10. 夢見の聖女は教会を整える (2)
「アナ!!」
ヒューゴが勢いよくエドアルド家の扉を開けると、アナは昼食の準備をしているところだった。
珍しくルイスも診療所から戻っていて、祖母とともにすでに食卓についている。
「あら、ヒューゴ。お昼食べにきたの? 大変、椅子が足りないじゃない」
「飯食べに来たんじゃない、ちょっと話が!」
「後でね、ご飯だから」
シルヴィアはおや、と二人を見比べた。
二人は幼なじみと聞いていたが、どうやらパワーバランスはアナのほうが上らしい。
しぶしぶといった様子で、ヒューゴが食卓に向かう。
シルヴィアが来てから、食卓の椅子は四脚に増えた。アナがヒューゴのために台所の丸椅子を持ってくる。
「はい、いただきます!」
「いただきます」
「いただきます……」
アナの号令で、昼食が始まった。
今日の昼食は冷製パスタだ。魚介類がたくさん載っており、レモン風味でさっぱりしている。
シルヴィアがフォークから滑って逃げるタコを追いかけていると、アナがにこにこと皆に顔を向けた。
「どうですか、美味しいですか?」
「はい、おいし」
「美味い!!!!」
突然の大声にシルヴィアはびくりと体を震わせた。
「おいしいです」と答えようとしたところに被せてきたのは、ヒューゴである。
「めちゃくちゃ美味い!! パスタの茹で加減も、さっぱりしたソースも、めちゃくちゃ美味い!!」
「そう、よかったー。おかわりあるからね」
「食う!!」
自分に向けてきたツンケンした雰囲気と随分違う様子に、シルヴィアは呆気にとられてヒューゴを見た。
美味い美味いと言いながら、勢いよく冷製パスタをすすっている。ルイスや祖母の方は、特に無反応で静かに食べている。ということは、この男の様子はいつものことなのだろう。
「ははーん、なるほど」
シルヴィアは訳知り顔で頷いた。
ヒューゴが敵視してくる理由がわかった。彼はアナのことが好きなのだ。
だから、アナに優しくされている自分のことを気に食わないのだろう。アナは聖女を神秘的に感じているようで、彼には悪いが、大層親切にしてもらっているのだ。
シルヴィアは優越感からにやりと口の端を上げた。
にやつくシルヴィアを横目で見て、ヒューゴがちっと舌打ちをする。
そんな反応を取られても、可愛いものである。
にやにやとヒューゴを見返すと、彼はますます眉を顰めた。
食事を終え、祖母がお昼寝に向かうと早速ヒューゴはアナの腕を掴んだ。
「話の続きだけど」
「えっ、なんだっけ?」
「俺、ルイスさんのこと好きじゃないから!!」
「ぶっ!」
新聞を読みながら紅茶を飲んでいたルイスが吹いた。
「あああ、そういう意味じゃないんです! ルイスさん、俺ルイスさんのことものすごく尊敬してるんですけど、恋愛感情として好きかというとそういうわけではなく」
「え、ああ、うん」
紅茶を零したルイスが自分の服と新聞を拭きながら、必死に弁明するヒューゴを留める。
その間にアナはさっさとキッチンへ行ってしまったので、ハッとしたヒューゴは後を追いかけた。
ルイスが半ば呆れたようにシルヴィアを見やる。
「……シルヴィア」
「別に私何もしていませんよ」
口を尖らせて肩を竦める。
実際何もしていない。教会周りの掃除をしていて、目を付けられただけだ。
ヒューゴは洗い物をするアナの周りでうろうろと釈明していたようだが、「はいはい」と適当にあしらわれて戻ってきた。それからシルヴィアを睨みつけた。
「まったく! お前のせいでアナに変な誤解されるところだっただろ!」
「私は何も……、というか二人はお付き合いしていないんですか?」
「わっ! バカ!」
取り乱したヒューゴに、手で口を押さえられた。
この反応。どうやらヒューゴの片思いらしい。
重大事案が露呈したかのように慌てた様子でキッチンに目をやっているが、アナは洗い物の最中でこちらの声は聞こえなかったようだ。
ヒューゴの手を剥いで、シルヴィアはこそこそと言った。
「早く告白した方がいいですよ」
「うるせえな、デリケートな問題なんだよ」
「もだもだしてると他の人に取られちゃいますよ、ねえルイスさん」
「えっ」
急に話を振られたルイスが新聞から顔を上げる。
一方、話は終わりだと言わんばかりに、ヒューゴは大きくため息をついた。
「はあ、ルイスさん。こんな怪しい聖女、さっさと追い出した方がいいですよ。こいつ、教会の周りを勝手にうろうろしてるんですよ」
