第20話 行動
ナインは魔法の杖で用意した道具を使って、ビオード族の粘膜表皮と唾液の採取を行った。
「ありがとうございます魔女様」
「もう少しの辛抱だから、みんな頑張って!」
人間の病が魔族に伝染することは珍しいことでもないので、ナインは最新の注意を払って作業を行った。
そして医者達のいる場所へ向かうと、青桐がフェンスの外にいる自衛隊員と話をしていた。
青桐はひたすら頭を下げ、それを相手は怒鳴っているようだ。隣に立つ光太はそれを無視して、医者達に事情を説明して検査の用意をさせていた。
「青桐!タダじゃ済まないと思え!」
「はいーすいません!ほんとーに申し訳ない!はい!ごめんなさい!」
人を助けようと行動を起こして人に叱られる。何とも理不尽な光景に光太は怒りを覚えた。
しかし今やるべきことは一刻も早くビオード族を救うことだと自分に言い聞かせ、話に割り込むのを我慢した。
「粘膜と唾液採ってきたよ!」
ナインは大きな声を出して自分が来たことを告げた。しかし隊員達が自分と医者の道を妨げたままなのを見て、警告をした。
「僕の採取したウィルスは未知の物で、人を殺す程の物かもしれません。それと僕はこのマスクと手袋だけで彼らと接触しました。もしも僕が感染していた場合、あなた達を通してさらに大勢の人へ。そして日本、世界へと広い範囲に及ぶパンデミックになります。どうかお願いです!ここでウィルスの拡大を食い止めるためにも道を開けてください!」
「コロナの再来になるぞっ!」
ナインの掴みづらい言葉だけでは響かなかっただろう。
しかし光太が付け加えた一言によって、隊員達は恐ろしい物を見る目でフェンスを離れた。
フェンスの向こう側にいる医者達は保護具を着けている。検査の準備は出来ているようだ。
医者の一人がナインから荷物を預かり、別の人が彼女から患者の容態を聴いた。
「高熱と咳。中には関節痛を訴える人も…なるほどねぇ…コロナというよりはインフルに近いねこりゃ」
検査の結果、ビオード族のパンデミックが確定した。ウィルスの正体は医者が呟いた通り、インフルエンザだった。
「とりあえず、安静にしていれば死ぬ事はないから…壁の中がどうなってるのか分からないけど、なるべくいい環境を用意してあげてよ。こっちからは解熱剤と咳止めを出してあげるからさ」
「はい!ありがとうございます!…あ、あの、お代ってどれくらい必要になりますか!?今週中に用意します!」
「今週中ってそりゃあ無理だよ。患者さん全員保険適用外だし。水城財閥って知ってるかな?あそこの人がここを援助するようにお金を出してくれたんだよ」
「水城…ホッシーの家から!」
思わぬフォローだった。かつて共に戦った仲間、水城星河の実家が治療費を全額負担してくれたのである。
「歴史の研究以外に興味を持たないあの女王がねえ…一体何なんだい君達は。以前は患者と一緒に突然現れたかと思ったら、急に大金を用意して治療してくれと頼んだり…」
「ん?」
ナインはすっかり忘れた過去の話だが、かつて光太と共に宝を探し、大金を手にした事があった。しかし彼女達は急病で倒れた人物と遭遇し、その高額な治療費として大金を押し付けたのだ。
この医者はその時の病院で働いている男だったのだ。
青桐はフェンスの向こうへ行き、自衛隊のテントへ連行された。これからこっぴどく叱られるのだろう。
医者達は役目を終えると、すぐにこの場から離れていった。
そしてナイン達はビオード族の元へ向かい、症状を伝えて薬を配布。さらに魔法の杖で、壁の中にある区域全ての衛生面を整えた。
それでも万が一がある。ビオード区のリーダーは全員の体調が完治するまでの間、他の区域との交流を控えることを宣言した。
「デモ隊は勝手に消えたし薬は手に入ったし、万々歳だな!」
壁の上を歩いていた光太がそう言った。しかしナインの曇った顔は変わらなかった。
「これで良かったのかな…」
「何がだよ?もう完璧だろ。ちゃんと人は助けられたんだ」
「だけど…でも…」
今頃、ネットではデモ隊が叩かれている。もっと穏便に済ませる方法はあったはずだと、ナインは悩んでいた。
「光太は…凄い立派だよ。揉めるだけで何もしなかった僕と加奈子と違って、ちゃんとビオードの人達が助かるように頑張ったから…けど…」
デモの崩壊を光太が狙っていたことだと、ナインはようやく気付いた。
世間のターゲットが壁の中の移民者からデモ隊へと移った。結局、誰かが傷付くことに変わりはなく、また移民者が叩かれるのも時間の問題なのだ。
「悪かった。助けたいやつが助かればそれで良いって考えて、あいつらを利用してしまった」
「間違ってないと思うよ!何も出来なかった僕と違って光太は正しいことをした…と思うよ」
「俺は正しいことをしたつもりはない。ただ、お前の助けになれたらと思って、思い浮かんだ通りに行動しただけなんだ」
ナインは自分の非力さを悔やんだ。どれだけ戦いに便利な杖が揃っていても、こういう時には全く役に立たないのだと、現実を突きつけられたような気がした。
「ナイン、もうなってしまった事はどうしようもないんだ。こうなったのも俺とお前の力不足。次に活かせるようにこれから頑張ろう」
「…うん…そうだよね…」
「ひとまず死人は出なかったんだ。それを喜ぼう」
光太はナインの手を取り、アパートへ向かうために再び足を前へ出した。
(そうだ…ナインがいなければビオード人はおろか、そもそもこの世界は存在していなかったんだ。お前達は国の平和を守っているつもりだろうが、ただ自分の平穏が脅かされるのを恐れる臆病者に過ぎない。本当に平和を守っているのはナインなんだ…)
ナインは人を助けられない自分の弱さを悔やんだ。今の未熟な彼女では、この悔しさを糧にして成長する事も出来ないのだ。
ただただ、苦い思いをさせられる一日だった。




