第39話 「俺も現実じゃこの程度か…」
VRMMOからログアウトするという行為は普通のオンラインゲームをやめるのとは違う。ゲームの世界から現実世界へ戻ってくるということだ。
だからなんだという話だが、面白いとは思わないか?ヘルメットを被っただけで異世界に行けるんだ。
しかしせっかく行けるようになった異世界に半年前、あの忌まわしき青い鯨が現われた。気まぐれに現れてはゲーム内で死ぬと本当に人が死ぬように法則を狂わせ、アドバンスセブンスをゲーム史上最低の民度にした元凶。
俺達はなんとしてもあいつを消す。それでアドバンスセブンスの民度が回復することはないだろう。もしかしたらサービス終了の可能性もある。しかしそれまでに命を落としたプレイヤーや、かつて俺達が楽しんでいた本来のアドバンスセブンスへの手向けとするために、絶対にやらなければならない。
「13時間か…」
ヘルメットを外した俺はスマホのタイマーを停止させた。長時間ヘッドギアでプレイした後は最低でも3時間。可能ならプレイ時間からマイナス3時間した分だけ休むというのが俺達のルールだ。
現実ではダッシュスラッシャーズのリーダーウドウとして振る舞う必要はない。臼井士安として肩の力を抜いて過ごせるんだ。
「あ、士安君。お帰りなさい」
「ただいま」
ロッキングチェアに座って読書をしていた天天は俺が起きたことに気付いた。
「士安君はこれから10時間の休憩だね。あ、空ちゃんもログアウトしたみたい」
「一度ログアウトして戻ったんだから10時間じゃなくてもよくないか?」
「すぐに戻ったら休憩扱いにはしない。士安君が決めたルールでしょ?」
「はいはい…」
休憩時間が長すぎる気がする。そう感じてしまうぐらい、アドバンスセブンスの現状が気になって仕方がないのだろう。
何か食える物を探しにキッチンに出向くと、袋ラーメンを作ろうとしている空と出会った。俺達ダッシュスラッシャーズは信頼を深めるために、同じ屋根の下で共に生活している。
「空、腹が減ったからってすぐラーメンはよせ。ちゃんとした料理を作れ。もう少し真っ当な生き方をするように心掛けろ」
「他所様は他所様!ウチはウチ!」
「あのなぁ、お前以外は全員料理できるんだぞ。そこの当番表を見ろ。いつになったらお前の名前は載るんだ?」
「でも士安だって天に手伝ってもらってるじゃん!」
「あ~あ~うるせ~なっておい!袋を開けようとするな!分かった、ちょっと待ってろ。俺が作るから」
料理する時間がない時のために用意したインスタント食品は、いつも空に食い尽くされてしまう。こうなったら買うのをやめるべきだろうか。
起きてすぐの人間に不健康な物を食べさせるわけにもいかないので、俺が空の分の料理も作る事にした。
「士安君、手伝おうか?」
「大丈夫。天も座っててくれ。そうだ、何かリクエストはあるか?」
「茹で卵。士安君の手で丁寧に殻まで剥いてるやつ」
「分かった」
「コラー!イチャつくなー!」
作り終えた料理をテーブルに並べていると、二人が観ていたスマホの画面に目が行った。
「また化け物か…CGじゃないのか?」
「だから本当にいるんだって!…あ、消されたっぽい」
空のスマホで流れていた動画が停止した。画面をスクロールして更新すると、動画どころかそれをアップしたチャンネルも削除されていた。
「ほら!消されるってことはやっぱり本当にいるんだよ!出まわっちゃいけないから動画は消されたの!分かる?」
「怪物の存在が嘘か誠かまだ分からないけど、不測の事態に備えておいた方がいいかな…非常食の賞味期限切れも近いし、後で買い出しに行ってくるね」
「だったら俺も行く。少し外の空気が吸いたいしな」
「なら私も!」
「お前は留守番だ。ちゃんと休んどけよ」
「え~!?」
食事を終えた俺と天は電車に乗ってショッピングセンターに向かった。本当はバイクに乗って行きたかったが、疲れが残っていたのでやめた。
「こうやって二人で出掛けるのも久しぶりだね…休憩しなくてよかったの?」
「してくか?休憩?」
「からかわないでよ…本当に嫌だからね。ベッドで横になったまま、二度と目を覚まさないなんてなったら私──」
「急停車します」
街を走っていた電車が急ブレーキを掛けた。バランスを崩した天を抱き止めた。
「なんだ?踏切に人でも入ったか?」
せっかくのひと時に水を差された。そう不機嫌になっていられるのもそれまでだった。
「ねえあれ!」
「ヤバくない?」
制服を着た女子達が外に注目していると、他の客も窓から街を見渡した。
「今度は地震か!」
停まっていた車両が激しく揺れる。立っていられなくなった俺達はしゃがんで身を守った。揺れが収まると放送が流れた。ドアコックを使って左側の扉を開けて、とにかく離れるようにという運転手からの指示だった。
知識のある乗客がいち早くドアコックを使用して扉を開く。逃げ道が現われたことに気付くと、我先にと次々と乗客が流れ出て行った。
「士安!」
「心配するな!」
天の身体を抱いたまま、俺達も電車を降りて外へ逃げる。すると車体の向こう側から大きな音が響いた。
「一体何が起きてやがるんだ…」
「逃げよう士安君!」
言われなくとも逃げるつもりだった。しかし乗客全員が車内から離れた地面まで降りられるというわけじゃない。
「逃げ遅れた人達を助けるぞ!」
「えぇ!?」
降りられない人を助けようとしている人はいた。俺達もそれに協力して、次々と乗客を避難させていった。
「逃げてー!」
「何か近付いて来てるぞ!」
振動がどんどん大きくなっていく。そして俺達の前に現れたのは、車両よりも大きなトカゲだった。正確に言えば、トカゲのような化け物だ。
「士安君!もう逃げよう!」
「あと一人だけ…!」
最後に残っていた老人を降ろして、電車に乗っていた全員が避難できた…わけではない。あくまで全員避難できたのは俺達が乗っていたこの号車だけだ。
「なんだその目は…!」
化け物はつぶらな瞳で俺を見下ろしていたかと思うと、前足を車両に乗せて踏み潰した。幸いにも破片は誰にも当たらなかったが…この威圧感、恐ろしいものだ。
「俺も現実じゃこの程度か…」
「どうしたの!?」
身体が動かない。凍り付き症候群ってやつか?人間いざって時は動けないもんなんだな…
「アイテテテ…」
せめてこのご老人だけは守りたい。でなければここまで残った意味がない。
「グワアアアア!」
「くっ!」
やられる!
老人を抱え上げようとしたその時、トカゲが頭を勢いよく地面に叩きつけた。
「街のど真ん中で好き勝手やりやがって!」
地面に叩きつけられた頭部の上に白い髪の少女が立っていた。アドバンスセブンスで出会ったナインみたいな姿だった。
「みんな逃げて!ここは危険だよ!」
「死にてえやつだけそのまま野次馬やってやがれ!」
そこへさらに、箒に乗った少年と絨毯に乗った少女が空から降りて来た。あり得ないと思うが、目の前で起こってる出来事だ。
「立てますか、おじいさん」
「どうもぉ…」
何だか分からないが助かった。とにかくここから離れなければ!