紫の石の指輪を着けた。
「おばあさま、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ルイスはまだ診療所で仕事中。
ルイスが帰ってきてから食べられるようにアナが夕食を準備し、身支度を整えた二人は出発した。
「アナさんのお洋服のブローチ、可愛いですね!」
「ありがとうございます! シルヴィアさんの指輪も瞳の色と同じで綺麗です!」
互いの格好を褒め合いながら広場に向かうと、すでに人が大勢集まっているようだった。
入口ではヒューゴが腕を組んで立っている。
目が合ったら睨まれたものの、アナがいるのに気付いた途端、彼は顔を赤らめておどおどし出した。
「ごめんね、ヒューゴ。準備に時間がかかっちゃって」
「あ、いや、大丈夫……、アナ、今日も可愛いな」
シルヴィアが念を込めてじとりと睨むと、ヒューゴは付け加えるように「二人とも可愛いよ」と言った。
まあいいだろう。シルヴィアはにっこりと笑った。
「さ、行こう」
広場にはメインステージが組まれており、その前面に客席が設けられている。
全体を囲むようにたくさんの店が出ていた。
多くは飲食で、商店街に店を構える町の人々が収穫祭のための特別メニューを出しているようだった。
「収穫祭だけのメニューもありますし、試しに皆の反応を見たいっていう試作出してることもあるんですよ」
「へえ、面白いですね」
「うちの店も出してるぞ。ほら、あそこ」
ヒューゴが指差した先では、彼の実家であるパン屋が店を出していた。店頭でベティが売り子をしている。
ベティはすぐに気付いて、シルヴィアに手を振った。
「あ、シルヴィアさん! ちょっといらっしゃい!」
「やべ、姉ちゃんに気付かれたぞ」
「何か買いたいです、追いかけるので先に行っててください」
二人と別れてベティの元へ向かうと、流れるように商品を紹介された。
その間にも、隣の店からはシチューのような良い香りが漂ってくる。パン屋とシチューの並びはずるい。
シルヴィアは新作候補だというバケットを買うことにした。当然、この後隣の店に並ぶつもりである。
「シルヴィアさん、お釣り。今日はヒューゴと来てくれたの?」
「はい。お誘いを受けたので、アナさんと三人で来ています。ヒューゴさんは今夜店番は無しなんですか?」
「そうなのよ。去年は店番してたんだけど、今年は頼むから外してくれって、まったく」
今年はアナと一緒にいられることになったので、ベティに頼み込んだのだろう。
ベティに礼を言い、隣に店を出す洋食店でシチューを買う。そこでも少し世間話をしてから離れたら、また他の店から声をかけられる。
改めて考えると、店を出しているのも、客も、この町の人々なのだ。もうほとんどが顔見知り。
いつの間にか、自分がこの町の一員になっていたことにシルヴィアは気付いたのだった。
あちこちに声をかけられて商品を買ったりおまけをもらったりしているうちに、両手がいっぱいになってしまった。
随分と時間が経ってしまった。
しかも足が痛い。背伸びして高めのヒールを履いてきてしまったのが災いした。
きょろきょろと見回すが、客席はいっぱいだ。
ステージでは子どもたちが歌を披露している。
アナたちを探すと、客席から少し離れたところでおしゃべりしながら楽しそうにステージを見ていた。
「アナさん、ヒューゴさん」
「あ、シルヴィアさん……って、すごく買いましたね!?」
両手いっぱいに袋を下げているシルヴィアを見て、アナが目を丸くする。
正直、ほぼ全ての店を網羅したと言ってもいいだろう。
「もう少ししたら向こう側の広場に移るぞ。そこで花火を見るんだ」
「うーん、私は足が痛くなってきちゃったので先に帰ります」
「えっ、シルヴィアさん、大丈夫ですか?」
心配したアナが足元を見やる。
「大丈夫です。お腹すいたので早く食べたいですし、お家からでも花火は見られそうですしね」
アナがついてきてくれようとしたがそれを断り、シルヴィアは広場を出た。
当初のヒューゴの希望通りになってしまったのは少し癪だが、アナもあの様子ならヒューゴと二人で楽しそうだったし、大丈夫だろう。
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両手にたくさんの袋をぶら下げてのんびり帰ったら、ルイスが帰宅して夕食をとっていた。
一瞬どきりとしたが、「帰りました」と言って食卓に荷物を置く。
「おかえり、早かったな」
「足が痛くなってきちゃったので先に帰ってきました。おばあさまは?」
「もう上に上がったよ。ずいぶんと買ったんだな」
「お腹が空いて勧められるままに買ってしまいました」
買ってきたものを出して並べたら、パーティのような様相になった。
ルイスの向かいに座り、「食べたいものどうぞ」と勧めて、シルヴィアはベティの店のバケットを手にする。
シチューは少し冷めてしまっていたが、それでもじゅわりとバケットに染みて美味しかった。
「んんん、美味しい〜!」
「この焼いてあるやつ美味いな。なんだろうこれ。どこの店だった?」
「町のはずれにある珍しい果物屋さんご存知です? あそこのお店のですよ。外国の果物だそうです」
いろいろ食べているうちにシルヴィアは飲み物が欲しくなって、キッチンの自分のカゴから瓶を出してきた。
「あっ、エールだ。隠し持ってたのか?」
「飲みます?」
「もらう」
普段はほとんど飲まないのに、珍しい。
シルヴィアはルイスのグラスにもエールを注いでやった。
「串揚げ美味い」
「エールと合いますねー。こっちのお芋も美味しいです」
