第19話 尊敬
光太がフェンスを越えた場所。その最も近くに立っていた自衛隊員の青桐は、月が昇った今もその時の事を考えていた。
(凄い大乱闘だったな~…)
あそこまで派手な暴動は初めて見たと、内心感動に近い思いを持ったが、職業柄その事を誰にも話すつもりはなかった。
(…ん、あれは?)
遠くの方から車両が近付いてくるのを見て、青桐は思考を切り換えた。今晩、誰かが来るとは聞いていない。
少し離れた場所に立っていた隊員達も、それを見て彼の元に集まって来た。
フェンスの前に停まったのは2台のトラックと1台のワゴン車だった。
「私達は有志で集まった医者です。この中で病が流行っていると聞いてここに来ました」
「許可がなければ、この中には誰であろうと入れることは出来ません。お引き取り願います」
医者達と話す上官はわざとらしく抱えていたライフルを揺らし、医者達に帰るように促した。
(なんで今になって…しかもこんな時間に?)
何故、医者が来たのか。その答えは単純明快、世間のターゲットが不法移民者からデモ隊に向いているからだ。
デモ活動が続いている状態で来ていたら、この場にいる医者は当然のこと、彼らが勤めている病院の関係者や、最悪の場合患者にまでバッシングが及ぶ可能性があった。
「通してください」
今こそ、壁の中にいる感染者を救う絶好のチャンスなのだ。
「いけません。例え医者だろうとこの先へ立ち入る事は禁じられています」
「この壁の向こうには沢山の患者がいます。私達は彼らを助けたいだけなんです。だから通してください」
「いけません。許可を貰わないと──」
「許可は誰に取ればいい?患者を見捨た政府か?それとも患者を殺そうとした国民達にか?そんな物待ってる間に人は死んじまうと思うけど、あんた達はそれでいいのか?」
「…じゃあ聴くが、この中にいる患者は黒い噂の絶えない不法移民者だ。こいつらはあんた達に生かされた後、どうなると思う?住ませてやった恩を覚えることなく、こいつらは好き勝手やって生きてきた。気に入らないことがあればデモはするし、平気で犯罪だってやる。ここで死んでも文句は言えねえようなやつらだろうが」
その二人の口論をきっかけに、他の医者と自衛隊員達も私情を交えた言葉を言い放つ。
人を救う人間と人を守る人間が起ころうとしていた。
(な、なんか大変なことになってきたぞ…)
青桐はその二つの人種の衝突をただ見ていた。同じ日本人同士でもこんな風に争うのかと、興味深そうに観察した。
自衛隊には武器がある。安全装置を外せば、それだけで医者を黙らせることができる。しかし向けないのは何故だろう。
青桐は自分の抱えていたライフルを見て考えた。
集まった医者達は無理矢理にでもフェンスを越えようと、強引に前進しようとした。しかし相手は身体を鍛え抜かれた人間だ。それに勝つなど無理な話なのだ。
せっかく行動を起こそうとしたのに行く手を阻まれている医者に、青桐は同情した。だからと言って自分の上司や同僚が石頭だと思わない。彼らは自分達の職務を全うしているのだから。
今、この狂った思考に囚われている自分がやるしかない。謎の使命感に襲われたは青桐はフェンスに手を掛けて登り始めた。
「おい青桐!?何をやってる!」
「俺がこの中にいる代表に伝えてきます!医者が来たって!」
「違反行為だぞ!戻って来い!」
やっていることは命令違反、犯罪、もしかしたら日本に対する反逆行為とも言える。それを分かっていながらも、青桐は壁を登った。
「医者が来たぞー!」
壁を登りきった青桐はどうしたかというと、医者が来訪した事を伝えるために大きな声で叫び回ったのである。
壁の中にいた人は突然の侵入者に警戒した。
アパートにいたナインと光太は騒がしい声に気付き、壁の上に来ていた。
「誰か走って来てる!」
「あの格好、自衛隊だぞ!」
「おーい!医者が来たぞー!」
青桐は二人の方へ両腕を上げて全力疾走。敵意がないことを伝えつつ、事情を伝えた。
「医者が来たんですか!?」
「そうだ!だけど許可書がないからフェンスの内側に来られなんだ!」
「そんな…じゃあどうしたら…」
魔法の杖を使えば事態を解決するのは容易だ。しかしナインは加奈子から、魔法を使うのだけはなるべく避けるように言われている。
現在、二人の関係は最悪の一歩手前だが、それでも彼女の言う通りにしておこうという気持ちは残っていた。
「へっくしゅん!」
光太がくしゃみをした。口を押さえた右手に粘液が付着し、ナインはティッシュを渡した。
それを見た青桐は、二人にあることを尋ねた。
「どうして医者が必要なんだい?」
「ビオード族の集まる区域でパンデミックがあったんです!僕達じゃどうしようもなくて、医者の助けが必要なんですよ!」
「だったらまずは検査をしてもらったらどうだ?鼻の粘膜の表皮と唾液。それだけならフェンスの外へ持ち出しても問題はないんじゃないか?新種のウィルスだったらヤバいけど、前例があるやつだったら薬とか用意できるんじゃないかな?」
思わぬ発想だった。確かに人間さえ出入りしなければ、向こうも文句を言えないかもしれない。
ナインはすぐに杖を用意して、ビオード族の元へ採取に行き、。光太は青桐と共に、医者に検査の準備をするように頼みに向かっていた。
「そういえば昼頃、大変だったね」
「滅茶苦茶痛かったです…あの、なんであなたは俺達に協力してくれたんですか?」
急な協力者が現れたことに、まだ光太は困惑していた。
「昼間、土下座してただろ?あれ、立派だったよ」
「土下座?」
光太はとぼけている。しかし医者がやって来た事は、彼が想像していた通りだった。
光太は昼間、デモ隊に向かって助けを求めて土下座をした。しかしその真意は彼らに対してではなく、ネットワークを通して自分の姿を見た医者達への土下座だったのだ。
「君のおかげで多くの医者が動いたんだ。暴力をせずにその身一つで状況を動かした。全く、大したやつだよ」
「へへへ、そうすか?」
望んでいた医者が来た。これでビオード区の人々は助かるかもしれない。
ナイン達には希望が見えていた。