ぎくりとしたシルヴィアは目を逸らした。教会周りの掃除を日課としていることをルイスには言っていないのだ。
しかし、ふと気付いた。当のヒューゴだって、勝手に教会内を掃除しているではないか。
シルヴィアがそれを指摘すると、ヒューゴは勝ち誇ったような顔で胸に手を当てた。
「俺はルイスさんから仕事として依頼を受けてやってるんだよ」
「えっ、そうなんですか!?」
目を剥いたシルヴィアに、ルイスが頷く。
「俺も診療所があって行けないし、ばあさんもあそこまで通うの難しいから、ヒューゴに定期的に掃除してもらってる」
「ほら、だろ!?」
勝者の笑みで、ヒューゴはシルヴィアに詰め寄った。
「一時的な居候のお前とは違うんだよ、俺はずっとこの町にいて、ルイスさんともアナとも付き合いは長い。お前みたいなすぐいなくなるやつに、あちこちうろうろされると目障りなんだよ」
ぐぬぬ、とシルヴィアは唇を噛んだ。
確かに自分は半年だけの居候だが、町の中や丘の上を散策することの何が悪いのだ。
それこそ、ヒューゴには関係ないだろう。
それに少なくとも彼の仕事の邪魔はしていないし、ルイスたちからは目障りだから町を出ていけとは言われていない。
──こうなったら仕方ない。
シルヴィアは俯き、口元を手で覆った。すん、と鼻をすすり、目じりに涙を滲ませる。
「……うっ……、ごめんなさい」
ぎょっとしたヒューゴがシルヴィアを覗き込む。
「なっ……」
「確かに私は半年だけの居候で……、ぐす、でもこの町……カージブルがとても好きです。もう聖女ではありませんが、せめて神に祈りを捧げたいと思って……」
「お前、そんな」
「決してヒューゴさんのお邪魔をするつもりはなかったんです、ううっ、ごめんなさい。せめて教会の外のお掃除だけでもいけませんか……?」
頬に一筋の涙を流したシルヴィアを見て、ヒューゴがおろおろと視線を彷徨わせる。
ダメ押しでもう一粒涙を流したいが、残念ながら涙を補充できるものがそばに無い。
シルヴィアはさらに目の奥に力を入れた。瞬きすると、長い睫毛に涙の粒が跳ねた。
ヒューゴにとっては幸いなことに、アナはまだ洗い物をしていてこちらに気付いていない。
しかしルイスが黙っていることもあり、分が悪いと感じたのだろう。
彼はしばし逡巡した後、「……邪魔すんなよ!」と舌打ちし、足早に家を出て行った。
「……ふう」
あっさりと涙を拭いたシルヴィアを、片眉を上げたルイスが面白そうに見やる。
「嘘泣きがずいぶんと上手だ」
「得意技です」
自慢気に言えば、ルイスがふふ、と笑う。
そのまま部屋を出て行こうとしたので、シルヴィアは彼を呼び止めた。
「ルイスさん、さっき言ったようにヒューゴさんのお邪魔はしませんので、教会に行ってもいいですか?」
「いいよ」
即答し、振り返ったルイスの表情は穏やかだった。
「さっきも言ったけど、あの教会の掃除はヒューゴに任せている」
「ええ」
「でも基本的に施錠はしていない。この町にはあそこを荒らすような人間はいないし、誰かが一人になりたいときや神頼みしたいときに自由に入っていい場所にしておきたいんだ」
「ルイスさん……」
彼の言葉が、少し意外だった。
なぜなら、ルイスは丘の上にほとんど近付かないからだ。しかし今の言葉からは、彼が教会を大切に思っていることが受け取れた。
「だから、君も好きな時に行っていい」
「ありがとうございます!」
礼を言ったシルヴィアに、ルイスは後ろ手をひらひらと振って部屋を出て行った。
♦
その夜。
久々に、彩のある夢を視た。
少し大人びた顔をしたヒューゴが、かっちりとした服を着ている。
見たことがある。あれはこの町の警邏の制服だ。
濃紺の制服と、彼の真っ赤な髪の対比が鮮やか。
同じ制服を着た、同僚だろうか。数名に挨拶した後、詰所で着替えて私服になり、駆け足で表通りを抜ける。
パン屋の前を通り過ぎ、噴水池の角を曲がって、赤い屋根の小さな家。窓の下に紫の花弁をつけた植物の鉢が置かれている。
ヒューゴが扉を開けようとしたら同時に家の中からも扉が押され、その拍子に彼の胸の中に若い女性が飛び込んだ。
慌てて心配するヒューゴと、驚いた後にけらけらと笑う女性。彼女のお腹はわずかに膨らんでいる。
それは、毎日会っているあの子。
そこで、目が覚めた。
「……なあんだ、ハッピーエンドじゃないですか」
優しい光景を思い出して、ふふふと笑みがこぼれる。
シルヴィアは幸せな気持ちのまま、布団をかけ直して二度寝した。




