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1. 夢見の聖女は逃げることにした



 夢を視る。



 鈍色の濁流が氾濫する川。

 あるいは、赤く燃える炎に包まれる館。

 葡萄色の液体が入ったグラスを揺らしている男、手首の金装飾が光る。

 怪我人から流れる血の色が特別鮮やかに見えるのは何故なのだろう。


 毎日、夢を視る。



 彩色が無いときは、()()()()()()夢だ。


 食べ物であることが多く、それはとろりと垂れたチーズだったり、ふわふわした卵だったり、または汁の滴る肉だったり。

 見たことはあるけれど食べられないものばかり。しかも色がないものだから味気ない。

 夢の中でくらい、味見させてほしいのに。



 たまに。

 本当にたまに、彩色の無い灰色の世界で、人物の夢を見ることがある。


 女性が赤子をあやしている。誰かに似ている。母だろうか。あるいは自分?

 家族が団欒しているのを眺める。

 同年代の友人と遊んだり、将来の夢を語ったり。

 太陽の下を歩いて、風を感じ、木々の香りを楽しむのだ。

 色も匂いも、わからないけれど。



 顔の知らない誰かに恋をしていることもある。


 話をして、笑って、触れて。




 ────これは、願望だ。




 ♦︎




 薄暗い部屋の中。

 すすり泣く声だけが響く。


「うっ……、ぐす、申し訳ございません……」


 俯いて顔を手で押さえるシルヴィアを、壮年の大司教は眉を寄せて見つめた。その職務の証である肩までの白髪を軽く払い、同じ色の髭を撫でる。

 隣では黒のお仕着せを着た女官が渋い顔をしていた。


 二人の向かいで、シルヴィアは泣きながら肩を震わせた。聖女の白いローブが細かく揺れる。

 まるで告解室で罪を懺悔しているようだ。いや、それは間違っていないかもしれないとシルヴィアは思った。


 自分は今、過去最大の嘘をついているのだから。


「……大司教さま、私にはもう聖女としてお勤めすることが出来ません、うっ、うう」

「シルヴィア……」

「もう……、もう、予知夢を視ることが出来ないのです……!」


 シルヴィアはさらにわっと泣いた。

 絹のような銀髪が揺れ、菫色の瞳から大粒の涙が流れる。


 その様子を見た大司教が、小さく息をついて女官に目をやった。


「最近の夢見水晶の記録は?」

「確かに、予知夢の頻度は以前の一割程度になっています」

「シルヴィアは勤めを始めて何年だったか」

「十五年です」

「まだ十五年か……」


 半ば呆れたような声に、シルヴィアはカチンときた。

 十五年、十五年だぞ。

 少女の花の時期の大半をここで軟禁しておいてその言い草。そのご自慢の長髪をむしり取ってやろうか。

 そう心の中で毒づいたものの、表情には出さずにわずかに顔を上げた。


「これまでの聖女さまほどお勤めが出来なくて本当に恥ずかしいです。でも、きっと私の力はここまでだったんです……」

「しかし、お前はまだ若い。回復するやもしれぬ」


 すんでのところで舌打ちを呑み込む。

 本人がもう無理と言い、記録もそう示しているのに、まだ聖女を続けろと強いるつもりか。

 当人の意向無視。まあ、中央教会らしい傲慢さではある。


 いい加減、涙も枯れてきた。

 二人が予知夢の記録簿に目を落としている隙に、シルヴィアは目の前のグラスの水にさっと指を浸した。

 俯いた顔の目の下に素早く水をつけ、偽装した涙を補充する。

 それからわざとらしく洟をすすった。


「大司教さま、これまで力の回復した聖女はいません。だんだんと衰えていき、そうして次の聖女が見つかる。その繰り返しでした」

「ああ」

「きっと新しい聖女が出てきます、私ではなくもっと優秀な誰かが」

「そうだな……」


 大司教が口を閉じ、静寂が訪れた。

 三人とも俯いたまま。

 部屋の外から、場違いな笑い声が聞こえる。教会の女官たちがおしゃべりしながら部屋の前を通り過ぎたようだ。


