第53話 「せっかく来たんだ」
ある晩、夕食を終えた俺とナインは食器を洗っていた時だった。
「そろそろ洗剤なくなりそうだな…明日帰りに買ってくる」
「あ、よろしくね。あー後アレ、ボディソープもよろしく」
「石鹸があるだろ」
「石鹸は嫌なの!今のと同じでレモンの香りがするやつね」
ナインが買い物に行く事はほとんどない。通販で買い寄せるか、俺に頼んで放課後に買いに行かせている。だからと行って引きこもりかと言うとそうでもない。
「ん?………あれ?」
「どうした?」
「魔獣の魔力を感じた様な気がしたんだけど…」
ナインの角は魔獣の出現、存在を感知するなどの探知機能が備わっている。ナインは食器を置いてリビングへ行き、窓から身を乗り出した。
「………」
どうやら意識を集中させて、魔獣を探しているみたいだ。
「…気のせいだったのかな?何も感じないや」
「なーんだ、ドキドキさせんなよ」
ガチャア!
「大変だナイン!テレビを点けて!」
下の階に住んでいるサヤカが、ノックもせず部屋に入って来た。ナインが言われた通りにテレビを点けると、ニュースが流れた。
「メトロポリスに突如現れた謎の生物は、かつて事故が発生した内部エリアへ逃げ込んだとの情報が入っています」
ニュースキャスターが説明した直後に、月にある都市メトロポリスの悲惨な景色が映し出された。
「な、なんだよこれ…」
「これ、魔獣がやったみたいなんだ」
「月に魔獣が現れたの!?」
映像は切り替わり、見たことのない動物が逃げ行く人々を襲っていた。
「ご覧ください。ターミナルには避難しようと大勢の住人が集まっています。各国から飛び立った宇宙船も到着までには時間が掛かるということで、それまでにあの生物がここへ来てしまうのではないかと不安が広がっています」
まさか月に魔獣が出るなんて…
「離れすぎて角がちゃんと感知できなかったんだ…!月へ行くよ!」
「どうやって行くんだよ!?」
「それは…」
月まではかつて飛んだ経験がない程の距離がある。ナインの魔法の杖であそこまで飛べるのか?
「ナイン、準備出来てるよ」
また誰か来たと思えばジンだった。彼に案内されて部屋を出ると、アパートの庭に以前のように魔法陣が描かれていた。
「魔法を一回だけ超パワーアップさせる魔法陣だ。お前の杖と合わせれば月まで行くくらい簡単だろ?」
「ありがとうジン!けれど、行くのは僕と光太だけだ」
それからナインは複数の杖を用意した。
「どうして皆を連れて行かないんだよ?」
「もしも月に行くのが失敗したら、間違いなく死ぬから」
なるほど、全員死ぬわけにはいかないからね。
「…お腹痛くなっちゃったよ。ナイン」
「月でトイレ借りれるといいね」
どうやら拒否権はなく、俺も宇宙へ行かなければならないらしい。
最後に背中合わせの俺とナインを縄で結んで準備が完了した。まさか生身で宇宙へ上がることになるとは…
「それじゃあ僕達が死んじゃったら後はよろしくね」
「なんでそんな覚悟出来てるんだよ!?やだよー!スペースデブリになりたくねえよ!」
ナインの鼓動が速くなっている。平気そうにしてるけど、流石に緊張するよな…
「それじゃあ行ってきます!」
ビュンッ!
跳躍力を強化するジャンプ・ワンドの魔法は、魔法陣によってさらに強化されている。ナインが膝を曲げて伸ばすと、凄い速さで上昇を始めた。
次に身体を守るバリア・ワンドとあらゆる場所で呼吸を可能にするブレス・ワンドを発動し、宇宙へ飛び出した。
初めて来た宇宙空間だが楽しんでいる余裕はない。俺はバーナー・ワンドで炎を噴出し、身体の進む向きを月へと調整しなければ。
「光太急いで!」
次が肝心なんだ。早く向きを合わせないと…
「もっと下向き…逆だよ!」
「くっ…これでどうだ!?」
「オッケー!スピードキープ・ワンド!」
そして物体の速度をそのまま維持する杖を振って、俺達は目的地の月へ向かった。
「地球から月までは大型スペースシャトルのニューヨークホエールでも1日は掛かるぞ!」
「だけど僕達は9分で着ける!ギネス更新だ!」
月では魔獣が暴れてるってのに、9分間この何もない景色を眺めるしかないのか…
「………」
本当に何もない。地球から見えた星も、バリアのせいかそれとも宇宙だからなのか、全く見えない。
「………しりとり」
「リンカーン」
「いきなり終わるなよ…」
「月の重力って地球と変わらないんだよね?」
「昔は地球の1/6だったらしいけど、グラビティシステムが完成してからはどこ行っても地球と同じだって中学の頃に習った」
何分経ったんだ…地球がもうあんなに遠くに見える。
「そろそろ到着するよ。落下の衝撃はバリアで防げるけど、舌を噛まないように気を付けて!」
メトロポリスの表面には、太陽の光をこれまで通り地球へ反射する超巨大な装置が存在する。ナインがゴースルー・ワンドを振ることで俺達はそれに干渉することなく貫通して、月面都市に突入した。
「んんん!」
痛くないとは分かっていてもつい力んでしまう。そんな俺達が墜落したのは、街のど真ん中だった。
「ここが月面都市…実際に来るのは初めてだ」
「みんなもう逃げてるみたいだね」
天井には青空が映し出されている。ここの時間は本初子午線の通るイギリスに合わせているから今は昼ぐらいか。
「ナイン、居場所は分かるか?」
「うん。角で魔力を感知してる。あっちの方からだ」
魔獣の存在を感じる方へと俺たちは走り出した。
「せっかく来たんだ。終わったら兎餅食べて帰ろうぜ」
「これ以上観光スポットを壊されたら嫌だし、早く倒しちゃおう!」