「そうだ、爪」
「え?」
「今日まで落ちなくて良かった」
ルイスがシルヴィアの手を指差す。
桃色に塗ってもらった爪はまだ綺麗だ。シルヴィアはなんだか少し恥ずかしくなって手をにぎにぎした。
「ありがとうございます」
すると、外からドン、と音がした。
「花火が始まったかな?」
窓に目を向ける。
少ししてまた音がしたが、窓から花火は見えなかった。
「見に行かなくていいのか?」
ルイスが言う。
花火を見たい気持ちも少しあったが、それよりもここから離れがたい。
まだ、二人きりでいたい。
シルヴィアは首を横に振った。
「いいです。実は聖女の時には式典にしょっちゅう駆り出されていたので、たくさん花火を見ていたんです」
半分本当で、半分嘘。
聖女の頃は確かに式典に出ることは多かったが、花火の上がるような時間帯にはもう予知夢を視るために就寝準備をしていた。
実際に花火を見ることは無く、部屋の中で音だけ聞いていた。
今と状況は同じ。
気持ちは随分と違うけれども。
「今の生活が夢のようです」
手元に視線を落としてつぶやいた。
「私、もうこの町の人々とほとんど知り合いなんだって今日改めて気付きました。皆と、なんでもないことでお喋りして。以前はそんなことなかった」
以前も、たくさんの人と会ってはいたけれど。
「上に言われるまま、ほとんど知らない人と会って、ただにこにこして話を聞いているだけで。人とお喋りすることが楽しいことだったんだって知らなかったんです」
それが仕事だったのだ。
ルイスは黙って聞いている。
花火の音が続く。
「……でも、少し考えてしまうこともあります。いま私は幸せですけど、ご存知のように通常の聖女より短期間しかお勤めできませんでした。それは社会への裏切りなんじゃないかって」
今までの聖女はきちんと任期を全うして、それから一般人になった。
しかしシルヴィアはそれよりも短い期間で役目を終えている。しかも、正確には逃げてきたのだ。
教会に対しては何も思わない。
だが、夢見の聖女を放棄したことの、過去の聖女および社会への罪悪感。
「……ま、もう仕方のないことなので精一杯毎日を楽しむしかないですけどね!」
あえて明るく言い、ルイスを見たら、彼は痛みを堪えるような瞳でシルヴィアを見つめていた。
驚いて瞠目する。
だが、ルイスはすぐに目を逸らした。
少し間を置き、口を開く。
「……うちは昔はちゃんと教会の司祭をやっててさ。でも母親がよそに男作って出て行って」
シルヴィアはルイスの話に息を呑んだ。
知っている。けれど、本人から聞くのは初めて。
「司祭の家で妻が出て行くなんてあり得ないだろ。随分と噂になってさ。父親も身の置き所なくて稼ぐために家を出ていって」
ルイスが続ける。
「俺は逆に、どこにも行けなかった。この町で、診療所の先代の医者に世話になってたんだ。どこかへ出て行く度胸がなかったから」
「でも、おばあさまがいらしたから……」
「そんなことない。ばあさんは俺がどこへ行こうと許すさ、だから」
言葉を区切って、ルイスは顔を上げた。
目が合って、離せなくなった。
「シルヴィアが人生を自分で選んだことを、勇敢なことだと思う。俺には、逃げ出す勇気もなかったから」
──いま、彼の心の、優しくて弱い部分に触れている。
シルヴィアはそう感じた。
周りからは聞いていたけど、本人からは聞いたことのないエドアルド家の過去。
ルイスが感じていた、自身への臆病さ。シルヴィアのために、秘めていたことを明かしてくれている。
シルヴィアはなんだか泣きそうになって、瞬きで涙を逃した。
「勝手に逃げ出して新しい生活を楽しんでいるなんて、私のことを傲慢な人間だと思いませんか?」
「生きるのに傲慢になって何が悪い?」
あっさり返してきたルイスに思わず笑ってしまった。そう言う本人が、もっと傲慢に生きていいはずなのに。
「私は、ルイスさんの方が勇敢だと思います。逃げることも出来たのに、自らの意思で留まって、おばあさまと町を守っている。強くないと出来ないことです」
一瞬、ルイスが言葉を探しあぐねたように見えた。
だが、すぐに「それはどうも」といつもの表情に戻って肩をすくめる。
伝わっただろうか。少しでも伝わったらいい。
ルイスがこの町で慕われているのは、これまでの彼の生き方を町の人たちが見てきて、そして信頼されているからだ。
自分のことを勇気が無いなんて思わないでほしい。
少なくともシルヴィアにとって、ルイスは眩しい存在なのだから。
一際大きい花火の音がして、止んだ。
「終わったかな」
フィナーレだったのだろう。花火の音がなくなったら、急に静かだ。
シルヴィアは机の上を片付け始めようと腰を上げた。
「アナさんたちはよく見えたでしょうか」
「あの広場はすごく綺麗に見えるんだ、きっと楽しんだだろう」
「丘の上からでも綺麗に見えるでしょうね」
「少し遠いけどな。来年丘の上から見たらいいさ」
「……そうですね」
机を拭きながら答える。
来年はいない。そう言いかけて、口から出すのをやめた。
うっかりだとしても、来年もシルヴィアがいるものとして言ってくれたことが嬉しかった。
食卓を片付けて、二階へ上がる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ルイスが自室に向かう後ろ姿を見つめた。
今夜、彼の心に触れたことを忘れないだろう。幸せな時間だった。
一方で、シルヴィアは気付いていた。
彼は知っている。
自分がまだ聖女の力を失っていないこと。
それから、ここへやって来た経緯を。