 伏せた顔をちらりと上げると、大司教は目を閉じ、頭に手をやって考えている。

 それから少し経ち、大きくため息をついてばさりと髪をかき上げた。


「……シルヴィア、お前は優秀だったからもっと長い間勤められるものと思っていたが……、ここまでのようだな」

「力及ばす申し訳ございません」

「ご苦労だった」


 そう言い捨てて、大司教と女官の二人は席を立つ。


 シルヴィアは頭を下げたまま、ガッツポーズをきめた。




 ♦︎




 国では、一世代に一人、聖女が生まれる。


 彼らは『夢見の聖女』と呼ばれる。

 睡眠中、色鮮やかな予知夢を視るのだ。


 災害、事故、事件だけでなく、会議・会合、淑女たちの茶会や誰かのデート風景まで。

 中央教会は聖女を保護し、『夢見水晶』を媒介に聖女が視る予知夢を把握する。

 そして、国に降りかかる危害を事前に取り除く役目を果たしていた。


 例えば、洪水が予知されれば治水工事を、テロが予知されれば警邏に伝えて反社会組織を監視する。

 幸せな家庭を予知された貴族の家には、こっそりと婚姻相手を耳打ちすることもあった。


 聖女はもはや国の重要な機関となっている。

 そのため、聖女の証である神秘的な銀髪、菫色の瞳の女児が生まれると、すぐに申請する決まりになっている。

 そして先代の聖女が引退すると、新たな聖女は中央教会に保護され、夢見の聖女としての勤めに励むのだ。


 シルヴィアが聖女として中央教会にやってきたのは六つのときだった。

 以来、十五年間、中央教会から出たことはない。



「十五年もいたわりには荷物もないのよね」


 大司教からめでたくお役御免を言い渡され、シルヴィアは聖女の自室に戻って荷物をまとめていた。が、大して無い。

 実家から持ち込める物品は制限されていた。

 服は白いローブと決められていて支給されていたし、娯楽品は与えられなかった。


 そもそも、聖女の毎日は忙しすぎた。


 聖女の勤めは予知夢を視ることである。

 教会ひいては国の議会は、国を安定的に発展させるために予知夢から多くの情報を得たいと考えている。

 結果、聖女の生活は「効率よく夢を視る」、その一点のみに集約されていた。


 疲れなければ眠れない、疲れ過ぎると夢を視ない。

 また、昼間に会った人物の予知夢を視ることが多い。


 そのため、聖女は中央教会の中で食事、運動を管理され、予知夢の精度や頻度によって生活を調整される。

 さらに、様々な予知情報を得るために、日中は議会や面会、懇談など、人と会う機会を詰め込まれていた。

 

 飢えることはないが、自由もない。

 起きている間だけでなく、夢の中までも全て他者に共有され、管理される。


 そんな生活、『生きている』と言えるのだろうか?


 否。

 シルヴィアは逃げることにした。



「今は何もなくても、これから好きなことが思いきり出来るわ」


 部屋の全ての荷物を詰めても、鞄は満杯にはならなかった。だが、これから何でも鞄に入れられる。

 そしてそれを他の人に知られることもない。わくわくした。


「まずは何を買おうかしら……」


 禁じられていた肉や卵を食べてみたい。

 甘い菓子や、脂っぽいスナックも。そうだ、酒だって飲んでみたい。

 真っ白で装飾のない服ではなく、ギラギラで派手なドレスを着てみたい。

 指示されて伸ばして、下ろしていただけの髪を結ってみたい。いっそ短く切って、さっぱりしてしまってもいいかも。


 実家に帰って、家族に会って、ああ妹は大きくなっているだろうか。

 友人たちは覚えていないだろうけど、新しい知り合いがきっと出来る。


 そして、いつか、好きな人に出会って──


 夢想しかけて、シルヴィアは頭を振った。

 高望みは厳禁だ。まずはここから出られるだけでも十分。


「よし」


 鞄を手に立ち上がり、拳を握った。



「私は自由だわ!!」



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